詩篇の作者は言います。
「エルサレムよ、もし私があなた(エルサレム)を忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください。(巧みなわざを忘れさせてください。)
もし私があなた(エルサレム)を思い出さないならば、もし私がエルサレムをわが最高の喜びとしないならば、わが舌をあごにつかせてください。(ものを言うことができないようにしてください。)」(口語訳詩篇137:5,6)
この祈りはユダヤ人の心そのものでしょう。
神は、御自身のためにエルサレムを選ばれました。
神は、ダビデの子ソロモン王が建てた神の神殿を御覧になって、仰せられました。
「わたし(神)は、あなた(ソロモン)の祈りを聞いた。また、わたしのために、このところ(エルサレムの神殿)を生贄をささげる宮として選んだ。
今や、わたし(天の神)はこのところでささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。
今、わたし(神)は、とこしえまでもそこ(エルサレム)にわたしの名(天地万物を造られた聖なる偉大な神の名)を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこ(エルサレムの宮)にある。」(歴代誌第二7:12,15、16)
エルサレムを選んだのは、ユダヤ人ではなく、実は、イスラエルにカナンの地をお与えになられた神御自身なのです。
イスラエルが、エルサレムはイスラエルの首都であると思い込んでいるのではありません。天地万物を造られた全知全能の神、すなわちイスラエルの神が、エルサレムを御自分の都として選ばれたのです。
神は、アブラハムに「わたし(神)の示す地へ行け。」と命じられ、アブラハムは、神のことばに従って父の家を出て、カナンの地に入りました。
カナンの地の中にエルサレムはあります。
神は、神が造られる神の民イスラエルが父祖アブラハムの腰の中にいるときに、カナンの地にあるエルサレムを選んでおられたのです。
神は、イスラエル民族が出現するよりも先に、神の土地を定めておられました。
神は、神の土地(カナンの地)に神の民(ユダヤ民族)を住まわせ、神の御住まいである神の都(エルサレム)で仕えるようにされたのです。
神がアブラハムとアブラハムの子孫に与えると約束されたカナンの地で、サレムの王メルキゼデクがパンとぶどう酒を持って来て、アブラハムを祝福しました。
「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。
あなた(神と契約を結んだアブラハムの子孫、すなわち神の子羊イエス・キリスト)の手に、あなたの敵(神に背くもの、神の御計画を破壊する神の敵対者、すなわち悪魔の支配と権力)を渡された、いと高き神に、誉れあれ。』」(創世記14:18-20)
神に従ってカナンの地に入ったアブラム(「アブラム」は契約の割礼を受ける以前のアブラハムの名前)は、カナンの地でうごめく悪い者たちと戦って得た戦利品のすべての物の十分の一をメルキゼデクに与えました。
メルキゼデクは平和の王であり、キリスト(悪魔と戦い勝利する救世主)を生むアブラハムの子孫イスラエルも、父祖アブラハムを通してメルキゼデクに十分の一をささげたのです。
のちに、神の御子イエス・キリストは、「メルキゼデクに等しい大祭司」と呼ばれています。
メルキゼデクは、受肉前(神の子羊イエス・キリストとしてベツレヘムにお生まれになる以前)の神のひとり子がアブラハムに現われた、サレムの王(平和の王)の姿なのかも知れませんね。
エルサレムは、神の平和の町です。
神が、悪魔と戦い勝利し罪を滅ぼして永遠のいのちを得させられる神の子羊イエス・キリストに、「イスラエルの王」の王座を設けられる「神の都」です。
神は、エルサレムを選んで神の都とし、アブラハムの子孫イスラエル(契約の民)を神の祭司の民として、仕えさせられます。
なんと、そのことは、アブラハムに「わたしの示す地に行け。」と命じられたときから、定まっていたのです。
イスラエルが決めたことではありません。
天地万物を造られて神に逆らう忌む者たち(堕天使長悪魔と悪霊どもと反キリストと偽預言者と悪魔の子たちと悪魔の奴隷ども)を裁く方、また、悪者を滅ぼす権威を持つ唯一の神がお定めになったことであり、絶対主権者の神御自身が、神の契約の民イスラエルに、エルサレムをお与えになられたのです。
神は、神の名を置くために選んだ町エルサレムで、神が選ばれたしもべダビデが神の前にいつも一つのともしびを保つことを望んでおられます。すなわち、ダビデの子(キリスト)がとこしえにイスラエルの王としてダビデの王座に着くことを望んでおられるのです。
ソロモン王の不義(外国人の女をめとってはならないという、神の命令に背いて外国人の女たちを妻とした背きの罪)により、ソロモンの子の手から十部族の王位を取り上げられた神は、ダビデに免じて、ダビデの子孫に一つの部族(サウル王を輩出した王家のベニヤミン族)を与えられました。
それゆえ、ダビデ王の子孫は、ユダ族とベニヤミン族の二部族の「南ユダ王国」を治める王とされました。
神は、エルサレムにダビデの子孫が住まい、神の掟と命令を守って神に仕えることを要求されます。
ペルシヤのダリヨス王は命令を下し、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせると、「バビロンのネブカドネザル王がエルサレムの神殿から取って、バビロンに運んで来た神の宮の金、銀の器具は返し、エルサレムの神殿に運び、一つ一つもとの所に戻す。こうして、それらを神の宮に納める。」とありました。
ダリヨス王はユダヤ人たちに、ネブカドネザル王が破壊したエルサレムに神の宮を建てる工事を続けるように命じました。そして、ユダヤ人たちが天の神になだめのかおりをささげ、(ダリヨス)王と王子たちの長寿を祈るように命じたのです。
ダリヨス王は命令を下しました。
「エルサレムに(天の神の)御名を住まわせられた神は、エルサレムにあるこの神の宮を破壊しようとして手を出す王や民をみな、くつがえされますように。
私ダリヨスは命令を下す。まちがいなくこれを守れ。」(エズラ6:12)
ペルシヤの王アルタシャスタの治世に、王は、祭司であり天の神の律法の学者であるユダヤ人のエズラに手紙を与えました。
「王の王アルタシャスタ。天の神の律法の学者である祭司エズラへ。私は命令を下す。私の国にいるイスラエルの民、その祭司、レビ人のうち、だれでも自分から進んでエルサレムに上って行きたい者は、あなたといっしょに行ってよい。
(エルサレムの)天の神の宮のために、天の神によって命じられていることは何でも、熱心に行なえ。(天の神の)御怒りが(ペルシヤの)王とその子たちの国に下るといけないから。」(エズラ7:12,13,23)
ペルシヤの王たちは、エルサレムに住まわれる神が、全地全能の天の神であることを認め、恐れていました。エルサレムに天の神が住まわれ、イスラエルの祭司たちがエルサレムの天の神に仕えなければならないことを悟っていたようです。
現在のエルサレムはどうでしょうか。アブラハムが契約を結んだ天の神の神殿はありません。イスラムのモスクが建っています。アラブ人の神が祀られています。
神の子羊の贖いの血を拒む(神の御子イエス・キリストを信じない)イスラエルは、神の和解を受け取っておらず、神との平和を得ていません。
神との平和のないイスラエルは、平和の町エルサレムを得ることができません。
天の神が選ばれたエルサレムの神の神殿は、神の選びの民イスラエルから取り上げられています。
ペルシヤの王たちが、天の神の御怒りが下ることのないように、イスラエルがエルサレムの天の神をなだめ、また、自分たちの長寿のために祈るように、との命令はどうなったのでしょうか。
かつて、ユダヤ人たちは、エルサレムに天の神の神殿を建て、神に仕えました。
エルサレムに神の神殿があり、ユダヤ人の祭司たちが生贄をささげ、レビ人たちが神の神殿で仕えているイスラエルに、神の御子イエス・キリストが遣わされました。
イエスは、ユダヤ人たちの間を歩まれ、真理のことば(神のことば)を教えられました。そして、エルサレムが包囲され神の神殿が破壊されること、また不信仰な神の羊(ユダヤ人)たちは諸国に散らされることを告げられました。
神の祭司の民ユダヤ人たちは、神の子羊イエスをエルサレムで屠りました。世の罪を取り除く神の子羊イエス・キリストの血は、天の神の御名がつけられた神の都エルサレムの地に流されました。ソロモン王に仰せられたように、神がエルサレムを生贄をささげる神の宮として選ばれたからです。
墓に葬られた神の子羊イエスは、エルサレムで復活しました。神の御子キリスト・イエスは、エルサレムで罪の贖いの血を流し、エルサレムに葬られ、エルサレムで死から甦られました。そして、天に上られたキリストは、エルサレムに集まる弟子たちの上に聖霊のバプテスマを授けられました。
神が遣わされた「もうひとりの助け主(聖霊、すなわち真理の御霊)」が最初に遣わされた場所も、神の都エルサレムでした。
イエス・キリストは、弟子たちに「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束〈もうひとりの助け主を遣わす〉を持ちなさい。」と言われていました。
天の神の御心は、エルサレムから離れることがありません。エルサレムには、天の神の御名が置かれているのです。
終わりの時に、再びユダヤ人たちの手によって、エルサレムに天の神の神殿が建てられることでしょう。
神の御子イエス・キリストに敵対し神に反逆する悪魔は、悪魔が権威を与えた反キリストと偽預言者のふたりを立てて、ユダヤ人たちがエルサレムに建てた神の神殿を悪魔の宮とし、人々に悪魔礼拝をさせて世界を支配します。
反キリストと偽預言者は心を一つにして、神と契約を結ぶユダヤ民族とキリスト者たちを殺戮します。しかし、その期間は、天の神によって三年半の間と定められています。
悪魔に与えられた三年半の期間が満ちると、悪魔は世界中を行き巡って世界中の王たちをイスラエルのメギド山(ハルマゲドン)に集めます。
天からキリストとキリストに贖われた神の子どもたちがやって来て、地上の王たちを滅ぼし、反キリストの国(イスラム国)を絶滅します。
永遠に生きておられるキリストは、世を惑わした忌むべき反キリストと偽預言者のふたりを生きたまま火の池に投げ込まれます。
また、キリストは、悪魔を縛り、千年の間働けないように、底知れね穴に閉じ込めて封印されます。
こうして、悪魔が働く現在の世界(真理を喜ばない闇の世)は終了します。そして、平和の王イエス・キリストが治められる千年王国が始まるのです。
神が御名を置かれたエルサレムにユダヤ人たちが建て、その後、自分を神とする反キリストが立って悪魔の宮とした、汚れたエルサレムは破壊されました。
神は、神のみもとから(天から)新しいエルサレムを降ろされます。イスラエルの王キリスト・イエスが住まわれる聖なる都エルサレムが地上に下って来るのです。
聖なる神、永遠に生きられるイスラエルの王は、人間の手で造った神の都には住まわれません。
人間の手で物質的に造られた、現象のエルサレムは取り除かれて、霊のエルサレムが置かれます。
キリストの血によって贖われ、神のためにいのちをささげたきよい魂によってかたち造られた、とこしえの神の御住まいです。
残りのユダヤ人のすべてが救われます。イスラエルは神と和解し、エルサレムは平和の都となりました。
平和の町エルサレムは、イスラエルの王として来られる神の子羊イエス・キリストのために、神御自身(神の御霊)によって完成されるのです。
神の民イスラエルの手に完全に渡されていない現在のエルサレムは、霊的に見れば、まことの相続人、すなわち神が定められた所有者(アブラハムの子孫である神の民)を失った廃墟のようなものでしょう。
神は、イスラエルの先祖と結んだ契約を覚えておられます。神は、御自身の御住まいをエルサレムに選ばれ、「とこしえのイスラエル」(神と契約を結んだアブラハムの血肉の子孫のユダヤ民族と、アブラハムの信仰の子孫〈神の御子イエス・キリストの御霊とともにある人々〉)を相続者とされます。
永遠に生きておられるイエス・キリストは、悪魔のしもべの反キリストと偽預言者を滅ぼすとともに、罪の世を終わらせます。そして、罪を誘惑する悪魔のいない世界を地上に建てられます。
イスラエルの王「神の子羊イエス・キリスト」は、イスラエルに約束された相続地(ユーフラテス川からエジプトの大川まで)をイスラエルに与え、争いのない、平和な世を実現されるのです。
イスラエルの神「天の神」とイスラエルの王「天の神のひとり子イエス・キリスト」は、神がお定めになられた神の愛される聖なる都「エルサレム」(仮庵)にお住まいになられます。
地上のエルサレムが存在するのは、地上に神の国が建つことの証であり、また、地上の仮庵(千年王国のエルサレム)は、天の御国が存在することの証なのです。
エルサレムは、神が御自身のために選ばれた「神の都」であり、天の神(天地万物を造られた唯一の神)の御名が置かれたところです。
エルサレムの神の神殿を破壊した民、天の神の御名が置かれたエルサレムを汚し神の御名を汚した民は、必ず、神が滅ぼされます。