「(主イエスにある)兄弟たち。私(パウロ)はあなたがた(異邦人のキリスト信者たち)に、ぜひこの奥義を知っていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢い(神が遣わされたキリストを信じないユダヤ人は神に捨てられた。神に背く愚かなユダヤ人に代わってキリストを信じる異邦人の私たちが神に選ばれる者とされた。)と思うことがないようにするためです。
その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。」(ローマ11:25,26)
「イエスが自分は三日目に甦ると語った。」と聞いていた祭司長とパリサイ人たちは、ユダヤ人たちの訴えを聞き入れてナザレのイエスを処刑することを許可した総督ピラトのところに集まって、こう言いました。
「閣下。あの、人をだます男(ナザレのイエス)がまだ生きていたとき、「『自分(イエス)は三日の後に甦る。』と言っていたのを思い出しました。
ですから、三日目まで(イエスの)墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼(イエスのからだ)を盗み出して、『(墓はからっぽだ。イエスのからだがない。イエスは生前のことばどおり)死人の中から甦った。』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、もっとひどいことになります。(弟子たちの偽証を信じた民衆が、十字架につけたイエスはだます者ではなくて、本当にキリストだったと思うならば、十字架につけた私たちに向かって暴動を起こすことでしょう。)」(マタイ27:63、64)
「ピラトは『番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい。』と彼らに行った。
そこで、彼ら(祭司長、パリサイ人たち)は行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。(岩を掘って造った新しい墓にイエスのからだは納められた。墓の入口には大きな石をころがしかけてあり、その石に封印し、人が入れないように守った。)」(マタイ27:65,66)
「三日目の明け方、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」(マタイ28:2-4)
イエスは甦られたのです。
「数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、こう言った。
『「夜、私たち(番兵たち)が眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った、」と言うのだ。
もし、このことが総督(ピラト)の耳にはいっても、私たち(祭司長や長老たち)がうまく説得して、(イエスの甦りを知ってしまった)あなたがたに心配をかけないようにするから。』
そこで、彼ら(番兵たち)は金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。」(マタイ28:11-15)
イエスが死人の中から甦り、墓から復活した事実は、こうして、祭司長たちによって隠ぺいされました。それで、ユダヤ人たちは、「イエスの弟子たちがイエスのからだを盗み出したのであって、ナザレのイエスが墓から甦った事実はない。イエスの弟子たちは、イエスを墓から復活したという作り話によって、ナザレのイエスをキリスト(永遠に生きるメシア)に仕立て上げている。」という、祭司長たちの証言を伝承し、ナザレのイエスをキリストと証言する者は偽り者であって、イエスと同様、ユダヤ人を騙す者であると信じられています。
このように、イエスの弟子たちの証言(イエスは死に打ち勝って墓から甦られ復活された。)は偽りであると、ユダヤ人たちは信じ込まされて、今日に至っています。
また、悪魔に支配され反ユダヤ主義思想に支配されたキリスト教徒たちの迫害と殺戮の歴史によって、ユダヤ人たちは、十字架は悪魔の象徴であり、ユダヤ人を苦しめるような教えをするイエスはユダヤ人が待ち望んでいるキリストなんかではない、とキリストを否認し拒絶しているのです。
ユダヤ人の心は、救世主に心を閉ざしています。ユダヤ人の不信仰ゆえに、御救いは異邦人に及びました。神の御計画(イスラエルに遣わしたキリストをユダヤ人たちが迎えること)は、ユダヤ人のそむきの罪により異邦人に向かい、ユダヤ人の心には覆いがかけられました。
しかし、この異邦人の救いの時にも終わりがあるようです。神は、イスラエル人の一部がかたくなになったのは、異邦人の完成のなる時までと定めておられます。
「その後、イスラエルはみな救われる。」というのが、神の御計画です。
今、心がかたくされ、思いに覆いが掛けられているユダヤ人の心の覆いが払われるのです。
すると、異邦人の時の完成とともに、ユダヤ人たちと同様に異邦人の心はかたくされ、異邦人の思いに覆いが掛けられます。
異邦人の時が完成すると、異邦人はだれひとり、イエスがわからなくなるのです。それゆえ、イエス・キリストを信じることができなくなります。
異邦人の私たちが、今、十字架にかかられたイエスを、神の御子キリストと信じることができるのは、聖霊の恵みが注がれているからです。信仰は、神からの賜物です。
異邦人の完成とは、それ以降、天の御国に招かれる異邦人は現われないということです。それまでに、キリストの福音を聞いた人、神のことばが心に留まっている人、イエスを信じると告白していた人、神に招かれていた人々が、御救いの対象となります。
新しく招かれる異邦人は、起こりません。ユダヤ人の時ですから。
ユダヤ人の時には、ユダヤ民族十二部族の人々と、イエスのみことばを持つ異邦人(キリストの民)が、御救いの対象となるのです。
ふたりの証人の預言や奇蹟やしるし、また、十四万四千人のユダヤ人の世界宣教のことばに耳を傾けるのは、ユダヤ人とキリスト者だけなのです。
ほかの異邦人は、耳が塞がれており、神のことばを聞くことができません。思いが暗い彼らは、光を愛することができないのです。真理のことばを憎み、啓示を侮ります。今のユダヤ人に起こっていることが、異邦人の上に起こるのです。
「この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、(神に)立ち返り、わたし(裁き主である神が遣わされたキリスト)にいやされることのないためである。」(使徒28:26,27)
異邦人の完成の時が来て、ユダヤ人の救い(神の民の救い)の時に入ると、使徒パウロがユダヤ人に語ったことばは、そのまま、異邦人の上に成就するのです。
異邦人の救いの時には期限があります。
異邦人に御救いが開かれている今は、恵みの時です。どうか、恵みを無駄にしないでください。へりくだって、御救いのことば(イエスのことば)に耳を傾けましょう。
今は、まだ、聞く力を与えられている時ですから。