ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

天使よりすぐれた新しい人

 

 「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々(神の子羊イエス・キリストのしもべたち)に仕えるため遣わされたのではありませんか。」(へブル1:14)

 

 「神は、(御霊によって新しく創造される神の子どもたちの)長子(神のひとり子イエス・キリスト)をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。

 『神の御使いはみな、彼(神の子羊として地上に遣わされた人の子〈ナザレのイエス・キリスト〉)を拝め。」(へブル1:6)

 

 ナザレのイエスは、罪の贖いを流し、世の罪を取り除く神の子羊キリストとして、この世界に来られました。神の御救いの御計画のために、神に遣わされたナザレのイエスは、肉体を持つ神のひとり子の「人の子」の姿でした。

 

 神のひとり子は、神格を持つ方であり、神の主権の相続者です。天にあるものはみな、主権を相続する神のひとり子に仕えていました。

 

 神は、罪人の罪の呪いを身代わって受ける生贄の子羊として、罪人の御救いのために、神のひとり子に肉体を造られました。神のひとり子は生贄の子羊として、地上に遣わされました。神の祭司の国民イスラエルに屠られるために、イスラエルに遣わされたのでした。

 

 神のひとり子は、「人の子」としてこの世界に来られました。

 

 「御子(神のひとり子)は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われ(神格者)であり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。

 また、(御自身の血で)罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者(天の神)の右の座に着かれました。

 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名(主権の相続者としての光栄)を相続されたように、それだけ御使いよりもまさる者となられました。(御子の神格は明らかにされて、悪魔が妬むことは愚かな罪であるとされました。)」(へブル1:3,4)

 

 神は、背きの天使長の妬みを横目に、天から追放した悪魔にはっきりとわかるように、神みずから、御子を万物の相続者とし、また御子によって、世界(悪魔のいる闇の中に天地万物)を造られました。

 

 このことは、ダビデの子アド二ヤとソロモンのことを連想させますね。

 ダビデの子らの中で、ソロモンが王位を受け継ぐことは決まっていました。神から出た事です。

 ところが、そのことを不満とするアド二ヤは、野心を抱き「私が王になろう。」と言って謀反を起こしました。アド二ヤを支持する祭司も現われました。

 アド二ヤは、エン・ロゲルの近くにあるゾヘレテの石のそばで、羊、牛、肥えた家督を生贄としてささげ、ダビデ王の子らである自分の兄弟たちすべて(ソロモンは招かなかった)と、王の家来であるユダのすべての人々を招きました。

 王の子らと将軍たちと、祭司エブヤタルは、アド二ヤの前で飲み食いし、「アド二ヤ王。ばんざい。」と叫びました。

 

 しかし、この事は、ダビデ王から出たことではありませんでした。その事を知ったダビデ王は、祭司ツァドクと預言者ナタンに命じました。

 「あなたがたの主君の家来たちを連れ、私の子ソロモンを私の雌らばに乗せ、彼(ソロモン)を連れてギホンへ下って行きなさい。

 祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこで彼(ソロモン)に油を注いでイスラエルの王としなさい。そうして、角笛を吹き鳴らし、『ソロモン王。ばんざい。』と叫びなさい。

 それから、彼に従って上って来なさい。彼(ソロモン)は来て、私の王座(ダビデ王の王座)に着き、彼が私に代わって王となる。私(ダビデ)は彼(ソロモン)をイスラエルとユダの君主に任命した。」(列王記第一1:33-35)

 

 エホヤダの子ベナヤが(ダビデ)王に答えて言った。「アーメン。王様の神、主も、そう言われますように。主が、(ダビデ)王様とともにおられたように、ソロモンとともにおられ、彼の王座を、わが君、ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」(列王記第一1:36,37)

 

 ダビデ王がソロモンを自分の王座に着かせたことを知ったアド二ヤの客たちはみな、アド二ヤの王位はダビデ王から出たものでなかったことを知り、身震いして立ち上がり、おのおの帰途につきました。

 

 ダビデが彼の先祖たちとともに眠り、ダビデの町(ベツレヘム)に葬られて後、ソロモン王は、エホヤダの子ベナヤを遣わして、謀反を起こしたアド二ヤを打ち取らせたので、アド二ヤは死にました。

 

 天地万物を造られた天の神に仕える祭司の国民イスラエルの中では、神の定められた掟や神の御旨に反することは許されません。この世の国々の扱いとは異なります。

 天の主権に反逆した天使長が天から追放されたように、イスラエルの神の主権に反逆する者は必ず死ななければなりません。

 

 神の主権は絶対なのです。天においても、地においても、そうなのです。

 御子は肉体にある間、御使いよりも劣ったものとなられました。しかし、神は、御使いに命じられました。

 「神の御使いはみな、彼(ナザレのイエス)を拝め。」

 御使いは仕える霊であって、神のことばに聞き従います。

 

 聖書にはこのように書いています。

 「御使いについては、『神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。』と言われましたが、御子については、こう言われています。

 『神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖(主権を相続する神のひとり子)こそ、まっすぐな杖です。(主権は、御子からほかに移ることがありません。) 

 あなた(天の神)は義(絶対主権者であられる神のことばの中に留まる正義)を愛し、不正(神のことばに反する事)を憎まれます。

 それゆえ、神よ。あなた(神の子羊イエス)の神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者(御使いたち)にまして、あなた(御子)に注ぎなさいました。』(へブル1:7-9)

 

 「ですから、(神のひとり子イエス・キリストを信じる)私たちは聞いたこと(キリストの福音、すなわち神の御子イエス・キリストによって与えられる御救いの約束と永遠のいのち)を、ますますしっかり心を留めて(キリストの御救いをたたえ喜びに満たされて)、(スピリチュアルなことばに)押し流されないようにしなければなりません。

 もし、御使いたちを通して語られたみことばさえ(ヨハネの黙示録も聖書も御使いたちを通して語られました。)、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けた(御使いたちを通して与えられたこれらの神のことばに違反するならば、神はその違反者を罰せられました。その事は、ユダヤ民族の歴史で明らかにされています。)とすれば、(神の御子イエス・キリストの血による罪の贖いと、キリストの御霊による永遠のいのちの約束と、信仰による永遠の御救いの契約を信じる)私たちがこんなにすばらしい救い(の約束)をないがしろにした場合、どうして(永遠に燃え盛る火の池のさばき)をのがれることができましょう。」(へブル2:1-3)

 

 神は、神の子羊イエスの血に御救いを見る者たちを義とせられ、生かす真理の御霊によって新しく創造される、「神の御子イエス・キリストをかしらとする新しい人(神の子どもたち)」を、神のひとり子の兄弟とし、キリストとともに天の御国を相続する者とされるのです。

 

 神の御国を相続する神の子どもたちである私たちは、御使いよりも高く上げられます。

 神に忠実に仕えている御使いよりも高く上げられるならば、ましてや、天から追放された堕天使においては尚更です。

 闇に追いやられた堕天使たち(宇宙人)は、神のひとり子の主権に逆らった反逆の被造物であって、天に帰ることができません。

 また、霊なる彼らは、子羊の血の贖いを受けることができません。なぜならば、肉体を持つ人ではないからです。

 彼らの罪が贖われるために、千年王国で彼らは肉体の中にはいり、女から生まれる者として、人の人生を経験することでしょう。

 

 人は、天から追放された闇の生命体、宇宙人と呼ばれる堕天使たちを支配する者なのです。

 

 霊だからといって、また、人の知らない高い知識を持つからといって、騙されてはいけません。

 

 「(神に罪が贖われる)子たちはみな血と肉とを持っているので、主(神のひとり子)もまた同じように、これらのもの(血と肉)をお持ちになりました。これは、その死(贖いの死)によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

 主(神のひとり子イエス・キリスト)は御使いを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫(アブラハムの血肉の子孫と信仰の子孫)を助けてくださるのです。」(へブル2:14-16)