ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

罪に定められないために

 

 聖書には、キリストを信じる神の教会の中に、神を恐れない不敬虔な者、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちがひそかに忍び込んで来ることが書かれています。

 彼らは、裁きにあうと昔から前もってしるされている人々です。

 

 ユダは言います。

 「あなたがたは、すべてのことをすっかり知っているにしても、私(ユダ)はあなたがたに思い出させたいことがあるのです。

 それは主が、(イスラエルの)民を(奴隷の家)エジプトの地から救い出し、次に、信じない人々を滅ぼされたということです。(神は、イスラエルを奴隷の世から救い出して神の民とされましたが、荒野で神を信じない神の民を滅ぼされました。エジプトから連れ上られて実際に約束の地に入った成人男性は、神に信頼するヨシュアとカレブのふたりだけでした。)

 また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたち(御使いの立場に留まらず、神よりも高くなろうとして高ぶった悪魔と悪霊ども、堕天使たち)を、大いなる日のさばき(最後の裁き)のために、永遠の束縛をもって、暗闇の下に閉じ込められました。(彼らは、永遠に全き光に帰ることができません。彼らには、永遠の火の池のさばきが定められています。)

 また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。(神は、神を侮る者、聖なる神をけがす者、不敬虔な者、神に背く不義の人々へのみせしめに、それらの生き方を続けるならば、天からの火で一夜で滅びたソドムとゴモラのような結末が待っていることを明らかにしておられます。)」(ユダの手紙5-7)

 

 「この人たちは、自分には理解もできないことをそしり、わきまえのない動物のように、本能によって知るような事柄の中で滅びるのです。」(ユダの手紙10)

 この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な知識にあやまられて(翻弄されて)、自らの滅亡を招いている。(口語訳)

 

 「彼らは、あなたがたの愛餐に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしている。」(口語訳ユダの手紙12)

 神に心のない彼らは、罪を贖う神の子羊イエスの肉と血を記念する、パンとぶどう酒の聖餐式に恐れげもなく加わりますが、彼らは愛餐のしみです。

 

 「(彼らは)自分の恥のあわをわき立たせる海の荒海、さまよう星です。真っ暗な闇が、彼らのために永遠に用意されています。(自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた高慢な御使いたち〈悪魔と悪霊ども〉と同じ運命を辿ります。)」(ユダの手紙13)

 

 御救いを得るためには、信仰のために戦わなければなりません。聖徒たちが御救いを得るのは、真理の御霊を選ぶことによります。世に属する者は、真理の御霊を否定し、逆らい、あしざまにするでしょう。しかし、私たちは、真理の御霊の細き声を頼みとし、真理を手放してはいけません。

 

 「アダムから七代目のエノクも、彼ら(愛餐のしみ)について預言してこう言っています。

 『見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。(エノクは、終わりの時代に起こる千年王国を、神から知らされていたようです。)

 (私たちの主キリストは、)すべての者にさばきを行ない、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさいと、また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。(彼らは、決して千年王国の都の門の中に入ることが許されません。彼らの名前は決して「いのちの書」に記されることはないのです。)』

 彼らは(不満を)ぶつぶつ言う者、不平を鳴らす者で、自分の欲望のままに歩んでいます。その口は大きなことを言い、利益のためにへつらって人をほめるのです。」(ユダの手紙14-16)

 

 かつて、神は、イスラエルを奴隷の家エジプトから救い出されて、荒野で不敬虔な者ども(神を信じない人々)を滅ぼされました。そして、神に従う神の民(聖徒ら)を約束のカナンの地に導き入れられました。

 

 終わりの日に、神は、とこしえのイスラエルを奴隷のこの世から救い出されて、仮庵(千年王国)で神を信じない不敬虔な人々を罪に定められます。そして、真実な聖徒たち(七つの御霊の教会)を、神がキリストとともに相続させると約束された天の御国に導き入れられるのです。

 

 使徒ユダは、私たちに語っています。

 「(罪に定められる)この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。

 しかし、愛する人々よ。(神の真実な聖徒たちよ。)あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。」(ユダの手紙19-21)

 

 口語訳では、このように訳されています。

 「(愛餐のしみの)彼らは分派をつくる者、肉に属する者、御霊を持たない者たちである。

 しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目当てとして、私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。

 疑いをいだく人々があれば、彼らを憐れみ、(滅びの)火の中から引き出して救ってやりなさい。また、そのほかの人たちを、おそれの心をもって憐れみなさい。しかし、肉に汚れた者に対しては、その下着さえ忌み嫌いなさい。」

 

 私たちは、私たちを守ってつまづかない者とし、また、その栄光の前に傷なき者として、喜びのうちに立たせてくださる方、すなわち、私たちの救い主である唯一の神を、いつも、思っていましょう。

 

 私たちが目指しているのは、神が得させてくださる永遠のいのちです。

 

 「いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。

 信仰の導き手であり、またその完成者(信仰の完成者)であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。

 彼(イエス・キリスト)は、自分の前に置かれている喜び(神の光栄)のゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に至ったのである。

 あなたがたは、弱り果てて意気そそう(意気消沈)しないために、罪人らのこのような(十字架にかけるに至るまでの、神の御子イエスへの)反抗を耐え忍んだ方(イエス・キリスト)のことを、思いみるべきである。」(口語訳へブル12:1-3)

 

 耐え忍んだイエスは、神に、死から甦らせられました。信仰を全うしたイエスは、死に勝利したキリストとなられました。

 耐え忍んで信仰に勝利する人々は、永遠に生きる神の子どもとされるのです。永遠のいのちを目当てとして、最後まで、イエスの御足跡を辿ってまいりましょう。

 信仰者には、神が御使いを送り、御使いに仕えさせておられます。また、キリストの生かす御霊によって、日々新しくしてくださいます。

 

 真理の御霊にへりくだる人は、御霊に真理を教えられ、イエスのことばを思い起こされます。信仰の導き手の御霊がともにいてくださるのです。