ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

さざれ石

 

 日本の国歌の「君が代」にさざれ石が出て来ます。

 「君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」

 

 古今和歌集巻七・賀歌に、「わがきみは千代にましませ さざれ石の巌となりて苔のむすまで」という歌があり、この歌からのものらしいです。

 

 古今和歌集の歌の意味は、「あなたは、千年も幾千年も長生きしてください。小さな石が集まって大きな岩となったさざれ石のように大きな岩となって、苔がむすほどに、長きものとなり不動のものとなってとこしえまで」

 

 子どもの頃から国歌斉唱のときにみなで斉唱する国歌であり、日本国民のだれもが知っている「君が代」ですが、意味を知って歌っていたのではありません。

 意味を知ったのは、大人になってからです。

 

 国歌ですから、古今和歌集の歌の「あなた」を、日本国と捉えることもできますし、日本で「君」と呼ばれる方、天皇をさしていると捉えることもできます。

 また、日本国旗に描かれた太陽の赤丸に象徴される天照大御神(日本代表の神)とも言えます。

 

 日本の神「天照大御神」の子孫であられる天皇の治められる世(日本国)が、千年も幾千年も続きますように。ひとりの天皇の治世は寿命によって限られていますが、代々にわたって天皇家が存続し、幾世代もの天皇の、おひとりおひとりの思し召しが一つとなって、国家安寧と国民の幸福と世界平和とが築き上げられ、神に仕える神(天照大御神)の子孫の天皇家を中心に、天皇の庇護のもと国民が集まり、神のみ旨を心に据えた神の民となり、だれにも動かされることなく、苔が生え全体が苔でおおわれるほどに、幾千年も変わらずありますように。

 

 ひとり一人は小さな石でも、国民がみな、天照大御神のもとで、神の臣民として一つの国民となるならば、みなの力が集まって、大きな大きな巌となる。そして、幾千年にも及ぶ堅固な国家を築き上げることができる。

 

 日本人は、小さな石の力を知っていたようです。一つ一つは小さな石でも、一つに固まれば、大きな大きな巌となります。

 

 昔のお城の城壁に、野面積みがあります。自然の形のままの石を積み上げる積み方です。自然のままのかたちなので、石と石との間に隙間ができます。その隙間に、小石を詰めて全体が崩れないように、堅固な強度に仕上げるのです。この小石のことを「間詰石(まづめいし)」と言うそうです。

 

 現在残っている城壁が、地震にも強くて、なおも立ち続ける姿に恐れ入ります。その城壁は、大きい石によってのみ支えられているわけではありません。小さな小石「間詰石」が大きい石の間で、支え続けています。間詰石がなければ、大きな地震で容易く崩れ落ちたことでしょう。

 

 昔の日本人は、大きな石を立派とし、小さな石を卑しめることをしませんでした。すべての石を大事と考えていたのでしょう。

 

 あるユダヤ人が日本の政治に驚きの声をあげました。これと言って、卓越した指導者がいるわけではないのに、日本はまとまっている。まるで、立派な政治家がいるようだ。日本人はひとりひとりがすぐれており、立派な政治家が治めていなくても、まるで、日本人はひとりひとりが政治家のようである。

 日本人は、政治に天才的な国民だ、と言うのです。

 

 日本国には、さざれ石の思想があるのでしょう。ひとりひとりの知恵が集まり、知識が集まり、国家を形成している。ひとりひとりが国家として存在しているのです。

 立派な大きな石を求めなくても、日本人の心に据えられた、助け合い、思いやり、「おかげさまで」という意識に隠れた目に見えないものへの感謝と、自然から学び、自然を敬い愛する心、自分と他者、自分と自然や目に見えないものと和合する心が集まって、大きな巌となるのです。

 

 「お天道さまが見ているよ。(目には見えないけれども、見ておられる神がいるよ。)」は、日本人の物差しでした。いにしえの日本人の善悪の物差しは、神だったのです。

 

 日本人のDNAには、おそらく、その記憶があるのでしょう。ひとりひとりは弱くても、みなが心一つにして助け合えば、大きな山(問題)をも動かせます。

 

 今日は、終戦記念日です。戦没者のすべてが死者の国に行っているのでなく、自分が亡くなっていることが理解できずにさまよっている人々もおられるでしょう。

 どうか、国が起こした戦争のために命を失った方々の霊を慰めて差し上げましょう。

 

 ひとりひとりの日本人は、天皇のため、国のために戦ったように思われていますが、究極のところ、自分の父母兄弟姉妹を守るため、家族が安心して暮らす世を実現するため、自分の大切な人のために命を差し出したように思います。

 

 このような、自分の大切な人のために戦う人々の思いが一つとなって、日本国民はひとつとなったのでしょう。小さな石が集まりさざれ石となったのです。

 

 私は、先の戦争の戦没者の魂に語りかけます。

 「日本国は今、みなさんの犠牲によって、平和を得ています。今まで、戦争を知らない世代を生み続け、経済的豊かな国づくりがなされて来ました。あなたがたの犠牲を無駄にはしません。戦争は正しいものであるとは言えません。戦争は良い結果を生むことがありません。

 どうか、国のために犠牲となられたあなたがたは、いのちを造られた神にその目の涙をぬぐっていただき、悲しみも、叫び声も、苦しみも、重荷をおろしてください。」

 

 「神は、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』と仰せられます。

 あなたがたを休ませてくださる神がおられます。どうか、神のもとにお帰りください。そして、慰めを受けられますように。

 この地上には、もう、あなたがたの父母兄弟姉妹、友人のほとんどはおられません。どうか、神の御使いが導かれる霊の場所に行って、懐かしい方々とお会いになり、あなたがたの大切な人々と懐かしい時を過ごされますように。」

 

 「あなたがたの青春をありがとう。あなたがたのいのちをありがとう。もう、戦いは終わっています。安らかでありますように。

 日本の国から、世の終わりの救い主が現われると言われています。これから、日本国は、新しい神の国のための戦いが始まります。神の報いを伴う戦いです。

 どうか、世界の救いのために、日本人が立ち上がることができるように、お祈りください。

 ひとりひとりの力は小さいですが、神に心を合わせるならば、悪魔に勝利するさざれ石になることでしょう。」