ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

見落とされている重要な契約

 

 神が正しい信仰の人アブラムを見出され、アブラムに約束されたことはこうでした。

 「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)

 

 神に選ばれ、神の祝福のために神と契約を結んだ人の初めは、アブラムでした。

 神と契約を結び契約のしるしの割礼を受けたアブラハムではなく、契約のしるしのないアブラムでした。この祝福の契約は、割礼の民のみならず、無割礼の民にも及ぶものだからです。

 

 神が救いのために契約を結んだノアにお与えになった約束は、「もはや大洪水が地を滅ぼすことはない。」ということでした。そして、代々にわたり、空の虹を契約のしるしとされました。これは、神と地につく肉なる者との地上の契約でした。

 

 しかし、アブラムにお与えになった契約は、天につく霊なる契約でした。この契約は、天の法でもあるのです。揺るぎない永遠の契約です。

 アブラムの契約は、割礼のしるしがついた新しい人アブラハムの契約となり、神の御力によって生まれたアブラハムの子(神の霊により閉経後の九十歳の不妊の女サラから生まれた)イサクの契約となり、イサクから生まれ神と人と戦ってアブラハムの祝福と契約を勝ち取ったヤコブの契約となりました。

 

 神は、神と人と戦いアブラハムの祝福と契約を勝ち取ったヤコブの十二人の息子と息子たちの子孫(ユダヤ民族)と契約を結び、神と契約を結ぶ神の民イスラエルとされました。

 

 神は、神のひとり子を遣わすために神の民イスラエルを造り、地上で天のまことの生ける神を礼拝し仕える神の祭司の国民とされました。

 

 神から与えられた戒め、律法の下にいるイスラエルに、モーセを通して、生きるための律法をお与えになりました。

 「神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。

 その預言者に聞き従わない者は、だれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。」(使徒3:22,23)

 

 モーセはイスラエルに命じました。

 神がイスラエルを奴隷の家エジプトから救い出すためにモーセを遣わされたように、神は、死と滅びが定められた罪の奴隷の世から救い出していのちを与える預言者を、ユダヤ人の中からお立てになる。神が遣わされるこの預言者(いのちの君キリスト)が語ることはみな聞き、従わなければならない。

 この救世主キリストに聞き従わない者はだれでも、神がイスラエルにお与えになられた御救いの契約から取り除かれる。

 

 神の律法の下にいて神の国を待ち望むイスラエルは、神が遣わされるキリストに聞き従うことによって、神の国に入るのです。神と契約を結ぶイスラエルだから神の国に入るのではなく、神が遣わされたいのちの君キリストに聞き従うことで神の国に導き入れられる、とモーセは言いました。

 

 それは、キリストの時代のイスラエルに向かっての約束でした。

 キリストが現われる以前のイスラエルは、モーセを通して語られた神の約束、キリストの出現を待ち望む信仰によって救われました。

 キリストが世に現われてからは、キリストに聞き従うことが、救われるための信仰です。民族的救いが約束されたイスラエルであっても、キリストが世に現われた以上、キリストに聞き従うことを要求されます。

 神と契約を結ぶ神の民イスラエルであっても、神の契約の外の無割礼の民であっても、ユダヤ人から出たキリスト(神のひとり子イエス・キリスト)に聞き従う者が、神の国に入り、永遠のいのちを受けるのです。

 

 神の御子イエス・キリストを否定し、憎み、聞き従わないユダヤ人たちは、神の国に入ることができません。

 

 神の契約を持たない無割礼の国民が、イエス・キリストの福音を受け入れ、ユダヤ人から出たキリスト(神の御子イエス)のことばを仰ぎ、神に聞き従って、神の御恵みを受け取っています。

 

 イエスは言われました。

 「わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒瀆は赦されません。

 また、人の子(イエス)に逆らうことを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」(マタイ12:31,32)

 

 人がどんな罪を犯しても、悔い改めるならば赦されます。イエスに逆らうこと、イエスへの暴言をも、赦されます。しかし、聖霊(神の霊による定め)に逆らうことは、イスラエルであっても、キリスト者であっても、だれであっても赦されないのです。

 

 手に箕を持っておられ、ご自分の民、神の家をさばく神のひとり子イエス・キリストが、救いを受ける羊と滅びるやぎとを分けることについて、語っておられる聖書の箇所があります。

 

 「羊を自分の右に、山羊を左の置きます。そうして、王(イエス・キリスト)は、その右にいる者たちに言います。

 『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしを尋ねてくれたからです。』

 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、お尋ねしましたか。』

 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟(ユダヤ人)たち、しかも最も小さい者たち(名もないユダヤ人)のひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(マタイ25:33-40)

 

 裁きの時、神は、神の民ユダヤ人にした良い行ないにおいて評価されます。それは、キリストを主としていない異邦人にも及びます。

 ユダヤ人を祝福した者は、神に祝福されます。そして、キリストが治められる千年王国にて、彼らに都の門は開かれ、都の中にあるいのちの木の実を食べることが許されるのです。

 

 神がアブラハムにお与えになった祝福は、神の霊(聖霊)による契約なのです。だれも、この祝福の契約を覆すことはできません。

 「あなた(アブラハムとアブラハムの子孫〈ユダヤ人〉)を祝福する者を、わたし(神)は祝福し、あなたを呪う者を、わたしは呪う。」この物差しは、永遠なのです。

 

 キリストを信じているから救われると思っていても、ユダヤ人を呪う者は、神に呪われます。

 ユダヤ人を憎み、迫害し、非難し呪う者に、神は仰せられます。

 「呪われた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。

 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにも尋ねてくれなかった。」(マタイ25:41ー43)

 「おまえたちが、この最も小さい者(名もないユダヤ人)たちのひとりにしなかったのは、わたし(イエス・キリスト)にしなかったのです。」(マタイ25:45)

 

 私たちの主イエスの父なる神は、イエスの血肉の兄弟ユダヤ人たちとともにあるのです。神のユダヤ人に対する愛は、永遠に変わらないのです。

 

 イエスは、「人の子(イエスとイエスを信じる者たち)に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。」と言われました。

 イエス・キリストを信じないユダヤ人も、不信者の異邦人も、救われる恵みがまだ残されています。

 

 しかし、ユダヤ人を呪う者は、キリスト者であっても赦されません。

 「わたし(イエス・キリスト)に向かって、『主よ。主よ。』と言う者(キリスト者)がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行なう者が入るのです。」(マタイ7:21)

 

 ユダヤ人を呪う事は、イエス・キリストを呪う事なのです。

 「神の御霊によって語る者はだれも、『イエスは呪われよ。』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」(コリント第一12:3)

 

 「イエスは主です。」と告白するクリスチャンが「イエスは呪われよ。」なんて言うはずはない、と思っていますが、「ユダヤ人は呪われよ。」と心で思うならば、それは、ユダヤ人のイエスを呪っていることになるのです。

 

 イサクがヤコブ(イスラエル)を祝福して言いました。

 「おまえ(イスラエル)を呪う者は呪われ、おまえ(イスラエル)を祝福する者は祝福されるように。」(創世記27:29)

 

 この祝福は、キリスト者のみならず、イエス・キリストを知らない不信者にまで及びます。

 イスラエルの祝福(キリストによる御救い)が、無割礼の異邦人にまで及んだのと同じことです。

 

 イスラエルを呪う者は神に呪われ、イスラエルを祝福する者は神に祝福されます。ユダヤ人を呪う者は神に呪われ、ユダヤ人を祝福する者は神に祝福されます。

 アブラハムの子孫イスラエルは、神が地上に置かれた、すべての民族を祝福する祝福の基なのです。イスラエルを呪うことは、神の祝福を呪うことなのです。

 

 「ユダヤ人を呪う人たちは永遠の刑罰に入り、ユダヤ人を祝福し神の御心を行なう正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」(マタイ25:46)

 

 ユダヤ人は、神のひとり子イエス・キリストを信じること、また、異邦人は、ユダヤ人とイスラエルを祝福することが、神の用意された永遠の御救いに入るために重要なことです。