ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストの嘆き

 

 イエスは、いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話されました。

 神を恐れず、人を人とも思わない裁判官であっても、ひっきりなしにやって来て裁判をしつこく要求するやもめのうるさいのに困り果てて、裁判をしてやる、ということを話されました。

 

 やもめの要求に取り合わないでいた裁判官は、心の中で言いました。

 「私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女(やもめ)のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。」(れか18:4,5)

 

 イエスはこのたとえを話したのちに、言われました。

 「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。

 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民(キリスト者)のために裁きをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。

 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼ら(選民たち)のために正しい裁きをしてくださいます。

 しかし、人の子(キリスト)が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(ルカ18:6-8)

 

 イエスが語られた選民とは、アブラハムの血肉の子孫のユダヤ人のことではありません。神と契約を結び律法の与えられたイスラエルのことではありません。

 「律法」は神の子羊イエスの血によって完成し、神のひとり子イエス・キリストによって「新しい律法」が与えられます。

 

 新しい律法は、文字の律法ではなく、復活したキリスト・イエスが授けられる「聖霊のバプテス」による、「真理の御霊」です。真理の御霊は、生かす御霊であり、永遠のいのちです。

 文字の律法の中には永遠のいのちはありません。永遠のいのちへの道をさし示す指針があるだけです。

 

 神の御子イエス・キリストは、永遠のいのちを得させるために神に遣わされた救世主です。

 イエスは、罪人の罪をご自分の血で取り除き、救世主(イエス・キリスト)の御名によって神に義とされる人々に、新しい律法「真理の御霊」を授ける、唯一のメシアです。

 

 キリストは、新しい律法【真理の御霊】に従う民を「選民」と呼ばれました。アブラハムの信仰の子孫のことです。

 選民は、十字架につけられたイエスを神の御子キリストであると告白し、イエス・キリストを「わが主」と慕い、イエスの父なる神を「アバ、父。」と呼ぶ、真理の御霊が新しく造り変えた人々です。

 

 真理の御霊を受けて新しい創造を受ける人が、キリストが「選民」と呼ばれる人々なのです。

 

 すなわち、キリストが再び地上に現われる時に、キリスト者たちのあるべき姿が地上に残っているのだろうか、と危ぶんでおられるのです。

 

 キリスト者のあるべき姿とは、イエスが弟子たちに命じられたように、キリストが授けられる真理の御霊を受けることです。

 真理の御霊は、生かす御霊であり、罪の中で滅ぶ肉に死んだ魂のいのちを生かし、新しいとこしえのからだ(復活の霊のからだ)をお与えになります。

 

 神は、新しい創造(聖霊によって新しく創造された神の子どもたち)を、新しく創造された神代の国(千年王国)にいれられます。

 真理の御霊を受けて真理の御霊によって生かされる者(聖霊に導かれて御霊とともに歩む者)は、神の国に招かれる選民なのです。

 

 世の終わりに、人の子(神の国を建てるために油注がれた神のしもべ)が現われます。イエス・キリストの霊によって、世界の救いのために立たされるふたりの証人のことではないでしょうか。正確に言えば、「アロンのメシア」によって支えられる「イスラエルのメシア」です。アロンとともに立つモーセのような存在です。

 

 モーセは、神の召しを受けて、イスラエルを奴隷の家エジプトから救い出しました。

 世の終わりに現われる「イスラエルのメシア」は、イエス・キリストの御霊を受けて、世界中にいる選民たちを罪の奴隷のこの世から救い出し神の御国へと導く、神の人です。

 

 世の終わりに現われる神の人を、キリスト者たちは、神が遣わされた人であることを悟ることができるでしょうか。

 「イスラエルのメシア」のことばを、キリスト者たちは、イエス・キリストのことばであると信じることができるでしょうか。

 

 彼(キリスト教徒ではなかった「イスラエルのメシア」)は、霊的なことばを語っているのです。また、彼の現わす奇蹟やしるしは、御霊によるのです。

 霊のことは、御霊によってでなければ悟ることができません。御霊を受けていないキリスト者たちは、果たして、「イスラエルのメシア」を神からの人だと信じて聞き従うことができるのでしょうか。

 

 イエス・キリストから黙示を告げられた使徒ヨハネは、二千年後のキリスト教会を見たとき、非常に驚きました。

 ヨハネの時代は、聖霊によって生まれたエルサレム教会を拠点にして、使徒やイエスの弟子たちが、神の国の訪れを告げ、キリストの福音をイスラエルに宣教し、また、世界に向けて宣教活動を広げ始めた時代です。

 彼らの中心には、イエス・キリストのことばがありました。そして、キリストの御霊【真理の御霊】が羊飼いでした。

 

 ヨハネが見た二千年後の教会はどのようなものだったのでしょう。

 立派な会堂があり、十字架につけられたイエスの像があり、イエスの母マリアの像がキリストと並んで崇められているではありませんか。そして、世界の財宝がそのところに集められているのです。

 

 十字架につけられたイエスは死から甦っておられません。肉体の姿なのです。キリストではないのです。神の子羊イエスは、墓に入り、死から甦って、復活のからだで天に上り、父なる神から主権と光栄と国を与えられました。そして、キリストの権威をお受けになられました。

 神の子羊イエスは、弟子たちに聖霊のバプテスマを授ける、キリストの権威を受けられたのです。

 

 そして、キリストの権威を持つ神の子羊イエスによって授けられる「真理の御霊」により、地上に、神の御子イエス・キリストを「主」とする神の教会が生まれたのでした。

 

 御霊によって生まれた神の教会は、無割礼の異邦人たちに乗っ取られて、神の契約の民ユダヤ人たちが締め出されてしまいました。

 

 御霊によって生まれた神の教会は、神の御子イエス・キリストを信じる異邦人の手によって、御霊を消すキリスト教会とされてしまったのです。

 

 使徒の命を狙い、ユダヤ人たちを殺戮した悪魔の家です。

 神が憎む偶像で満たし、この世の物質を慕い求めて、肉の欲(物欲)の思いのままに人々を支配する反キリストの館です。

 

 「父なる神以外のものを父と呼んではならない。」というイエスの教えは無視されました。その館では、王座に着く教皇を「パパ様」と呼ぶのです。

 

 キリストの教えを受け継ぐはずのキリスト教徒たちによって、御霊の信仰は消されました。

 御霊が消されたキリスト教会から御霊は去ります。

 

 「イスラエルのメシア」は、御霊の教会を回復する神の人です。

 「イスラエルのメシア」のことばは、魂をきよめて御救いを待ち望む古神道、神道、仏教、そのほかの宗教、また、無宗教の人々に喜んで迎え入れられることでしょう。

 

 「人の子(キリストの御思いをもって神に立てられ、御救いのことばを宣教する「イスラエルのメシア」)が来たとき(世に現われたとき)、はたして地上(キリスト教会)に信仰が見られるでしょうか。」