ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

殉教者の死は尊い

 

 イエスは、弟子たちに言われました。

 「人の子(イエス・キリスト)のために、人々があなたがた(イエスの弟子たち)を憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。

 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。」ルカ6:22,23)

 

 ユダヤ人の弟子たちに、神の契約の民であることを誇り、旧約の中に留まって(律法の下にいて)、イエスが神の御子キリストであることを信じず、新しい契約(神に遣わされた神の御子イエスがお与えになった、永遠のいのちの契約)を憎むユダヤ人たちが、イエスを憎んだようにイエスの弟子たちを憎み、また、イエスの弟子たちをユダヤの会堂(ユダヤ人のコミュニティ)から追い出し、イスラエルの民の中から除名し、はずかしめ、イエスの弟子たちの汚名を着せて弟子たちの名を恥ずべきものとし、彼らの家族親族やユダヤ民族の恥としてけなすとき、それらの弟子たちの名は、天において、神の国の祝福された者の名としてしるされるのです。

 

 ユダヤ人たちは、実際、イエスの弟子たちを除名し、ユダヤ人の会堂から追放しました。

 しかし、イエスは言われます。「それは、忌むべきことではない。喜ぶべきことである。」

 なぜなら、イエス・キリストゆえに迫害される弟子たちは、キリストの一部となっているからです。彼らの中にキリストがおられるので、悪魔に支配されたこの世の民は、弟子たちを憎むのです。迫害される弟子たちの苦しみは、キリストゆえの苦しみなのです。

 

 キリストゆえの苦しみには、神の報いが伴います。それは、地上の祝福ではありません。天上の祝福です。だれも奪うことのできない、とこしえの祝福です。彼らには、神の御恵みが追ってゆき、永遠のいのちが保証されるのです。

 

 イエスは、ユダヤ人の弟子たちに言われました。

 イエスのことばは、イエスが分け与えられた御霊によって、御霊の子らに語りかけられておられるようです。

 

 イエス・キリストの御霊の信仰のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを教会から除名し、「彼ら(御霊を信じるキリスト者たち)は信仰から外れた。彼らには救いはない。キリスト教会から追放されたのだから。キリスト教会に従わない彼らは、赦されない罪を犯した信仰の敗北者たちだ。彼らは忌むべき者たちだ。」とののしられ、中傷されるとき、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。

 天ではあなたがたの報いは大きいからです。

 初代教会の使徒たちも、そのように扱われたではありませんか。彼らは、イエス・キリストの御足跡を歩んだのです。

 あなたがたもまた、使徒たちの歩んだいのちの道を歩み、イエス・キリストの歩まれた御父の御心の道を歩んでいるのです。

 

 そうです。ユダヤ人たちに卑しめられ、憎まれ、十字架の死まで御父に従われた神の子羊イエスの歩まれた御救いのわざの道を歩んでいるのです。

 

 「彼ら(宮の守衛長と役人たち)が使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただして、言った。

 『あの名(十字架につけて殺したナザレのイエスの名)によって教えてはならないと厳しく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人(ナザレのイエス)の血(イエスの死)の責任をわれわれ(大祭司や祭司長たち)に負わせようとしているではないか。』

 ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。

 『人に従うより、神に従うべきです。

 私たちの先祖の神(イスラエルの神)は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、甦らせたのです。

 そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君(指導者)とし、救い主として、ご自分の右(神の御座の右)に上げられました。

 私たち(使徒たち)はそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。』

 彼ら(ユダヤ人たち)はこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。

 ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマニエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。

 それから、議員たちに向かってこう言った。

 『イスラエルの皆さん。この人々(イエスの弟子たち)をどう扱うか、よく気をつけてください。というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。

 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。

 そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たち(イエスの使徒たち)から手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。

 しかし、もし神から出たものならば、あなたがた(ユダヤ人の指導者や権力者たち)には彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。』

 彼ら(議会に集まっていたユダヤ人たち)は彼(ガブリエル)に説得され、使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。

 そこで、使徒たちは、御名(イエス・キリストの御名)のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。

 そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリスト(神が遣わされた、永遠のいのち〈真理の御霊〉をお与えになる唯一の救世主)であることを宣べ伝え続けた。」(使徒5:27-42)

 

 使徒たちは、イエス・キリストの御名のゆえに、はずかしめられるに値する者とされたことを喜びました。

 そして、数年の活動の後、使徒たちは、ユダヤ人たちに苦しめられ、迫害されて締め出され、宣教先でローマなど異邦人たちによって殺されました。

 彼らは、喜びながら、御霊とともにイエスの足跡を歩んだのです。

 

 彼らの死は、殉教の死です。イエスが死によって、多くの子どもたちを生んだように、使徒たちの死は、世界中にキリストの福音を広める力となりました。

 

 殉教者の死は、誰もが通る死とは異なります。神に献げられた尊いいのちです。

 殉教者の魂は、墓から復活し天に上げられて、子羊の婚宴に招かれます。

 彼らは、新しい天に属する人々です。

 

 普通の死のキリスト者たちは、眠ったままです。キリストがイスラエルの王として地上に来られる時、千年王国が建てられる時に、墓から甦ります。

 彼らは、新しい地に属する人々です。

 

 どちらの死者も、復活し、信仰の勝利者として、天の御国を受け継ぐ神の子どもたちです。