ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

とこしえのイスラエルの律法は「真理の御霊」

 

 アブラハム、イサク、ヤコブの子孫は、四百年間、エジプトの奴隷でした。彼らは、エジプト人にへブル人と呼ばれていました。へブル人はユダヤ人のことです。

 ヤコブの一家がエジプトに移り住み、エジプトの地で増え広がり、成人男子だけでも六十万人というユダヤ民族が生まれました。

 

 神は、ユダヤ人のモーセを立て、ユダヤ民族を奴隷の家エジプトから連れ出し、先祖の地(父祖アブラハム、イサク、ヤコブの眠るカナンの地)に入れるために、荒野へと導かれました。

 

 神は荒野で現われ、ユダヤ民族を、神の民とするという、契約を結ばれました。神は、神の民を「イスラエル」と呼び、御自身を「イスラエルの神」と名乗られました。

 神は、神の民に、神の律法を授けられました。神は、イスラエルを選び、御自身の祭司の国民として、彼らが守るべき律法(モーセが山から切り出した石に、神御自身の指で書かれた十戒)と様々な掟と定めとをお与えになりました。

 

 神が選ばれたアブラハムへの契約のしるしは、割礼でした。それゆえ、アブラハムの子らは割礼を受けて、神と契約を持つアブラハムの子孫であることをあかしするのです。

 

 アブラハムの契約と祝福とを受け継ぎ、神に承認されたヤコブの子孫イスラエルは、モーセの律法を守ることで、契約のない無割礼の民族と区別されます。

 

 モーセの律法は、神の民イスラエルの誉れです。全地において、イスラエルが、神に選ばれた神の民であり、イスラエルの神は、天地万物を創造された全能の神なのです。

 

 すべての神々の上に立つ神、永遠に生きておられる偉大なる神、世界を治め世界を裁く唯一の天の神を、民族の神とするイスラエルは、稀有な民族なのです。

 

 神は、契約を結ばれたイスラエルに救世主を遣わし、全世界をこのただひとりの救世主(神のひとり子イエス・キリスト)によって、救う御計画なのです。

 救いは、ユダヤ人から出るのです。

 

 アブラハムの血肉の子孫イスラエルの律法は、神がお与えになった「モーセの律法」です。イスラエルは、神に仕える、祭司の国民です。

 祭司の国民は、神が遣わされた神の子羊、すなわち世の罪を取り除く神の子羊イエス(肉体を持つ神のひとり子)を屠りました。

 

 十字架にかかり罪の贖いの血を流された、神の子羊イエス・キリストが、祭司の国民に屠られて、神の用意された御救いの道は完成しました。

 

 神の子羊の血は、世の罪を取り除きました。イエス・キリストの血は、罪を贖う聖なる血です。

 十字架にかかられたイエスを、私たちの罪を贖って私たちを死と滅びから救い出してくださる救世主、神の御子キリストである、と信じる人は、その信仰によって、神がその人の罪を赦されます。そして、約束どおり、神の子どもとされる特権をお与えになります。

 

 アブラハムの契約を守って割礼を継承してきたアブラハムの子孫ユダヤ民族は、モーセの律法を受けて、神の民イスラエルとなりました。

 こうして、アブラハムの契約と祝福を相続するユダヤ民族は、モーセの律法を受けて「イスラエル(神と人と戦って勝利した者)」と呼ばれ、キリスト(世界の救世主)を生む特別な民族とされたのです。

 

 神の子羊イエス・キリストを生んだイスラエルは、いよいよ、世界の御救いのために、救い主である神の御子イエス・キリストの御名を宣べ伝えるはずでした。

 

 しかし、聖書の民イスラエルは、聖書の預言者たちから教えられることなく、神が遣わされた神の子羊イエスを信じることができませんでした。つまり、イスラエルは、人の姿となって神のひとり子が来られたのに、神の御子イエス・キリストを受け入れなかったのです。

 かつて、ユダヤ人の先祖たちは、神に背く人間が耳を塞ぎたくなるような神のことばを語る預言者たちを迫害し、自分たちに下る神の裁きを否定して自分たちを義としました。

 イエスの時代のユダヤ人たちもまた、先祖の罪を犯し、自分たちを義としました。彼らは、自分たちには罪がない、自分たちは神に選ばれた神の聖徒であると、高をくくっていました。彼らは、神が用意された罪の贖いの子羊を必要としなかったのです。

 ユダヤ人たちは、神が罪人の贖いのために用意された、罪の贖いの子羊イエス・キリストを、信じないどころか、嘲り、ののしり、否み、憎んで殺し、イスラエルから排除し捨てたのでした。

 

 神は、神の民イスラエルに、神の子羊イエス・キリストによる、天の御国にはいるための新しい律法をお与えになりました。

 

 イスラエルは、アブラハムの契約と祝福とを受け継ぐために割礼を守り、また、石に刻まれたモーセの律法をイスラエル国民の法として受け、神の祭司の国民となり、キリストの御救いを完成しました。

 血肉のイスラエルは、世界を救うキリスト(十字架で贖いの血を流し、三日目に墓から甦り、復活の新しい人となって天に上られ、神の御座の右に着座され、聖霊のバプテスマを授ける権威を受けた神の御子イエス・キリスト)を完成しました。

 

 地上のイスラエルの務めは完成しました。

 神は、新しい務めを、永遠に生きる新しいイスラエルに用意されました。神は、神が遣わされた救世主、神の御子イエス・キリストを「主」とする人々と、新しい契約を結び、天の御国にはいる「とこしえのイスラエル」とされます。

 

 神が遣わされた神のひとり子イエス・キリストの御名によって、天の神は、とこしえのイスラエルと、新しい契約を結ばれました。

 それは、いのちの契約です。血肉のイスラエルの知らない、天の御国の契約です。

 

 かつて、神は契約を結んだイスラエルに、石に刻んだ律法をお与えになられました。血肉のイスラエルの律法は、モーセの律法です。血肉のイスラエルは、文字によるモーセの律法を受けました。イスラエルは、律法の違反の呪いに苦しみました。

 

 神の御子イエス・キリストは、血肉のイスラエルが苦しんだ律法の違反の罪を、子羊の血(ご自分の血)で贖い、律法の呪いから解放してくださいました。

 

 神は、神の子羊イエスの血で、世の罪を取り除き、死に定められる罪の呪いから解放してくださいました。

 神は、神の御子イエス・キリストの執り成しによって、死に定められた罪人の罪を赦し、神のことばから外れた罪人が主(まことの神)に向くならば、主は子羊イエスの血により和解してくださり、贖われて赦された罪人に神の子どもとされる特権をお与えになるのです。

 

 神は、契約を結んだイスラエルを肉のままで、天に迎え入れることはありません。必ず、肉に死んで御霊によって生きる新しい人に造り変えられなければなりません。

 天の御国は朽ちる者がはいるところではなく、永遠に生きる者がはいるところです。

 

 神は、肉なる者を御霊によって新しく生まれ新生した新しい人に造り変えて、永遠のいのちと復活の新しいからだをお与えになるのです。

 

 神は、イエス・キリストの御名を信じる者(イエス・キリストが神の御子救い主であることを信じる者)に、神の子どもとされる特権をお与えになります。すなわち、神の子どもとされる者は、キリストがお与えになる「生かす御霊」を受ける恵みにあずかるのです。

 

 「生かす御霊(真理の御霊)」は、信じる者のうちに宿り、天の御国にはいるのを妨げる肉の性質を殺し、神の子どもの性質をかたち造っていかれます。

 

 キリストがお与えになる生かす御霊は、永遠のいのちであり、真理の御霊です。

 神が、御子イエス・キリストによって結ばれる新しい契約は、いのちの契約です。この契約には、天の御国の律法が伴います。天の御国の律法を守る者が、神の子どもとせられるからです。

 

 天の御国の律法は、血肉のイスラエルが神から受けた、石に刻まれた文字の律法ではありません。

 天の御国にはいる神の子どもたち「とこしえのイスラエル」は、神の御子イエス・キリストの御名によって、真理の御霊を受けるのです。

 

 真理の御霊は、自由の御霊であり、心の割礼を施されます。そして、イエスのことばを慕い、真理を愛し、御霊に聞き従う「新しい人(神の子ども)」に、神みずからが新しい創造を施されるのです。

 

 ユダヤ人たちは、モーセの律法の下にいないユダヤ人を蔑み、彼らを聖なるイスラエルではないと考えました。

 

 真理の御霊を受ける人々は、天の御国の律法である「真理の御霊」を受けない人々を、聖なるとこしえのイスラエルの仲間であると思わないでしょう。

 

 神の子どもであることをあかしする「心の割礼」のしるし(生かす御霊)のない人には、真理の御霊が、その人が神の子どもであることをあかしすることができないのです。