イエスは、神と契約を結ぶ民ユダヤ人たちに言われました。
「まだしばらくの間、わたし(イエス)はあなたがた(ユダヤ人たち)といっしょにいて、それから、わたしを遣わした方(イエスの父、天の神)のもとに行きます。
あなたがたはわたしを捜すが、見つからないでしょう。また、わたしがいる所に、あなたがたは来ることができません。」(ヨハネ7:33,34)
ご自身が木(十字架)にかけられてることを知っておられるイエスは、ユダヤ人たちに、自分は死んで父のもとに帰ることを告げられました。
「父」とは、イスラエルの神であり、ユダヤ人たちが「私たちの神」と呼んでいる全能の主のことです。
イエスは、ほかのユダヤ人のように女から生まれた人の子ですが、神に遣わされて地上に来た天上のものであることを明らかにしておられます。
また、イエスはユダヤ人たちに、ご自分が死から復活することについて、「あなたがたはわたし(のからだ)を捜すが、見つからないでしょう。また、わたしのいる所(遣わされた方(父)のもとに帰るイエスの所、すなわち、天の御国に、あなたがたは来ることができません。」とはっきりと言われました。
ユダヤ人たちは、イエスが何を言っているのか理解できません。そこで、ユダヤ人たちは互いに言いました。
「私たちには、見つからないという。それならあの人(イエス)はどこへ行こうとしているのか。まさかギリシヤ人の中に離散している人々(十部族のユダヤ人)のところへ行って、ギリシヤ人を教えるつもりではあるまい。
『あなたがたはわたしを捜すが、見つからない。』また『わたしのいる所にあなたがたは来ることができない。』とあの人が言ったこのことばは、どういう意味だろうか。」(ヨハネ7:35,36)
神は天上のことばを話しておられました。地に属する人々には理解できません。
「そこで、ユダヤ人たちは言った。『あの人(ナザレのイエス)は「わたしが行く所に、あなたがたは来ることができない。」と言うが、自殺するつもりなのか。』
それでイエスは彼らに言われた。
『あなたがたが来たのは下からであり、わたしが来たのは上からです。(あなたがたは地に属する肉から生まれたものであり、わたしは天に属する神から生まれたものです。)あなたがたはこの世の者であり、わたし(イエス)はこの世の者ではありません。
それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。(肉なる者は必ず死ななければなりません。)もしあなたがたが、(神に遣わされて天から来た)わたしのことを信じなければ、(罪の贖いを得ることができず)あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。』
そこで、彼らはイエスに言った。『(天から来たという)あなたはだれですか。』
イエスは言われた。
『それは初めからわたしがあなたがたに話そうとしていることです。(わたしはあなたがたに話して来たとおりのものです。わたしがキリストであり、神が遣わされた神の子羊なのです。神は、わたしに罪を赦す権威を授けておられるのです。)
わたしには、あなたがた(心の頑ななユダヤ人たち)について言うべきこと、(不信仰なユダヤ人たちを)裁くべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わした方は真実であって(御自身で裁かれます。)、わたし(神の子羊イエス)はその方(罪を贖うために神の子羊を遣わされた父)から聞いたことをそのまま世に告げるのです。』
彼ら(心の鈍いユダヤ人たち)は、イエスが父(ご自分の父である天の神)のことを語っておられることを悟らなかった。」(ヨハネ8:22-27)
「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。
『だれでも(魂が)渇いているなら、わたし(イエス)のもとに来て(生ける川の水を)飲みなさい。
わたし(神のひとり子イエス・キリスト)を信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から(腹から)、生ける川の水(御霊のいのち)が流れ出るようになる。』
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので(ご自分が神から遣わされたキリストであることを、死からの甦りをもってまだ証されていなかったので)、御霊はまだ注がれていなかったからである。(神の子羊イエスが贖いのわざを成し遂げ死から甦って天に上り、父のもとに帰ると、父から主権と光栄と国が与えられて、イエスは弟子たちに聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受け取られます。)
この(イエスの)ことばを聞いて、群衆のうちのある者は、『あの方は、確かに(モーセが聞き従わなければならないとイスラエルに命じていた)あの預言者なのだ。』と言い、またある者は言った。『まさか、キリスト(神が約束されたメシア)は(異邦人も住む)ガリラヤからは出ないだろう。(イエスは、ガリラヤ地方のナザレ人ではないか。)キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。』(ユダヤ人たちは、ナザレのイエスが処女マリアからベツレヘムで生まれたことを知らなかったようです。)
そこで、群衆の間にイエスのことで分裂が起こった。」(ヨハネ7:37-43)
これらの事は二千年前の話であり、また、終りの時代にこれから起こることでもあるのです。
イエスをどう見るかで、ユダヤ人の中に分裂が起こりました。
ユダヤ人をどう見るか、あるいは、聖霊のわざをどうみるか(聖霊だと捉えるか悪霊と捉えるか)によって、教会の中に分裂が起こるのではないのかと思います。
真理を悟らず、思いの暗いユダヤ人たちは、イエスに言いました。
「『私たちは不品行によって生まれた者(罪人)ではありません。私たち(ユダヤ人)にはひとりの父、神があります。(イスラエルは神と契約を結ぶ聖なる民であって、神に造られた神の民なのです。)』
イエスは言われた。
『神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたは(神が愛しておられる神のひとり子である)わたし(イエス)を愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。(わたしは、あなたがたユダヤ人が「私たちの神」と呼んでいる神に遣わされて、ここに来たのです。そして、あなたがたの神のことばを話しているのです。)
わたしは自分で来たのではなく、(イスラエルの)神がわたしを遣わしたのです。
あなたがたは、なぜわたし(神のひとり子イエス)の話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことば(わたしが語る神のことば)に耳を傾けることができないからです。
あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。(あなたがたのうちに、神を求める心も信仰もないのです。)悪魔は初めから人殺しであり、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。彼(悪魔)が偽りを言うときには、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら、彼(悪魔)は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
しかし、このわたし(イエス)は真理(神のことば)を話しているために、(不義の子である)あなたがたはわたし(の義のことば)を信じません。」(ヨハネ8:41-45)
光と闇とは、相容れません。
「見よ。その日が来る。―主の御告げ。―
その日、わたし(主)は、すべて包皮に割礼を受けている者を罰する。エジプト、ユダ、エドム、アモン人、モアブ、および荒野の住人でこめかみを刈り上げているすべての者を罰する。
すべての国々は無割礼であり、イスラエルの全家も心に割礼を受けていないからだ。」(エレミヤ9:25,26)
心に割礼を受けている者は、真理のものと偽りのものとの違いを、自分の霊によって理解する感覚を持っています。
イエスは、心が破られてへりくだる心の低い者たちに、神への信仰を御覧になられます。肉の割礼が神のしるしではなく、心に割礼を受けた者(心が砕かれた者)のうちに、神の御霊は住まわれるのです。
心が破られ、自分の罪を知って悲しむ人々は、赦しを伴う神の愛に敏感です。
真理の愛を求める者は、聖なる御霊に敏感です。
イエスはユダヤ人だから救うのではありません。キリストはクリスチャンだから救うのではありません。
イエスは言われます。
「神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」(ヨハネ8:47)
「たとい私がささげても、まことにあなた(主)は生贄を喜ばれません。全焼の生贄を、望まれません。
神への生贄は、砕かれた魂。砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:16,17)