ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の子羊によって完成される御霊の教会

 

 アブラハムの神の契約と祝福とを相続したイスラエルは、神の御計画のために造られた神の民です。神は、羊飼いのダビデに油を注ぎ、イスラエルにダビデ王を立てられました。

 ダビデはイスラエルの全集団の目の前で主をほめたたえました。

 

 「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。

 主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。

 富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。

 今、私たちの神(イスラエルの神)、私たち(イスラエル)はあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名(全知全能の生けるまことの神)をほめたたえます。」(歴代誌第一29:10-13)

 

 アブラハムに全能の神と知られていた生ける神は、神と契約を結んだ民族イスラエルに、イスラエルの神として知られていました。

 イスラエルの神はイスラエルに聖書(神のことば)を与えられました。そして、神はイスラエルを神に仕える神の祭司の国民に育て上げられました。

 

 預言者の語る神のことば(警告の預言)を信じない北イスラエル王国を怒り、神は彼らをアッシリアの捕囚とし、世界に散らされました。ユダヤ民族の十二部族のうちの十部族です。

 その後、預言者の語る神のことば(警告の預言)を信じない南ユダ王国を怒り、神は彼らをバビロンの捕囚とされました。エレミヤに語っておられた七十年の時が満ちると、神は彼らをイスラエルの地に帰還させられました。ユダヤ民族の十二部族のうちの二部族です。

 

 バビロンで神に立ち返ったイスラエル(二部族)は悔い改め、そして、神がイスラエルにくださった律法を厳格に守る民となりました。

 そして、神は、ダビデ王が神にささげた王国を治めるキリストを、ユダ族のダビデの子孫ヨセフの家に遣わされました。

 

 律法によって神に仕えるイスラエルの信仰は文字とともにありました。霊によって捉えることはできません。

 預言者たちも語り、モーセも語っていたキリストが来られたのに、イスラエルはナザレのイエスを信じることができませんでした。

 

 神は唯一です。イエスは神の御子ではありません。神はおひとりなのですから。

 ユダヤ人にとって、【イエスが神の御子である】ということがつまづきとなりました。

 

 イエス・キリストを信じるユダヤ人たちは、ユダヤの会堂から出て、神の教会を建てました。死から甦られ天に上られたキリスト・イエスがお授けになられた真理の御霊によって生まれた教会です。

 ユダヤ人たちから迫害され苦しめられた教会に、異邦人の信者が多く集まりました。異邦人の信者が増えると、教会の中で異邦人の意見がユダヤ人を上回り、ユダヤ人は教会から出て行き、異邦人のキリスト教会となりました。

 

 「神は、私たちを暗闇の圧制(死と滅びの定め)から救い出して、愛する御子のご支配(永遠のいのち)の中に移してくださいました。 

 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。

 神子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

 神子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

 また、御子はそのからだ(キリストのからだ)である教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。

 なぜなら、神は御心によって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(天から遣わされた御子イエス以外の御救いは神からのものではありません。)

 (契約のない異邦人である)あなたがたも、かつては神を離れ、心において(神の)敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、(御子イエスの十字架の贖いの血が流された)今は(父なる)神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがた(神の契約の外にあった無割礼の異邦人)を御自分(創造主であられ裁き主であられる唯一まことの神、主)と和解させてくださいました。それは(神の御子イエス・キリストを信じる)あなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。

 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台(神のことば)の上に堅く立って、すでに聞いた福音(イエス・キリストの血による罪の赦しと、死から復活されたキリスト・イエスによる聖霊のバプテスマと永遠のいのちの約束)の望みから外れることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。」(コロサイ第一1:13-23)

 

 神との契約のない無割礼の異邦人たちは、全能の神を知らなくても、十字架で罪を贖ってくださったイエス・キリストを信じる信仰を得ました。

 イエス・キリストは、神のひとり子であると教えられました。神のわからない異邦人たちは、神の御子イエスによって神と繋がりました。

 もともと神の存在を知らなかった異邦人たちは、救い主であるイエス・キリストに望みを置きました。イエスは神の御子であるから、神の偉大な力を持っておられ、私たちを天に帰らせてくださると信じました。

 

 彼らの中には、神とイスラエルとの契約を知らない人々も多くいます。聖書を信じながら、聖書に書かれているイスラエルは、神の御子イエス・キリストを信じるキリスト教会をさすと考えました。

 イエス・キリストを神の御子と信じるキリスト教会は、十字架にかかられたイエスを神に遣わされた救い主、神の御子として礼拝します。

 

 神の御子を礼拝するキリスト者の神は父なる神であって、イスラエルの神ではありません。しかし、この御救いの約束は、イスラエルとともにあります。世の終わりが近づくにつれて、使徒たちの働きを助け導いた聖霊を受ける人々が起こされてきました。

 

 聖霊が注がれると、真理の目が開かれました。光が当たっていない隠された聖書のみことばに啓示の光が照らされました。

 イスラエル(ユダヤ民族)が、御救いにとってとても重要な存在であることに気づいたのです。また、イエス・キリストの御救いの土台にはイスラエルの契約(旧約聖書)があることを悟りました。

 

 しかし、多くの教会は御霊の存在を否定しました。彼らは、聖霊の働きは使徒の時代で終わったと考えたのです。癒しも悪霊追い出しも奇蹟も信じません。それらのわざは、神ではなく、悪霊の仕業であると考えたからです。自分たちの理解できないことは信じられないのです。

 

 「あなたがた(御霊によって新しく生まれた〈新生した〉人々)のばあいは、キリストから受けた注ぎの油(御霊)があなたがたのうちに留まっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油(キリストの御霊、すなわち真理の御霊)がすべてのことについてあなたがたを教えるように、―その教えは真理であって偽りではありません。―また、その油(御霊)があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちに留まるのです。」(ヨハネ第一2:27)

 

 神は終わりの日に、聖霊を注がれます。神の御子イエスを否むユダヤ教にも、聖霊を否認するキリスト教にも、仏教や神道やイエス・キリストを信じない宗教にも、聖書を知らない人々にも。

 その時、聖書を信じる人々は真理の御霊を受けいれるでしょうか。真理の御霊は文字の信仰にではなく、生ける神への信仰によって得るのです。

 霊が開かれた人は、神からの御霊を受け取ります。ほかの宗教の中から多くの御霊の子が生まれるでしょう。彼らは、真理の御霊によって真理を悟る人々です。

 

 キリスト者たちは、イエス・キリストを告白しないほかの宗教から、天に帰る神の子どもが現われるはずはないと考えます。

 キリスト教は、【真理の御霊】につまづくのです。

  

 「偽り者とは、(十字架につけられた)イエスがキリスト(救世主)であることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者(神は聖なる神であられ鼻から息をする者が神を父と呼んではならない。また、神はおひとりであって、神の御子は存在しない、という考えの者)、それが反キリストです。

 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。(神の御子を信じる者とともに父なる神はおられ、御子を否認する者を父なる神は退けられます。)」(ヨハネ第一2:22,23)

 

 しかし、真理の御霊は、イエス・キリストを神の御子としてではなく、世の罪を取り除く神の子羊(救世主)として、ほかの宗教の人々に教え、導かれるでしょう。

 

 ユダヤ民族にイスラエルの神として現われた契約の神は、キリスト教会に神の御子イエス・キリストの父なる神として現われました。そして、世の終わりには、世の罪を取り除く神の子羊(キリスト)を遣わされた愛の神(イエス・キリストの父であり御子イエスを信じるキリスト教徒の父ではなくすべてのものの父なる神―私たちを造られた唯一の創造主―)として、すべての人々に現われるのです。

 神の契約を持つユダヤ人は神の御子イエスにつまづき、神の御子イエスを信じるキリスト者は聖霊につまずきました。

 終わりの時に神は、全世界に聖霊(真理の御霊)を注ぎ、御霊によって新しい創造を施されます。御霊によって生まれる新しい創造の人々は、罪の贖いの神の子羊(救い主)に結ばれて御救いを受けます。

 

 「もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。」(ヨハネ第一2:29)

 

 聖書を知っている、信じていると思っていても、御救いにはいっているわけではありません。神の御子イエスを知っている、信じていると思っていても、御救いにはいっているわけではありません。

 御救いは、義を行なう者とともにあるのです。それは、唯一のいのちの神の御霊を受ける者です。真理の御霊を受けた者が御救いを受けるのです。真理の御霊が永遠のいのちだからです。

 

 ユダヤ教のイスラエルは、契約のみことば(聖書)によって神を知りました。

 キリスト教会は、神の御子イエス・キリストによって神を知りました。

 しかし、御霊の教会は、真理の御霊によって真理(神)を教えられるのです。神の御子キリストを信じていなかった人々が、神の子羊を知るときが近づいています。