ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

愛を知る神の子どもたち

 

 「愛する者たち(主イエス・キリストにある兄弟たち)。私たち(神の子どもたち)は、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。(神の子どもたちの神へのしるしは御霊であり、人へのしるしは愛です。)

 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子(神の子羊イエス)を世に遣わし、その方(ナザレのイエス)によって私たちに、(永遠の)いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(御救いは神の愛によって始められ、私たちはその愛を知りました。そして、私たちは神を愛する者とされました。神の愛と私たちの愛とがひとつとなって完成します。)

 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。(神の御子イエス・キリストだけが神を見、神を知っておられるのです。)もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。(なぜなら、神は愛だからです。愛がなければ、神をあかしすることができません。)

 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。(神の与えられるひとつの御霊を飲んで、私たちはひとつのものとなり、神の子どもとされるのです。)

 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。(救い主イエス・キリストの十字架の死と流された贖いの血によって、神が愛であることをあかししています。神は御自身の最も大切なもの、ひとり子を私たちにお与えくださいました。また、聖なる神の御霊を、卑しい土の器である私たちのうちに住まわせてくださるのです。)

 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。(私たちは、神の愛を知って神に全き信頼を持つ者とされたのです。)それは私たちが、(最後の)裁きの日にも(永遠の死と滅びを恐れないで)大胆さを持つことができるためです。なぜなら、(生かす御霊を宿す)私たちもこの世にあって(神の御子)キリストと同じような者(神を「アバ、父。」と呼ぶ神の子ども)であるからです。

 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。(神の子羊イエスの御救いのみわざによって神と和解し神の中に入った者は、永遠の愛の中に入ったのです。永遠の愛のうちには、罪もなく、裁きも滅びもないのです。)恐れる者の愛は、全き者となっていないのです。(恐れる者は神の愛のうちに安らぐ者となっておらず、神とひとつとなっていないのです。)

 (神の子どもたちである)私たちは愛しています。(愛を持っています。)神がまず私たちを愛してくださったからです。(私たちは、イエス・キリストの愛によって、愛されることも、愛することも知ったのです。)

 神を愛すると言いながら(主にある)兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。(神の愛の中に安息していません。神の愛に満たされていないのです。すなわち、神とひとつになっておらず、神の全き愛の中にいないのです。)

 目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。(主イエスは、これらの兄弟たちのためにも、血を流してくださったのです。イエスは、これらの兄弟たちを私たちと同様に愛しておられるのです。私たちは、ひとつの御霊を飲んだ兄弟です。私たちのうちに住まわれる御霊は、兄弟に分け与えられた御霊とともに、私たちを愛するのと同様に兄弟たちをも愛しておられるのです。)

 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。(そのとき、愛の神が私たちのうちにおられ、私たちを覆って人間の私たちのうちに新しい創造をされたことを、世の人々も知るのです。愛によって神を知った私たちが、愛の交わりによって、世の人々に目に見えない神を現わしていくのです。)

 私たちはこの命令をキリストから受けています。」(ヨハネ第一4:7-21)

 

 神の御子イエス・キリストは言われました。

 「わたしがあなたがた(弟子たち)を愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15:12)

 

 天地万物を造られた全能の神、創造主は、御自身の「義」を、ひとり子の死によって人々にお与えになり、御自身の「聖」を、聖なる御霊(聖霊)を分け与えることで人々にお与えになられました。

  すなわち、神は御自身の義を、滅びゆく罪人を救うために、愛で全うされました。そして、神は御自身の聖を、裁かれるべき罪人を聖とするために、愛で全うされました。 

 

 神は、愛ですべてを覆われるのです。

 それゆえ、神の愛を知る神の子どもたち(神が新しく造り変え、新しく創造される新しい人々)は、神の愛の中で、神に義とされ、神に聖なる者に造り変えられるのです。

 

 神は愛です。それゆえ、神の子どもたちは、神を愛します。

 ほかの神々を信じる人々が、彼らの信じる神々との間に愛がある、と表現することがあるでしょうか。ないでしょう。神は愛する対象ではなくて、信じる対象ではないでしょうか。

 

 しかし、私たちを造られた生けるまことの神(聖書の神)は、愛を求められます。神は愛だからです。私たちは、愛によって神を知り、神を愛する者に造り変えられます。そして、神の御子イエス・キリストに似た者に造り変えられるのです。

 

 愛の神の民は、神の愛をたたえ、神を愛し、聖なる愛といのちを神にささげます。そして、ひとつの御霊を飲む兄弟たちと御霊の愛で繋がることによって、ますます、愛が深められてゆくのです。

 それが、愛の神を知る神の子どもたちの信仰なのです。