ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

義に飢え渇く人 真理を求める人へ

 

 知恵者は言います。

 「私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下(地上)には何一つ益になるものはない。(労苦したからといって良い報いがあるわけではない。)」(伝道者2:11)

 

 「私は見た。光が闇にまさっているように、知恵は愚かさにまさっていることを。

 知恵ある者は、その頭に目がある(見えない真実を見つける)が、愚かな者は闇の中を歩む。(霊が閉ざされており、永遠の備えをすることができない。)しかし、みな同じ結末に行き着くことを私は知った。(すべての者に死と死後の裁きとが定まっている。)

 私は心の中で言った。『私も愚か者と同じ結末に行き着くのなら、それでは私の知恵は私に何の益になろうか。(知恵は私を救わない。)』私は心の中で語った。『これもまたむなしい。』」(伝道者2:13ー15)

 

 神から離れてしまった知恵者は、人生の不条理の中で、食べることも楽しむことも神の御手の中にあることであり、神から離れた楽しみはやがてしおれ、そして変わらない継続する楽しみは神のうちにあることを見いだしました。

 

 「私は、日の下で骨折ったいっさいの労苦を憎んだ。後継者のために残さなければならないからである。

 後継者が知恵ある者か愚か者か、だれにわかろう。しかも、私が日の下で骨折り、知恵を使ってしたすべての労苦を、その者(後継者)が支配するようになるのだ。これもむなしい。

 私は日の下で骨折ったいっさいの労苦を思い返して絶望した。どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分の分け前を譲らなければならない。これもまた、むなしく、非常に悪いことだ。

 実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。

 人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。

 実に、神(いのち)から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。」(伝道者2:20-25)

 

 「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。」(伝道者4:4)

 

 「私は心を転じて、知恵と道理を学び、探り出し、捜し求めた。愚かな者の悪行と狂った者の愚かさを学びとろうとした。

 私は道理を見いだそうとして、一つ一つに当たり、見いだしたことは次のとおりである。

 この地上には、善を行ない、罪を犯さない正しい人はひとりもいない。

 それゆえ、人の語る言葉にいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたを呪うのを聞かないためだ。

 あなた自身も他人を何度も呪ったことを知っているからだ。」(伝道者7:25,27,20ー22)

 

 「私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。

 しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。」(伝道者9:11、12)

 

 悟りを得た知恵者は若い男に言います。

 「若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。(面白おかしく自由に生きろ。)しかし、これらすべての事において、あなたは神の裁きを受けることを知っておけ。」(伝道者11:9)

 

 若いうちは、羽目を外します。知恵者はそれをやめるように、とは言いません。彼のうちには、若いエネルギーがほとばしっているからです。

 しかし、知恵者は忠告します。死後には必ず神の裁きがあり、彼が行なったすべてのことにおいて裁かれることを。

 

 神の裁きを信じ神を恐れる者、また、いのちを求める者は、義(本当に正しいこと)に飢え渇き、いのちに辿り着く真理の道を捜し求めることでしょう。

 神を信じず神の裁きを愚かなことと蔑む者は、神を恐れる者たちを嘲笑い、自分の欲望のまま、人間の本能のまま、生きることでしょう。

 

 知恵者は、最後に声を大にして言います。

 「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざ(人の語った言葉、思ったこと、行ないのすべて)を裁かれるからだ。」(伝道者12:13、14)

 

 日の下にいる人間が日の下から消え去っても、すべての人間の意識は生き続けます。神を恐れる者(善を心がける者)、神の命令を守る者(聖とされることを求め真理の御霊を受ける者)の魂は、神の子どもとなって父なる神のみもとに帰ります。

 しかし、神から離れたままの人間は、滅びる生まれつきのままの人間として、彼らの父である悪魔のいる永遠の滅びの場所(永遠の火の池)に投げ入れられるのです。そして、決してそこから出ることはできません。

 

 異邦人のための使徒である使徒パウロは言います。

 「愛する者たち。(真理の御霊を授けられた)私たちはこのような約束(汚れたものと分離し汚れたものに触れない道を歩むなら、聖なる神はあなたがたを受け入れてくださいます。そして、創造主であり裁き主である生けるまことの神はあなたがたの父となってくださり、あなたがたは永遠のいのちを得て、神の息子、娘となる、と仰せられる全能の主の約束)を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。(神の授けられる生かす御霊〈真理の御霊〉に導かれて歩もうではありませんか。)」(コリント第ニ7:1)

 

 知恵者は言います。

 「(神を恐れる)正しい者の結ぶ実はいのちの木(永遠のいのち)である。」(箴言11:30)

 

 正義を愛し義に飢え渇く人(正義は神にあるのです。)、真理を求める人(永遠に変わらないものは神御自身です。神の真実は、神の御子イエス・キリストの贖いの血と、真理の御霊によって人々に明らかにされました。明らかにされた神の真実を信じることが唯一の真理なのです。)に、神は真理(永遠に生きる御霊のいのち)を与えられます。