神に造られた最初の人、アダムとエバは神のことばから外れて、エデンの園から追放されました。
神は、人に命じられました。
「園の中央にある木(善悪を知る知識の木)から(実を)取って食べてはならない。」
しかし、人は神の命令に従わずに善悪を知る知識の木から取って、その実を食べて神から離れ、「私」という自我を持つ者となりました。
神のことばの中にいた人は、神とひとつのものでした。しかし、神のことばに背くと、人は死にました。すなわち、神のことばから外れた人は、いのちの神から外れてしまったのです。
いのちの神と繋がるものは永遠のいのちです。いのちの神から外れたものは永遠の死です。なぜならば、永遠のいのちから切り離されてしまったからです。
エデンの園から追放された人は、木の幹から切り離された枝のようです。花は咲かせますが、やがて枯れに枯れて朽ちてしまうのです。それは、木のいのちと繋がっていないからです。そして、枯れた枝は集められて、火で焼き尽くされます。
神のことばから外れた人のうしろには、死の国がつき従います。人は、神から離れて光を失い、死の闇の中に入りました。
闇には、死と滅びが定められています。闇は光に敵対するもの、神を憎み、神に反逆するものだからです。
闇は、神に反逆して天から追放された堕天使たちの住まいです。悪魔と悪霊どもの世界です。神は、決して悔い改めることのない悪魔と悪霊どもを滅ぼすことを決めておられます。神は、闇を滅ぼされます。そして、闇を永遠に燃やす、火の池を用意しておられます。
それゆえ、闇には滅びが定められています。闇(この世)の中に生まれ、闇の中で死んで行く人は、死と滅びが定められた人間です。人はみな、生まれながら、死と滅びが定まっています。それは、人が神のことばから外れて、闇(悪魔の誘惑)を愛したからです。
闇は罪(神に逆らい背く罪、神を侮り神を尊ばない罪、神を信じない不信の罪、神が真実な方であることを信頼しない不信仰の罪など)の世界です。
聖にして義なる神は、罪を滅ぼされます。
神はすべてのものを造られた全能の神です。目に映るすべてのものは神が造られた被造物です。人は神の被造物を加工しているにすぎません。所有は、天地万物の創造者であられる天の神にあるのです。
神は、ノアの時代に、御自身が裁く神であることを知らされました。
神を神とせずに神に高ぶり暴虐に満ちた世を大水で滅ぼされました。
神は、人が生まれつきのままに生きるならば、その先は、死と滅びであることを御存じです。人は罪(自分が神とひとつではないこと)を知り、罪を悔い改めていのちの主に立ち返らなければなりません。
罪の報酬は死であり、死には裁きが伴います。死はいのちの主(創造主)から離れたもののあかしです。いのちの主と繋がるものは死にません。いのちの主と繋がり、生かすいのちを常にいただいているからです。
神は、神を恐れるノアを選び、闇の世から救い出されました。神のことばを信じて神のことば(神の命令)に従い、箱舟を造ったノアとノアの家族を、大水で滅びる世から、救い出されました。
ノアは、神は真実な方であると信じて畏れていました。神は、神を恐れる正しい人に命令を下されます。最初の人アダムは、神の命令に背き、神のことば(いのちの主)から外れて、いのちを失いました。霊的に死んだのです。それで、神がわからなくなったのです。
ノアは、信仰により、神の命令に従って箱舟を造り、いのちを得ました。
神を目で見、耳で聞いていたアダムが神から外れ、神を見ることのできないノアは信仰によって神の命令に従い、神のことばに繋がりました。
大水で一掃された世に、ノアの三人の息子夫婦から生まれた人々によって、新しい世がスタートしました。
しかし、罪の性質を持つアダムの子孫(すべての人間)は、ノアのようではありません。神を恐れないし、神を知ろうともしません。やがて、大水できよめられた地上に悪がはびこり、罪が蔓延しました。
しかし、神は、地上に神を恐れる者を残されました。神は、ノアの子セムの子孫アブラハムと契約を結び、地を火で滅ぼすことを告げてその滅びから救い出すキリスト(救世主)をアブラハムの子孫に与えることを約束されました。
ノアに箱舟を造るように命じられた主は、アブラハムに世界を治める王を与えることを約束されました。そして、割礼を受けるように命じられました。
神との契約の割礼を受けるアブラハムの子孫イスラエルは、神と契約を結んで神の祭司の国民とされました。神は、イスラエルに神の律法(モーセの律法、すなわち聖書)を与え、律法を守るように命じられました。
神の律法が与えられたイスラエルは、神が選ばれた神の住まいである神の都エルサレムで、神に仕える国民とされたのです。
そして、神は、アブラハムの子孫イスラエルに、イスラエルの王ダビデを立てられました。神は、ダビデ王の系図に神のひとり子を「人の子(イエス・キリスト)」として、処女から生むことを定めておられたのです。
神に遣わされた神のひとり子は、神の子羊として、世の罪を取り除くために、贖いの血を流さなければなりません。
神が立てられた神の祭司の国民イスラエルは、神が天から遣わされた罪の贖いの子羊(ナザレのイエス)を罪の生贄として、木にかけて屠りました。
神の子羊の血は、世の罪を取り除くために流されました。
神の子羊イエスは、神が、火の滅びから救い出すために用意された御救いです。
ノアの時代、神の命令に従って箱舟を造ったノアの家族は、箱舟に入って、大水の裁きから救い出されました。
終わりの時代、神の命令に従って、神が遣わされた罪を取り除く神の子羊イエス・キリストを救い主と信じイエス・キリストのことばに従う者は、火の裁きから救い出されます。
神の御子イエス・キリストは、神の家を裁く主でもあります。神の家の裁きの主権を、神は神のひとり子にお与えになられたからです。
そして、裁きは神の家(キリスト教会)から始まると、聖書に書かれています。
「キリスト者として苦しみを受けるなら(イエス・キリストを信じる信仰によって迫害され苦しみを受けるのなら)、恥じることはありません。かえって、この名(私たちが誇りとする救い主イエス・キリストの御名)のゆえに神を崇めなさい。
なぜなら、裁きが神の家から始まる時が来ているからです。裁きが、まず私たち(キリスト者)たちから始まるとしたら、神の福音に従わない人たち(神が遣わされた唯一の救い主イエス・キリストを信じず、「神の御子キリストに従え。」との神の命令に背く人々)の終わりは、どうなることでしょう。
義人(神が遣わされた唯一の救世主〈神の御子イエス・キリスト〉を信じる者)がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人(罪に定められる悪者)たちは、いったいどうなるのでしょう。」(ペテロ第一4:16-18)
「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの名を信じ(十字架にかかられた神の子羊イエスが神の御子キリストであることを信じ)、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うこと(神の契約の民でありイエス・キリストを生んだユダヤ民族、すなわちイエス・キリストの兄弟であり同胞であるユダヤ人と、イエス・キリストを神の御子救い主と信じるキリスト者、また、神の聖徒同士が互いに愛し合うこと)です。
神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった(もうひとりの助け主、真理の)御霊によって知るのです。」(ヨハネ第一3:23、24)
裁く神も、救う神も、同一の神、すなわち、父なる神と子なるイエス・キリストと聖霊の三位一体の「天の神」です。