「預言者イザヤの書にこう書いてある。
『見よ。わたしは使い(エリヤ)をあなた(神のひとり子)の前に遣わし、あなた(キリスト)の道を整えさせよう。荒野で叫ぶ者の声がする。(バプテスマのヨハネは、「悔い改めなさい。天の御国〈神の贖いと救世主キリストの訪れ〉が近づいたから。」と叫んでいました。)
(神は、バプテスマのヨハネに命じてイスラエルに遣わされました。)「主(救世主メシア)の道を用意し、主(キリスト)の通られる道をまっすぐにせよ。」
そのとおりに、バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマ(罪を悔い改めて、水のバプテスマを受けること)を説いた。
そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼(バプテスマのヨハネ)のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。」(マルコ1:2-5)
バプテスマのヨハネは、祭司ザカリヤの子で、アロンの子孫のエリサベツから生まれました。神が不妊の女エリサベツに、子を与えられたのです。
御使いは、祭司ザカリヤに言いました。
「ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
その子(バプテスマのヨハネ)はあなた(ザカリヤ)にとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
彼(バプテスマのヨハネ)は主のすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神(イスラエルの神)である主に立ち返らせます。
彼こそ、エリヤの霊と力で主(神がイスラエルに遣わされるキリストの訪れ)の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、(神が遣わされるキリストを迎える者として)整えられた民を主(キリストを遣わされる父と御子キリスト)のために用意するのです。」(ルカ1:13-17)
バプテスマのヨハネの母エリサベツ(アロンの子孫)は、イエス・キリストをみごもった処女マリアの親族でした。
ヨハネは、ナザレのイエスについて証言し、叫んで言いました。
「『私(バプテスマのヨハネ)のあとから来る方(キリスト)は、私(キリストを証言するバプテスマのヨハネ)にまさる方である。私よりも先におられたからである。(ヨハネはイエスよりも半年早く生まれていました。しかし、神のひとり子であられるキリストは、イスラエルの父祖アブラハムが生まれるよりも先におられた方なのです。)』と私が言ったのは、この方(ナザレのイエス)のことです。」(ヨハネ1:15)
「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことは(神のひとり子)イエス・キリストによって実現したのです。」(ヨハネ1:17)
神のことば(神の御子)は人となって、イスラエルに来て、ユダヤ人の間に住まわれました。
いまだかつて神を見た者はいません。父のふところにおられるひとり子の神(神の御子イエス・キリスト)が、神を解き明かされたのです。
神の子羊イエスを見たユダヤ人たちは、キリストの栄光を見ました。父(天の神)のみもとから来られたひとり子としての栄光です。世の罪を取り除く神の子羊(聖霊のバプテスマを授けるキリスト・イエス)の栄光です。
父なる神に遣わされてイスラエルに来られた子羊イエス・キリストは、恵みとまことに満ちておられました。キリストには暗いところがなく、罪の贖いと罪の赦しと永遠のいのちと御救いとがありました。
聖書には、キリストが世に現わされる前に、預言者エリヤを遣わすことが、書かれています。
「あなたがたは、わたしのしもべモーセの律法を記憶せよ。それは、ホレブで、イスラエル全体のために、わたしが彼に(モーセにイスラエルに告げるようにと)命じたおきてと定めである。
見よ。私(天の神)は、大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
彼(預言者エリヤ)は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。(神に命じられたことを思い起させ、神の命令に聞き従う備えをさせる。)それは、わたし(約束のメシア)が来て、(聞き従わない者たちを裁く)呪いでこの地を滅ぼさないためだ。」(マラキ4:4-6)
「モーセはこう言いました。
『神である主は、あなたがた(神の民)のために、私(奴隷の家エジプトから救い出したモーセ)のようなひとりの預言者(罪と滅びの世から救い出すキリスト)を、あなたがたの兄弟たち(ユダヤ人)の中からお立てになる。この方(メシア)があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
その預言者(キリスト)に聞き従わない者はだれでも、(神の)民の中から滅ぼし絶やされる。』」(使徒3:22,23)
「神は、まずそのしもべ(エリヤの霊の預言者、すなわちバプテスマのヨハネ)を立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活(天の神に背を向けるこの世の生活)から立ち返らせてくださるためなのです。」(使徒3:26)
イエス・キリストは言われました。
「あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人(バプテスマのヨハネ)こそ、きたるべきエリヤなのです。」(マタイ11:14)
世の終わりにも、エリヤの霊で、神に目を向けさせる預言者が立てられます。
死海文書で、「イスラエルのメシア」「アロンのメシア」と呼ばれているふたりの証人です。
彼らは、ヤコブの血肉の子孫のユダヤ人です。血統はユダヤ人ですが、おそらくユダヤ人であることを忘れている日本人だと思われます。
神は、終わりの時代には、このふたりの証人の語る神のことばに聞き従うようにと仰せられます。
私は、「イスラエルのメシア」は仏教の中から、「アロンのメシア」は神道の中から起こされると思っています。
彼ら(ふたりのメシア)は真理を語り、世界を救いに導く人々です。
多くの日本人は、彼らのことばを信じ、御救いを受けることでしょう。
彼らは、異邦人の時の完成(異邦人の御救いの完成のあとで、ユダヤ人の御救いの時が訪れます。)の後のユダヤ人の時に、ユダヤ人の御救いのために召された人たちですが、異邦人の時の御救いを完成させる人々でもあると思います。
今、日本のアニメの影響で、日本神道の神社が世界中に知られて、外国人にも関心を持たれています。また、日本仏教の教えや禅はやはり、外国人たちに関心を持たれています。
彼らは、宗教のキリスト教ではない「真理の御霊」によって、私たちの父なる神(天地万物の創造主)と神の子羊(世の罪を贖い、罪を悔い改める者を義人とし、永遠のいのちを得させる救世主)とを知らせることでしょう。
世の人々の心には、世の教えの覆いがかかっています。それゆえ、思いがさまよい、真理を悟ることができません。
「しかし、人が主に向くなら、その覆いは取り除かれるのです。
主は御霊です。そして、主の御霊(真理の御霊)のあるところには自由があります。(罪からの解放と赦しと神との和解、また、神の愛を受けて喜びと平安があります。)」(コリント第ニ3:16,17)
ふたりの証人「イスラエルのメシア」「アロンのメシア」は、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、人々の心を主に向けさせ、御救いに備えさせる、エリヤの霊の人たちなのでしょう。