ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

わたしが道であり真理でありいのちなのです、と仰せられるイエスキリスト

 

 「イエスは弟子のトマスに言われた。

 『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14:6)

 

 イエスは、父なる神のみもとに帰るときが近づいていることを弟子たちに語られました。それは、弟子たちの住まいを天に備えるためです。イエスが天に弟子たちの居場所を備えると、また来て、弟子たちをイエスのもとに迎えられます。イエスのいるところに弟子たちもおらせるためです。

 

 地上には、多くの宗教があり、それぞれの神や教祖がいますが、彼らの教えに聞き従う弟子たちのために、場所を備え、その場所に導くために、また弟子たちのもとに戻って来ることを約束しているものがいるでしょうか。

 

 イエスの道は、天の神へと続く道です。永遠に生きておられるまことの神、すべてのものの存在の根源である神、いのちの主のみもとに帰る道です。イエスは、そこから来られた神のひとり子なのです。

 

 イエスは、天の神、天地創造の神から遣わされたメシアです。天から来て、天に帰られた主キリストです。

 神の御子イエスは、聖書の預言を成就され世の終わりの後のことを明らかにされた権威ある預言者であり、永遠の赦しを与える罪の贖いの神の子羊の血を携えて天のまことの聖所に入り、まことの聖所で祭司の務めをされるまことの祭司であり、天からイスラエルの王として来られる、唯一のメシアです。

 

 イエス・キリストがただひとり、真理であるまことの神のみもとに帰る道を示すお方です。なぜならば、イエスご自身が真理(父なる神)から出た真理(神の御子)だからです。

 真理なる神のひとり子が、人の子のかたちをもって世に来られ、目に見えない真理(神)を目に見えるように現わし、真理なる神の栄光をはっきりと示されました。

 

 イエスは、いのちの根源なる神のひとり子です。いのちあるものはすべて、このいのちの神によって存在し保たれているのです。いのちの神のひとり子もまた、いのちの主です。生かすいのちです。

 

 最初の人アダムの堕罪により、いのちの主から離れ、死の国に向かう者となった人々を、イエスは、ご自分のからだによって罪を贖い、キリスト(救い主)の御霊によって、生かす御霊となられました。

 

 イエスは、死んでいた者を永遠に生かす御霊となられました。死から御霊の子を生んでくださるのです。御霊の子は、肉体を持つ肉の子ではありません。永遠のいのちを持つ霊の子です。御霊が生む霊の子は、いのちの主イエス・キリストのおられる所にともにいる神の子どもです。

 イエス・キリストは、神の子どもたちを生むために世に来られました。父なる神は、神のひとり子イエスに、多くの神の子ども(キリストの兄弟)を与えられます。

 

 イエスは、父なる神のみもとに神の子どもたちを誘導するために新しく設けられた、天に続く霊の道です。真理の行路です。イエスご自身が道となられました。

 イエスのことばとキリストの御霊が天に帰る道であり、これを通さなければ、だれひとり父(真理)のみもとに行くことはできません。この道は、人の目には隠された狭い門です。信仰によらなければ、見出すことはできません。

 

 イエス・キリストの御名は、世界中で最も広く知れ渡った名です。信じる人も最も多くいます。しかし、その御名のうちに隠された真理は、自分を無にしないと見出すことができません。

 神は霊であるということです。十字架にかかられたイエスは、死から甦られて、キリストの御霊となり、生かす霊となられました。

 

 生かす御霊を受けるために、自分を神に明け渡すのです。神の御支配の中に入って、自分のいのちを神にゆだねるのです。すると、死んでいた霊がキリストの御霊により呼び覚まされ、キリストの御霊の導きを受けて生きる霊とされるのです。

 

 世界中に多くの宗教があり、それぞれの教祖や神々を拝んでいます。その中で、最も多くの人に信じられているのが、聖書の神であり、また、聖書に書かれた救い主イエス・キリストです。

 

 最も多い信者はイエス・キリストを信じる者ですが、その信仰は宗派教派に分かれており、信仰のあり方は多彩です。

 

 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」と言われるイエス・キリストのことばを信じることにおいては、みな共通しています。それで、すべての信者はイエス・キリストを主と告白することによって、永遠のいのちを得て天の御国に帰ると信じています。

 

 しかし、イエスは、「主よ。主よ。」と呼ぶ者に、このように言っておられます。

 「わたしに向かって、『主よ。主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行なう者が入るのです。」(マタイ7:21)

 

 父の御心とは何でしょう。神の子どもに新しく造り変えられることです。肉のままでは天に帰ることができません。天に入る者は霊のものとならなければなりません。

 

 「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」と、御子イエスは言われます。この霊の礼拝により、霊の子として成長していきます。霊とまことの礼拝は、肉のありのままの人間ができる礼拝ではありません。肉なる者が、信仰深い真実な礼拝を心がけ、まことしやかに振る舞っても、それは、肉にすぎません。

 

 神は、霊とまことの礼拝者とするために、キリストの御霊である聖霊を遣わしておられます。肉なる者を霊なる者に造り変えてくださる御霊です。イエスのことばを思い起こさせ、父なる神へと導く真理の御霊です。真理の御霊によって、イエス・キリストを信じる人は、真理そのものであるキリストに似た者に新しく創造されます。

 

 神(真理)の子どもに創造された者が、イエス・キリストの父なる神(真理)のもとに帰るのです。

 

 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。」(マタイ7:13,14)

 

 人の教えで、イエスを天の御国に入る道であり、神から出たまことの真理であり、永遠のいのちであると信じるのと、キリストの御霊を受けて、御霊に教えられて信じるのとは、まったく異なる結果を生み出します。

 

 イエスは、世を去る前に、「もうひとりの助け主をあなたがたに与える。」と約束されました。この助け主、真理の御霊こそが、イエスの道と、真理の父と、永遠のいのちを得させてくださるのです。

 

 イエス・キリストを信じる私たちが向かっているのは、父なる神のみもとなのです。イエス・キリストのことばと、キリストの御霊によらなければ、だれひとり父のみもとに辿り着くことはありません。