ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御救いは異邦人の時に整えられる

 

 異邦人の時が完成してユダヤ人の時にはいると、ユダヤ人たちの救いの時となります。

 地上に残されている異邦人で、イスラエルの神(イエス・キリストの父)が遣わされた真理の御霊【聖霊】を受けている人々はとこしえのイスラエルに招かれ、ユダヤ人の時にユダヤ人の宣教によって、御救いを受けるでしょう。

 

 これらの異邦人は、神のことばを聞き、神のことばに従う、神に愛された人々であり、日本人に多くいると思われます。

 彼らは、異邦人の時の終わりに真理を悟り、まことの神に立ち返った人々です。彼らは、神道や仏教、また、自然を愛していのちを尊び神を恐れる人で聖書を知らない人々でしょう。

 

 彼らは、神の御子イエス・キリストを信じる者ではなかったのですが、真理の御霊により、人類の罪を贖う子羊を知り、子羊を遣わされた私たちの創造主(父なる神)に立ち返る人々です。

 

 真理を熱心に求める彼らに「真理の御霊」を授けられた神は、真理(神は、天地万物を創造された生ける全能の神おひとりであって、私たちを造られたその全能の神が私たちの罪を贖い、私たちを永遠の死から救い出すために、生贄の子羊、すなわち神のひとり子【キリスト】を遣わされて、すでに、救いの道が設けられているという真実。そして、その子羊への信仰により私たちの罪は贖われ、永遠のいのちを得る神の子どもに造り変えられるという神の約束)を彼らに知らせ、真理を信じた彼らを御自分の民として集められるのです。

 

 もはや、彼らは契約のない異邦人ではありません。真理の御霊によって真理を悟った彼らは、とこしえのイスラエルに招かれるユダヤ人たちの、霊的な兄弟姉妹とみなされるのです。

 

 ユダヤ人の時には、ユダヤ人たちが救われます。アブラハムの血肉の子孫です。

 神は、アブラハムの血肉の子孫とともに、アブラハムの信仰の子孫(アブラハムの血肉の子孫ではないが、アブラハムが信じた全能の神を信じるアブラハムの信仰の子孫)をも救われます。

 

 異邦人の時に救いが完成する異邦人(アブラハムの血肉の子孫ユダヤ人ではないが、神のひとり子イエス・キリストによって、アブラハムの信仰の子孫に数えられる異邦人)は、キリスト教会から起こされた尊い殉教の血を流す殉教者たちと、信仰が神に喜ばれ生きたまま天に引き上げられ携挙される人々です。

 

 ユダヤ人であることにこだわらず、ユダヤ民族の伝統やしきたりに縛られていない自由なユダヤ人たちは、たといヤコブの血肉の子孫ユダヤ人であっても、キリスト信者となったときに、ユダヤ人ビリーバーとして、異邦人に数えられます。

 それゆえ、ユダヤ人ビリーバーは、異邦人の時に御救いが完成されます。異邦人の時の完成とともに、ユダヤ人ビリーバーたちはこの世を去ります。

 神の契約としては、彼らは異邦人に属しますが、新しい契約(神の御子イエス・キリストの契約)にあっては、選びの民ユダヤ人として神に覚えられているでしょう。

 

 ユダヤ人の時には、イエス・キリストを信じない人々、神の子羊の贖いを信じない人々、唯一まことの神・天地万物を創造された全能の神を神としない人たちの救いは起こりません。

 ユダヤ人の時に救われる人々は、すでに神を神としている人々です。

 

 神に招かれる人々は、異邦人の時にすでに選り分けられていたのです。

 彼らは、ユダヤ人の時に目覚めます。ユダヤ人たちが、イエスの命令を完成します。

 

 死から甦られた神の御子イエス・キリストは、天に上る前に、使徒たちに命じられました。

 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

 (ユダヤ人が語る御救いの福音のことばを)信じてバプテスマを受ける者は、救われます。(永遠のいのちを得て天の御国にはいり、永遠の安息を得ます。)しかし、信じない者は罪に定められます。(死と裁きの定めを免れず、赦されない罪人として、永遠の死と滅びが定められます。)

 (救い主・神の御子イエス・キリストを)信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名(イエス・キリストの御名)によって悪霊を追い出し、新しいことば(御霊が話させてくださることば)を語り、蛇(悪しき霊)をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ16:15-18)

 

 ユダヤ人の時に、召された十四万四千人のユダヤ人たちは世界に出て行って、イエス・キリストの命令を忠実に守り、世界宣教を完成します。

 

 ユダヤ人の時に立つ十四万四千人のユダヤ人も、ふたりの証人も、異邦人の時の完成の前に召されたユダヤ人です。現在のイスラエルの国にユダヤ人と認定されていない、神が隠しておられたヤコブの血を引くユダヤ人でしょう。おそらく、本人たちも自分がユダヤ人であるという自覚がなく、ユダヤ人であることを神に隠されていたのでしょう。神は、ユダヤ人たちによって、世界を救われます。

 救いはユダヤ人から出るのです。

 

 異邦人の時に福音を聞き、心に御救いを受けた人々は、喜びに満たされます。世は闇へと進みますが、彼らはそれまで味わったことのない霊的な平安と喜びを体験することでしょう。

 

 「(真理を知った)あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

 これは、信仰の結果である、魂の救いを得ているからです。」(ペテロ第一1:8,9)

 

 キリスト教徒も、神道の人も、仏教徒も、無宗教の人も、霊とまこと(真実な心)をもって聖なる御救いを求める人々に、神は真理の御霊を注がれます。

 真理の御霊が注がれても、心に用意のない人にはわかりません。しかし、真剣に神を求めて心が備えられている人はそれを知ります。

 

 彼らは、真理の御霊を遣わされた神から御救いの約束をいただくのです。

 異邦人の時が完成し、聖霊が取り去られて、いのちある者(神の御救いの約束を持つ者、すなわち、信仰によって永遠のいのちを得る希望を持つ者)が迫害され殺戮される、悪がはびこる闇の世になっても、彼らのうちには望みがあります。

 

 異邦人の時の完成によって、子羊の婚宴に招かれた人たちが世から去りました。

 地上には、まだ多くのキリスト者が生き残っています。しかし、彼らは、最後の刈り取りで収穫される魂なのです。

 収穫は、キリスト教徒だけではありません。真理の御霊によって真理を悟り、神の御救いの約束を信じた人々も大勢います。神道、仏教、無宗教など、いろいろな人々がいます。

 

 ユダヤ人の時には、ユダヤ人たちが神の国のために立ち上がり、働きます。

 ユダヤ人の伝統やしきたりを重んじ、ユダヤ人のアイデンティティを保ちながらイエス・キリストを信じるメシアニック・ジューたちが働く時です。

 

 ユダヤ人であることにこだわらなかったユダヤ人ビリーバーたちは、すでに世を去っています。メシアニック・ジューは、ユダヤ人の時の働きをするために地上に残っているのです。

 

 メシアニック・ジューはふたりの証人のユダヤ人とともに、ユダヤ教徒や世俗的ユダヤ人の救いのために働きます。

 また、世界では十四万四千人のユダヤ人が、世界にいる十二部族のユダヤ民族の血筋を持つ人々や、神への信仰を持つ異邦人の魂の収穫のために、神のことばを語ります。

 

 神への信仰のない人々の耳には、これらの宣教のことばはむなしいものとなります。

 信仰の種を持つ人々の多くは、彼ら(ユダヤ人)の語る神のことばに耳を傾けて、そのことばにすがります。キリスト者は、信仰に熱心でなかった自分の歩みを悔い改めて、神のことばに立ち返ります。

 

 彼らは、反キリストの試みの時に、反キリストの像を拝まずに殺されたり、また反キリストの数字の刻印を拒んで殺されて刈り取られる人々であり、神にすがり信仰の勝利者となるならば、御霊の教会に属する魂として刈り集められます。

 

 このときのことをイエスはたとえで話しておられます。

 「天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。

 彼は、労務者たちと一日一デナリ(日当)の約束ができると、彼らをぶどう園にやった。

 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。

 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』

 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。

 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』

 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼(主人)は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』」(マタイ20:1-7)

 

 夕方になって、主人は最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちまで、賃金を払ってやりました。

 みなそれぞれ、一デナリずつもらいました。

 最初の者たちは、最後に来た一時間しか働かなかった者とは違い一日中働いたのだからもっと多くもらえると期待しましたが、最後の者と同じ一デナリでした。

 

 キリスト者は、早くから神の御子イエス・キリストを信じて、日曜には毎週教会に行って礼拝し、聖書を学び、収入の十分の一を献金し、神に仕えて来ました。

 異邦人の時の終わりのときに、霊に感じて、御霊磨きを心がけた神道の人、また、仏教の人もいます。そして、宗教が嫌いで無宗教だった人もいます。気前の良い神は、終わりのわずかな時に、彼らにも真理の御霊を注いで真理を知らされます。

 

 こうして、最初から契約のあったユダヤ人も、キリスト者も、神道・仏教・無宗教の人の魂も、御霊によって、同じひとりの神(子羊の父であられる全能の神)のみもとに帰ります。

 

 ユダヤ人やキリスト者は、聖書の神を信じていなかった人たちとともに「いのちの冠(永遠のいのち)」を受けるのです。