ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神が私たちを守られる

 

 「わたし(神)に聞け、ヤコブの家(アブラハムの契約を持つ、神と人と戦って勝利したアブラハムの子孫)と、イスラエルの家のすべての残りの者(神の契約〈神の御子イエス・キリストによる新しい契約の民も含む〉の民)よ。

 胎内にいる時からになわれており、生まれる前から(神の民として)運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがしらがになっても、わたしは背負う。

 わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは(あなたがたを)運ぼう。わたしは(あなたがたを)背負って、救い出そう。」(イザヤ46:3,4)

 

 霊であられる生けるまことの神は、霊によって神を知り霊によって神に仕える民にこう仰せられます。

 「異邦人の道(まことの神を知らない人々の生き方)を見習うな。天のしるし(天に現われる恐ろしい神のみわざ)におののくな。異邦人がそれらにおののいても。

 (生ける神に仕えない)国々の民のならわしはむなしいからだ。それは、林から切り出された木、木工が、なたで造った物にすぎない。それは金と銀で飾られ、釘や、槌で、動かないように打ちつけられている。

 それは、きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けないので、いちいち運んでやらなければならない。

 そんな物を恐れるな。わざわいも幸いも下せないからだ。」(エレミヤ10:2-5)

 

 「ある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、『さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。』と言われた。それで弟子たちは舟を出した。

 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹き降ろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。

 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、『先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。』と言った。

 イエスは起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。

 イエスは彼ら(弟子たち)に、『あなたがたの信仰はどこにあるのです。』と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。『風も水も、(イエスが)お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』」(ルカ8:22-25)

 

 イエスが肉のからだで、弟子たちとおられたときの話です。まだ、十字架の罪の贖いの血が流されておらず、死から復活しておられないナザレのイエスの出来事です。

 弟子たちがまだ、ナザレのイエスが神の子どもであることをわかったようなわかっていないような時の話です。

 

 弟子たちは、イエスの口から出ることばが真理であることは固く信じていました。しかし、肉のからだのイエスを見ていました。

 しかし、イエスは肉のからだにあっても、霊なる神とともにおられたのです。イエスの霊は創造主であられる父なる神とひとつであり、聖霊とともにおられました。

 イエスは知っておられました。被造物のすべては、父なる神の御手の中にあることを。また、被造物(自然)は創造主を知り、神のことばの下にあることを。

 神の霊によって語られるイエスのことばに、すべての被造物は従います。創造主と被造物とは一つなのです。これが、被造物の本来の姿なのです。

 父とひとつであられるイエスは、神のことばを語られました。すべてのものは、神のことばによって動かされます。

 

 イエスは、このようにして、弟子たちに神とともにあることがどういうことかを教えられました。聖霊とともにあり御父の中にある生き方を、弟子たちに見せられたのです。

 イエスは、イエスが神に遣わされたその目的(世の罪を取り除く神の子羊のわざ)を成し遂げて天に帰られると、父なる神が、もうひとりの助け主「真理の御霊」を、イエスの弟子たちに遣わされることを知っておられたからです。

 

 イエスは、神をよく知っておられます。そして、目に見えない神の中に安息しておられました。目に見える現象は、幻影です。存在しているように見える影なのです。イエスは影ではなく、本体(神御自身)を常に見ておられました。揺らぐことのないお方を常に見ておられたので、イエスご自身もまた揺らぎません。

 

 イエスは、地上に居ながら、天上の生き方をしておられたのです。人間は、目の前に起こるわざわいや危険を見て怯えます。しかし、神をよく知るイエスは、変わることのない神に信頼しています。

 

 弟子たちは生命の危険に動揺しました。イエスは、眠っておられました。イエスは、風と荒波の中で眠っておられました。

 イエスの生命は父なる神の御手の中にあるのです。イエスは恐れません。

 弟子たちは恐れました。風も波も治まり、なぎになると、今度は風と荒波とをしかりつけられたイエスを恐れました。

 

 神から離れた人間には恐れが伴います。神を信じながら、霊であられる神をよく知らないからです。しかし、神のことばの中にいるイエスは平安でした。

 

 神は、異邦人にも、「わたしが主であり、あなた(創造主であられる神は、異邦人であっても、ひとりひとりの名を御存じです。)の名を呼ぶ者、イスラエル(神が契約を結ぶ民)の神である。」ことを知らされます。

 

 主は、油注がれた者クロス(ペルシヤ王国の王)に仰せられました。

 「わたしのしもべヤコブ(信仰によって勝利したアブラハムの子孫)、わたしが選んだイスラエル(神の御子イエス・キリストによる新しい契約も含む「契約の民」)のために、わたし(全知全能の神、イスラエルの神)はあなた(異邦人であるクロス)をあなたの名で呼ぶ。

 あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与える。

 わたしが主(唯一の神)である。ほかにはいない。

 わたしのほかに神はいない。

 あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。

 それは、日の上る方からも、西からも、わたしのほかには、(神は)だれもいないことを、人々が知るためだ。

 わたしが主である。ほかにはいない。

 わたしは光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。

 わたしは主、これらすべてを造る者。」(イザヤ45:3-7)

 

 イエス・キリストの父なる神、生けるまことの神は、異邦人にも現われ、御自身の御力と栄光を現わされます。

 そして、神と契約を結ぶ信仰の民に仰せられます。

 

 「わたしに聞け。

 強情な者、正義から遠ざかっている者たちよ。

 わたしは、わたしの勝利を近づける。それは遠くない。

 わたしの救いは遅れることがない。

 わたしはシオン(神の霊の注がれた者)に救いを与え、イスラエル(全知全能の神の名で呼ばれるすべての者)にわたしの光栄を与える。」(イザヤ46:12,13)

 

 救世主キリストを遣わしてくださった、すべてのものの父なる神は、きよい素直な心で生けるまことの神(永遠に生きておられる霊なる神)を求める者たちを守られます。