神は初めに人類の初穂として、ユダヤ民族を選ばれました。
神は、契約を結んだ祭司の国民イスラエルに、約束されたキリスト(神がお定めになられた救世主)を遣わされました。
屠られる神の子羊イエスが神の遣わされたキリストであることを信じるユダヤ人と、信じないユダヤ人とに分かれました。信じる者はわずかでした。
神は、神の御子イエス・キリストを信じるユダヤ人たちと新しい契約を結ばれました。永遠のいのちを得させるキリストの契約です。
「父(イエス・キリストの父、すなわち天地万物を創造された全能の神)は御子(イエス・キリスト)を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった(神は、天地万物の主権を、御子イエス・キリストにお与えになった。すなわち、イエス・キリストは裁きにおいても、新しい天と新しい地においても、主権者なのです)。
御子(主権者であられる御子イエス・キリスト)を信じる者は永遠のいのちを持つが、(新しい世の主権者であられる)御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく(栄光に輝く主権者・イスラエルの王イエス・キリストを見ることがなく)、神の怒りがその上に留まる(御子に聞き従わない者の上には必ず神の裁きが下り、彼らは永遠の死に定められて永遠に燃える火の池に投げ込まれる)。」(ヨハネ3:35,36)
キリストに聞き従う者たちに、神は、もうひとりの助け主を遣わされます。真理の御霊であり、永遠のいのちを得させる「生かす御霊」です。
御霊は、イエスのことばを思い起こさせ、真理を教え、いのちの道へと導かれます。
人間は、自分の力で霊のことは悟れません。肉には、霊のことは理解できないからです。私たちは、霊のことを御霊によって学ぶのです。まさに、キリストが授けられる「真理の御霊」は、私たちを平安で安全な道に導かれる助け主です。
キリストの福音は全世界に宣べ伝えられました。御救いはイスラエルの垣を越えて、神との契約のなかった異邦人に及び、多くの異邦人が、神の御子イエス・キリストを信じ、「私の主、私の神。」と告白しています。
彼らは、初めの契約のユダヤ教(ユダヤ人の律法)を通さずに、イエス・キリストの御名によって、天地万物を創造されたまことの生ける神に立ち返った者たちです。
異邦人のキリスト教会が誕生しました。メシア(救世主)を遣わすとの神の約束を持っていなかった異邦人が、イスラエルの神がイスラエルに遣わされたキリストを信じて、神の民の一員とされたのです。
異邦人のキリスト教会は、神の愛された民ユダヤ民族を憎み迫害し、殺戮することで、「真理の御霊」を失いました。彼らは御霊を消したのです。
キリストを信じた異邦人たちは、神の子羊イエス・キリストの血により罪が贖われて、罪が赦されています。
イエスは、罪が贖われた人々に言われます。
「汚れた霊が人から出て行って、水のない地(いのちのない所、すなわち贖われていない死人たちの間)をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、(キリストの血によってきよめられた、もといた人のところに)帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました(彼の心は罪を悔い改め、罪が清算されてきれいになっていました。しかし、空き家状態です)。
そこで、(イエス・キリストへの信仰を告白したことで彼のうちから出て行った悪い霊は)出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです(悪いほかの七つの霊は、それぞれ、彼を七つの御霊の教会の御使いに逆らわさせて七つの御霊の教会にはいることを妨げます。)そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。(七つの御霊の教会のすべての教会の門が閉じられることは、天の御国には決してはいれないということなのです。すなわち、御救いの希望は完全に取り去られるのです。)邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」(マタイ12:43-45)
キリストの血できよめられた人は、自分を縛っていた罪を手放して自由となり、神の子どもとされる特権を得たことで終わってはなりません。
きよめられた部屋(心の密室)に、もうひとりの助け主である「真理の御霊」をお迎えしなければ、空き家のままです。
出て行ったはずの悪しき霊たちは、彼らが留まる新しい場所を捜しています。しかし、その場所が見つからなければ、再びもとの家に戻って来ます。
もとの家に真理の御霊がお住まいになっているならば、彼らは中にはいることができません。しかし、御霊がおられず、あいたままならば、再び、出て行ったはずの悪い霊がやって来ます。
すると悪い霊は、もう二度と彼がキリストに奪われないように、自分よりも悪いほかの強い霊を連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。
そうなると、悔い改める柔らかな心は取り去られてしまいます。もはや、悔い改めて神に立ち返る道は絶たれてしまうのです。
真理の御霊を受けるか受けないかは、いのちに関わる重要なことなのです。
キリスト教会が天の御国にはいるのではなく、七つの御霊の教会が天の御国にはいる、天の御国の子どもたちなのです。
死から甦られ復活のからだで永遠に生きられる栄光のキリストの右の手の中にあるのは、永遠のいのちを得た七つの御霊の教会なのです。
イエスは、終わりの時代のキリスト教会についてたとえを語っておられます。
ある人(神の御子イエス・キリスト)が自分の畑(世から取り出したキリスト教会)に良い種(御国の子どもたち)を蒔きました。
良い種を蒔く者は人の子(神の子羊イエス・キリスト)です。
良い種(御国の子どもたち)を蒔いた畑(キリストの教会)に、悪魔が来て毒麦(悪い者の子どもたち)を蒔きました。
この世の終わりには、キリストが御使いを遣わして、キリストの教会から毒麦を集めて火で焼かれます。
キリストの御使いたちは、教会の中でつまずきを与える者や不法を行なう者(偽りを教え、真理の御霊に逆らわせる者)たちをみな、御国(永遠のいのちが約束されたキリストの教会)から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼ら(悪い者の子どもたち)はそこで泣いて歯ぎしりするのです。
そのとき、正しい者(真理の御霊の教えに聞き従う者)たちは、天の父の御国で太陽に輝きます。」(マタイ13:37-43)
また、天の御国についてイエスは、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものだ、と言っておられます。
「網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、(神の家、すなわちキリスト教会の)正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」(マタイ13:48-50)
神の裁きは、神の家から始まります。キリストの家(キリスト教会)から選り分けが始まるのです。
そして、悪い者たちを裁き、滅びに定められます。
良い種(天の御国の子どもたち)は、殉教者とそうでない者とに分けられます。
殉教者たちは、異邦人の時の終わりを完成するに当たっての、一粒の麦です。彼らの血は尊いです。彼らの血は多くの日本人を目覚めさせ、終わりの日に備えさせるのです。
キリスト者が、ユダヤ教の教え(旧約聖書)を通らなくても神の民に数えられたように、終わりの時代には、真理の御霊を受ける異教徒たち、また、無宗教の人々が、キリスト教の教え(新約聖書)を通らないまま、真理の御霊に教えられて、神の子羊の贖いの血による救いと神の子羊を遣わされた父を悟り、御救いにはいって来るのでしょう。
キリスト教会の殉教者たちの血で贖われ、日本人の不信仰が取り除かれて、多くの人々が神に立ち返り、天の御国の子どもとされるのでしょう。
キリスト教会で神に忠実な人々は殉教者に選ばれるでしょう。彼らは、神の子羊の婚宴に招かれます。
殉教者に選ばれなくても、神に忠実でなかったことを悔い改め、神に立ち返るキリスト者たちは、終わりの雨【聖霊の注ぎ】で天の御国の子どもとされた人々(異教徒や無宗教で御国の子どもに加えられる、新しい兄弟姉妹)とともに、ユダヤ人の時に、ユダヤ人たちの宣教のことばにすがって、信仰によって、いのちの冠(永遠のいのち)を受けることでしょう。
いま、私たちが祈ることは、もし御霊を受けていないならば、「御霊をお与え下さい。」であり、御霊を受けているならば、神に熱心でなかったことを悔い改めて、「どんな苦しみや迫害を受ける時にも、主よ、信仰を手放すことがないように私をお守りください。最後まで耐え忍ぶ忍耐をお与えください。キリストの御名を否んで、いのちを失うことがないようにお助けください。神のことばを慕う者に造り変えてください。」ではないでしょうか。