「主が、言われる。
見よ。(その)日が来る。
わたし(神)が、イスラエルの家(ユダヤ民族の長子ヨセフ族のいるユダヤの十部族)やユダの家(ダビデ王の家系のいるユダ族と、サウル王を出したベニヤミン族の王家の二部族)と、新しい契約を結ぶ日が。
それは、わたし(主)が彼らの先祖たち(ユダヤ民族)の手を引いて、彼らを(奴隷の家)エジプトの地から導き出した日に彼らと結んだ契約(モーセの律法)のようなものではない。(モーセの律法は石の板に書かれた文字の律法ですが、新しい律法は心の板に書きしるされる神の御霊御自身であり真理です。)
彼ら(ユダヤ民族)がわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主は言われる。(人には神の命令を守る力がないことを素直に認めて神にへりくだることをせず、頑なな心で自分たちの思いのまま歩んだので、神もまた、彼ら〈強情なイスラエル〉から目をそむけた。)
それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。
わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。
なぜなら、わたしは彼ら(イスラエル、すなわちユダヤ民族)の不義に憐れみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」(へブル8:8-12)
ユダヤ民族の掟と定め(モーセの律法)は、親から子へと教え、子から孫へと継承して来ました。
しかし、新しい律法は、ひとりひとりの心に書きつけられます。人のからだの外にあった神の律法(モーセの律法の文字)は、神の子羊キリストが授けられる生かす御霊によって、ひとりひとりの思いの中に入れられるのです。
新しい律法の教師は、真理の御霊です。
親から子へ、と伝承された初めの契約は古いものとなりました。人の介在によってではなく、神の御霊が働かれます。
アナログからデジタルに変換されるようです。
肉から霊(御霊)に移し変えられるのです。
信仰の父アブラハムは、アブラハム自身から出る相続人を与えると仰せられた神の約束の子を待ちきれずに、不妊の妻サラが夫アブラハムを父とするために与えたエジプト人の女奴隷ハガルによって、イシュマエルをもうけました。
しかし、神が約束しておられたのは、妻サラから生まれる子どもでした。女奴隷の子イシュマエルが十三歳になったとき、閉経した妻サラは八十九歳となっていました。
神は、アブラハムに現われ、妻サラに男の子が宿ることを告げられました。アブラハムは笑いました。それで、神はその子を「イサク(笑う)」と名づけるようにと仰せられました。
神に告げられたとおりに、妻サラは九十歳で、ひとりの男の子イサクを産みました。イサクは、サラの胎に宿り女から生まれた人の子ですが、神の御力によって生まれました。閉経した九十歳の死んだも同然のサラから生まれたのです。
イシュマエルは、肉の力によって生まれた奴隷の子です。
イサクは、神の約束により、神の御力によって生まれたアブラハムの契約の相続人です。
神は、御自分が結ばれたアブラハムとの契約を受け継ぐ子(アブラハムの子イサク)を、みずからアブラハムにお与えになりました。
神がアブラハムと結ばれた契約は、この世のものではありません。
神がアブラハムと結ばれた契約は、世の罪を取り除く神の子羊、また、神の御前を歩む正しい人の魂を世の滅びから救い出すキリスト(救世主)として、神のひとり子に肉体を造ってアブラハムの子孫のひとりとされる、という人知を超えた聖なる契約です。
アブラハムに、肉の子イシュマエルと、神によって与えられた約束の子イサクとがあったように、神が契約を結ばれた契約の民、すなわちアブラハム、イサクの子孫、イスラエルとの間に結ばれた契約にも、最初の血肉の契約と、キリストによって与えられた新しい御霊の契約とがあります。
最初の契約は、モーセの律法です。イスラエルは、律法の奴隷となりました。
神が遣わされた神のひとり子キリストが与えた新しい律法は、神の子羊イエス・キリストの御名を信じる人々(十字架で贖いの血を流された神の子羊イエスを、神の御子キリストであると信じる人々)のうちにキリストの御霊【生かす真理の御霊】を住まわせられるのです。
最初の契約は、文字の律法でした。
しかし、後から来た律法は、生ける神の御霊を受けるのです。生かす御霊が人を生かし、聖なるものに造り変えて、永遠のいのちを得させられるのです。
イスラエルは、神の子羊イエスの血(十字架)によって、すべての罪が贖われ、律法の違反による呪いから解放されました。
キリストがお与えになる新しい律法は、キリストご自身の御霊が信仰を持つ正しい人のうちに住まわれて、良心をきよめ、そして、罪を赦し義とした者たちを天に続くいのちの道へと導かれるのです。
ユダヤ人も異邦人もありません。神の子羊イエス・キリストにおいて両者の隔ての壁は取り除かれ、イスラエルの王キリストにあって、一つの国民(とこしえの新しいイスラエル)となるのです。
最初の律法は、人の努力を掻き立て、いよいよ律法の奴隷としてがんじがらめにしました。
しかし、キリストは、その奴隷の呪いを打ち砕き、神にへりくだって神にゆだね神に聞き従う者に造り変え、まことの自由を得させてくださいます。
最初の契約は、イスラエルを律法の奴隷としました。奴隷は、主人(神)を恐いお方として恐れました。
新しい契約は、神の愛と慈しみと恵みを知る自由人としてくださいます。キリストに自由とされたキリスト者たちは、平安と喜びに満ち神を愛する者とされます。
最初の契約は、この世で仕える「イスラエルの契約」です。世界中のすべての民族の中で、神の民として選ばれた血肉のイスラエル(ユダヤ民族)の契約でした。
新しい契約は、天の御国で仕える「とこしえのイスラエルの契約」です。血肉によるものではありません。
キリストの生かす御霊を受け、御霊によって新しく生まれ永遠のいのちを約束された、新生した新しい人、すなわち神の新しい創造を受け神の子どもとされる人々(とこしえのイスラエル)の「とこしえの契約」です。
とこしえの契約の中に入る人々は、肉体に死んでも、死から甦って、永遠に生きる新しい復活のからだの「新しい人」とされます。
新しい契約は、御霊によって新生し永遠に生きる神の子どもたちが、神の子羊キリスト「とこしえのイスラエルの王」ととこしえに結ぶ契約なのです。
神は、最初の律法の下にいる血肉のイスラエルに、新しい契約を結ばれます。
神は、彼らに聖霊を注ぎ、神がイスラエルに遣わされた神のひとり子キリストを信じなかった罪について、罪の赦しを宣言されます。すると、彼らは罪を悔い改め、キリストを信じ神を愛する、喜びに満ちた新しい人となるのです。
なぜなら、神は彼ら(イスラエル)の不義に憐れみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出されないからです。