ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

大事なのは新しい創造です

 

 「あなたがた(異邦人)に(神と契約を結ぶユダヤ人と同じように)割礼を強制する人(ユダヤ人)たちは、肉において外見を良くしたい人たちです。(アブラハムの血肉の子孫であることを誇るユダヤ人たちは、割礼を神の契約のしるしとし、神の民のしるしである割礼を誇っています。)彼ら(割礼が神の契約のしるしであって、割礼によって神の民に加えられると考える人々)はただ、キリストの十字架のために(ユダヤ人たちから)迫害を受けたくないだけなのです。

 なぜなら、割礼を受けた人(アブラハムの血肉の子孫ユダヤ人)たちは、自分自身が律法を守っていません。(モーセが命じた、モーセのようなもうひとりの預言者、すなわち、「神が遣わされた神の子羊キリスト」に聞き従わなければならない、という律法を守っていないのです。)

 それなのに彼ら(モーセの律法を完全に守っていないユダヤ人たち)があなたがた(異邦人)に割礼を受けさせようとするのは、あなたがたの肉(肉にしるされた割礼のしるし)を誇りたいためなのです。(割礼は、神に選ばれた民の特別なしるしであり、無割礼の汚れた民と聖別された、聖なる神の民のしるしであると誇っているのです。)

 しかし私(キリストを主と告白する、主のしもべパウロ)には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。

 この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。(キリストともにこの十字架につけられて、この世は私に対して死に〈キリストに買い戻されたパウロの魂はこの世のものではなくなり、それゆえ、この世はパウロを支配する力を失い〉、私〈パウロ〉もこの世に対して死んでしまったのです。)(神の御子イエス・キリストが来られる以前は、割礼が神の民のしるしであって、割礼のある民〈ユダヤ人〉と無割礼の民との間には、敵意が置かれていました。神の望みを持つ割礼の民〈イスラエル〉と、望みもなく神もない無割礼の民〈異邦人〉との間には、隔ての壁があったのです。しかし、キリストが十字架で流された血は隔ての壁を打ち壊し、二つのものを一つにしました。もはや、ユダヤ人も異邦人もありません。イエスは、ご自分の肉において敵意を廃棄されました。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法です。律法の下にいるユダヤ人たちは異邦人を汚れたものとみなし、律法を持たない異邦人たちはユダヤ人たちを憎みました。律法が、神の民と神の民でないものとを分けていたのです。しかし、神の子羊イエス・キリストの、罪を贖い、世の罪を取り除く十字架は、二つのもの〈ユダヤ人と異邦人、すなわち、割礼のしるしと律法を持つイスラエルと、無割礼で律法の外にいる異邦人〉を、イエス・キリストご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためです。)

 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造なのです。

 どうか、この基準(新しく立てられた神の基準、すなわち、肉の割礼や文字の律法が大事なのではなく、罪の贖いと神との和解を成し遂げられた神の御子イエス・キリストの十字架と心の割礼である「生かす御霊、すなわち聖霊のバプテスマによって与えられる真理の御霊」)に従って進む人々、すなわち神のイスラエル(御霊によって新しく創造された「とこしえのイスラエル」、すなわち、キリストの御霊によって新しく生まれ、永遠のいのちを得させられる神の子どもたち、七つの御霊の教会)の上に、平安とあわれみがありますように。」(ガラテヤ6:12-16)

 

 神のひとり子が肉体をもって来られ、罪の贖いの血を流されると、ユダヤ人たちの律法の違反は贖われました。

 神の子羊イエス・キリストの十字架の血において、律法の違反の呪いは取り除かれました。神がイスラエルにお与えになった律法は、キリスト・イエスの十字架において完成されたのです。もはや、罪の呪い、律法の違反の呪いに怯えることはありません。

 

 神の御子イエス・キリストは贖い主です。神のひとり子は、罪を赦すために世に来られたのです。

 

 「定めの時が来たので、神は御自分の御子を遣わし、この方(ダビデの町ベツレヘムで生まれたナザレのイエス)を、女(処女マリア)から生まれた者、また律法の下にある者(ユダヤ人)となさいました。

 これは律法の下にある者(ユダヤ民族)を贖い出すためで、その結果、私たち(十字架の主イエス・キリストを信じる人々〈ユダヤ人も異邦人も〉)が子(神の子ども)としての身分を受けるようになるためです。

 そして、あなたがた(十字架の主イエスが神の御子キリストであると告白する信仰者たち)は子(神の子ども)であるがゆえに、神は『(イエスの父であられ、創造主であられる父なる神を)アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊(イエス・キリストの御霊)を、(イエス・キリストを主と告白する)私たちの心に遣わしてくださいました。(私たちは、肉の割礼ではなく、御霊によって心の割礼を受けたのです。)

 ですから、(御霊を受けた)あなたがたはもはや(神の)奴隷ではなく、子(神の子ども)です。子ならば、神による相続人です。(御霊を受けて神の子どもとされた人々は、神の御子キリストとともに、天の御国を相続するのです。)」(ガラテヤ4:4-7)

 

 律法を終わらせた神は、御子において新しい基準をお与えになられました。

 肉の割礼ではなく、心の割礼を受けることです。心の割礼は、イエス・キリストの御霊によって与えられます。御霊は、真理を教え、イエスのみことばを思い起こさせてくださいます。

 

 神は文字の律法ではなく、キリストの御霊において生ける神の律法【真理の御霊】をお与えになります。神は、心に受けた御霊に従って歩む、という新しい律法をお与えになりました。

 

 ユダヤ人も異邦人も、真理の御霊を受けるならば、御霊によって新しく生まれた者です。御霊にいのちがあります。生かす御霊は、死ぬべき人間の肉体の中に、永遠のいのちの光の性質(神の子どもの性質)をかたち造っていかれます。

 永遠のいのちは、死んでも、甦って永遠に生きるいのちです。天の御国を相続する神の子どものいのちです。

 

 新生した人は、御霊に聞き従うことによって成長し、新しい人に造り変えられていきます。

 「あなたがた(御霊によって生まれた者)は、もはや他国人でも、寄留者でもなく、今は聖徒(神に造られた神の契約の民ユダヤ人)たちと同じ国民「永遠に生きる神の子どもたちの国民、とこしえのイスラエル」であり、神の家族(永遠のいのちを得る神の子どもたち)なのです。

 あなたがた(神の子どもたち)は使徒と預言者という(ユダヤ人の弟子たちの信仰の)土台の上に立てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

 この方(神の御子イエス・キリストの御霊)にあって、組み合わされた建物の全体(神の家、すなわち、御霊によって新しく創造される「とこしえのイスラエル」)が成長し、主(イエス・キリスト)にある聖なる宮【聖霊の宮】となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに(七つの御霊の教会のうちに)建てられ、(ひとつの)御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:19-22)

 

 「(御霊によって生まれ、御霊によって導かれる)私たち(御霊の教会)は、(十字架の主)キリストによって、両者ともに(ユダヤ人も異邦人も)一つの御霊において、父(父なる神)のみもとに近づくことができるのです。」(エペソ2:18)

 

 神の目的は、天の御国であり、死と死後の裁きとが定められている人間に、永遠のいのちを得させることです。

 

 現象のこの世で生きるには、肉体が必須です。それは、限りあるいのちです。女から生まれた人間は、必ず死ななければなりません。

 しかし、神の御住まいである天の御国は、永遠のいのちです。限りあるいのちの人間が天の御国にはいるには、永遠のいのちが必須です。御霊によって生まれた者は、肉体を脱ぐと、とこしえの霊のからだを着るのです。

 

 最初の人アダム(第一のアダム)に欠けを見出された神は、神のひとり子を遣わして、罪が認められず死から甦る完全な人、新しいアダム(第二のアダム)を創造されました。

 

 初めの律法で満足されなかった神は、神のひとり子を遣わして、御子による新しい律法【真理の御霊】をお与えになりました。

 神は、神のひとり子【神の子羊イエス・キリスト】によって人の罪を贖い、また、聖霊【真理の御霊】によって、人を死んでも甦る完全な人に造り変えられます。

 

 神は、新しい創造を祝福し、(地上の千年王国の仮庵のあとで執行される最後の裁きのあとに)キリストに似せて造られた「新しい人」を天の御国に集めて、「新しい天と新しい地」に住まわせて、彼らの主、神の子羊イエス・キリストとともに天の御国を相続させられるのです。