ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

滅びうせる獣

 

 「彼(神を恐れる知恵のある者)は見る。知恵のある者たちが死に、愚か者もまぬけ者もひとしく(死んで)滅び、自分の財産を他人に残すのを。

 彼ら(神を恐れない愚か者やまぬけ者たち)は、心の中で、彼らの家は永遠に続き(今ある栄えは後にも変わらず続き)、その住まい(豊かな暮らし)は代々にまで及ぶと思い、自分たちの(所有する)土地に、自分たちの名をつける。(彼らはそれを、自分の永遠の所有地のように思う。)

 しかし人は、その栄華のうちに留まれない。(栄華はやがて過ぎ去ってゆく、はかない幻である。)(愚か者やまぬけ者である)人は滅びうせる獣に等しい。(地上に何も残さず、やがて忘れ去られる。)

 これが(神を知ろうとしない)愚か者どもの道(人生)、(また、)彼ら(神を恐れない愚か者ども)に従い、彼ら(神の御前に覚えられない愚か者ども)の言うことを受け入れる者(まぬけ者)どもの道(終わり)である。

 

 彼らは羊のように陰府(よみ)に定められ、死が彼らの羊飼いとなる。(彼らの終わりには、死と滅びとが定められている。彼らにいのちは与えられない。)

 朝(新しい夜明け、次の新しい世界「千年王国」)は、(新しい世界の支配者キリストの御顔を仰ぎ見る)直ぐな者(正義を愛する平和な者)が彼らを支配する。(闇の世で力のある者であった彼らは、新しい光の世では小さい者となる。)

 彼らのかたちはなくなり(愚か者やまぬけ者どもには後の世界〈新しい天と新しい地〉はなく)、陰府(死の国)がその住む所(彼らの永遠の住まい)となる。

 しかし、神は(神を恐れる知恵のある)私の魂を陰府の手から(神の子羊イエスの血によって)買い戻される。(御顔を仰ぐ直ぐな者は、死から甦って永遠に生きる。)神が(神の遣わされた者〈神のキリスト「救い主」〉を信じて彼にへりくだる)私を(罪の赦された義人として)受け入れてくださるからだ。」(詩篇49:10-15)

 

 神の御前には、『いのちの書』があります。

 『いのちの書』には、神が永遠のいのちを得させる人々の名前がしるされています。神は、一人一人の生涯を御覧になっておられます。人は、神に知られているのです。神は、「神はいない。」と主張する人々の名前も御存じです。

 

 最後の裁きをされる裁き主である神は、この『いのちの書』にしたがって、正しい裁きをされます。

 裁き主である神は、『いのちの書』に名前のしるされた人々を、天の御国にいれられます。彼らは、陰府の手(死の国)から買い戻された魂なのです。彼らは、信仰によって、神の御救いを受け取った人々です。神は、彼らの魂を、陰府から買い戻されました。

 彼らの羊飼いは、神のひとり子であられる「神の子羊イエス・キリスト」です。羊飼いは、彼らを永遠のいのちへと導かれます。

 神の御霊と、彼の霊とが、そのこと(彼が永遠のいのちを得た者であること)を証言します。

 

 『いのちの書』に名前のしるされていない人々の羊飼いは、「死」です。陰府が彼らの住まいとなります。

 神は、最後の裁きによって、悪魔と悪霊ども、悪魔に権威を与えられた獣たち(反キリストと偽預言者)、そして、悪魔の子らや、彼らに従い、彼らの言うことを受け入れる者ども(愚か者やまぬけ者ども)を、悪魔の裁きのために用意された、永遠の火の池(永遠に燃え盛る永遠の死と滅び)に投げ込まれます。

 彼らの名前は、『いのちの書』に書かれていません。

 

 神は、永遠の火の池に、死とハデス(陰府)を投げ込まれます。そして、そこは、永遠の死の国となるのです。これが第二の死(魂の死)です。そこから出られる者はひとりもいません。

 

 人は、おのれの財産に信頼する者どもや、豊かな富を誇る者どもを、恐れるべきではありません。

 人はどんなに豊かな富を持っていても、自分の魂を死から買い戻すことはできません。永遠のいのちを与えてくださる神に、自分の身代金を払うことはできないのです。

 「永遠のいのち」はお金では買えません。魂の贖いしろは高価です。神のひとり子イエス・キリストの尊い血によって、買い戻されるのです。

 

 神は、お金で買うことのできない神の子羊イエスの血の、永遠にすぐれた価値を悟らない人のことを、「滅びうせる獣に等しい者」と仰せられます。

 

 「人はその栄華(成功した人生)の中にあっても、(真理の御霊による御救いの)悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」(詩篇49:20)

 

 イエスは言われます。

 「からだ(肉体)を殺しても、魂を殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、魂もからだも、ともにゲヘナ(地獄)で滅ぼすことのできる方(神)を恐れなさい。」(マタイ10:28)

 

 悟った人は、神を恐れる人々に忠告します。

 「恐れるな。(滅びうせる獣に等しい)人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。

 人は(だれでも)、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、(人が地上で成し遂げた)その栄誉も彼に従って(陰府に)下っては行かないのだ。

 彼が生きている間、(自分の持っている地位や名誉や富によって)自分を祝福できても、また、あなたが幸いな暮らしをしているために、人々があなたをほめたたえても。

 (『いのちの書』に名前が書かれておらず、滅びうせる獣に等しい)あなたは、自分の先祖の世代(死者の国)に行き、彼らは決して光(御救い)を見ないであろう。

 人はその栄華(成功した人生)の中にあっても、(神を知る知識と神を恐れへりくだる心、すなわち、人は創造主であられる神によって造られた魂であり、神の憐れみによって存在する者であると知る)悟りがなければ、(その人は)滅びうせる獣に等しい。」(詩篇49:16-20)

 

 悟った人は言います。

 「どうして(神に永遠のいのちの約束を得ている)私は、わざわいの日に、恐れなければならないのか。

 (神を恐れている)私を取り囲んで中傷する者の悪意(迫害)を。

 おのれの財産に信頼する者どもや、豊かな富を誇る者どもを。(彼らは、やがて、永遠の死の穴へと落ちてゆくのだ。)」(詩篇49:5,6)