「神よ。あなたの御前には静けさがあります。シオン(神の住まわれる地)には賛美があります。あなたに誓い(神に感謝し、神を崇め、正しい道を歩むという願いと望み)が果たされますように。
祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者(神が造られた者)がまいります。(正しい道に迷い、まことの神を見えなくする)咎が私を圧倒しています。
しかし、あなたは、私たちの背きの罪(まことの神を知らず、霊とまことで神を崇めることのなかった、心が暗く不信仰な日本人)を赦してくださいます。
幸いなことよ。
あなた(生けるまことの神)が選び、近寄せられた人(日本人)、あなた(神)の大庭に住むその人は。(罪が贖われて神のきよさにあずからせていただく望みを持つ日本人は幸いです。)
私たち(日本人)は、あなたの家(日本列島)、あなたの聖なる宮(永遠のいのちを得させてくださる、霊なる神のおられるところ)の良いもの(感謝と喜び、信仰、希望、愛)で満ち足りるでしょう。
日本列島は、神が終わりの日に立てられる神の忠実なしもべ(ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人の一部の人々)を守り養うために、神が用意された神の家でした。
日本列島に、六回に分けてユダヤ人たちが渡来して来たと考えられています。そして、現在の日本人の一割は、このユダヤ人の子孫だと考えられています。
日ユ同祖論を唱える人々がいますが、それは正しくないと思います。日本人の一割がユダヤ人を祖とするのであって、大半の日本人はユダヤ人の血統ではないからです。
しかし、ユダヤ人を祖とする日本人たちがいることは確かな事です。
神は、ユダヤ人の国を失ったユダヤ人たちを東へと向かわせ、日本列島に迎え入れて、神殿が崩壊され、荒地となるイスラエルに代わって、この地(日本)を神を礼拝するシオンとされたのでしょう。
イエス・キリストがイスラエルに来られた時、もうひとつの神の国として存在していたのではないでしょうか。
エルサレムは、神に生贄をささげる場所です。神の子羊イエスは、エルサレムで十字架につけられ屠られました。墓もエルサレムにあり、甦られたのもエルサレムです。イエスの弟子たちも、エルサレムで、聖霊のバプテスマを受けました。
神の御計画は、エルサレムから離れることはありません。
しかし、敵に囲まれたイスラエルの地とは別に、海に囲まれた島国日本列島に、「とこしえのイスラエル(神の御子イエス・キリストを長子とするキリストのからだ、すなわち、復活された栄光の主イエス・キリストの右の手にある七つの御霊の教会)」を立てる礎を置かれたようです。
日本神道(古神道)が目標としている「弥勒の世」の国造りを、日本国から始められるのでしょう。
聖書を知らない日本人の国(日本列島)から、聖書に預言されている「千年王国」新しい神代の国の国造りがスタートするとは、だれも想像していなかったことでしょう。
日本人は、単一民族とされていますが、実は、多くの民族が混じり合い、和合している民です。
縄文時代にいた日本人は、土着の人々の中に、アブラハムの信仰(自然の中に、生かしてくださる神を体験し、目に見えない神を恐れ崇める信仰)を持つアブラハムのそばめの子らが混じった人々であると、私は考えています。
契約の民ユダヤ人ではありませんが、神の契約を持つアブラハムの血肉の子孫です。神の律法を受けたユダヤ人は、律法を守ることに心が向けられており、アブラハムが持っていた生ける神との交わりとその純粋な信仰を失っていました。
彼ら(アブラハムのそばめの子孫)が渡来して来たことで、日本列島に神を崇めるという信仰の風習が根づきました。
その縄文人の時代から、北イスラエル王国の人々の一部、南ユダ王国のユダヤ人の一部の人々が何回かに分かれて、それぞれ渡来して来たのでしょう。
彼らが、日本列島にはいると、岩や木など自然のものを神として拝んでいた信仰に、社(神のやしろ)を設けて神を礼拝する祭祀が始まったのではないでしょうか。
イスラエルの神殿信仰は、縄文人の自然信仰と和して、素朴ですが神聖な木のお社として、日本列島に広まりました。
祭司が置かれ、お社は神の権威をいただきました。
神は、神の国として整え始めた日本列島にダビデの子孫を送り、国造りを始められました。それぞれの豪族の国々であったものを一つの日本国にまとめ上げることを、神武天皇によって始められました。
天津神(ユダヤ人)の瓊瓊杵命(ニニギノミコト)の子孫である「神武天皇」は、「とこしえのイスラエル」の国造りのために、神に召されて立てられる「ふたりの証人」のひとり、「イスラエルのメシア」のひな型でしょう。
そして、大和の国を地の神(ナガスネヒコ)から取り上げて、同胞の天津神の神武天皇に譲った、大和の地を支配する天津神(ユダヤ人)である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、神武天皇の弓にとまる金鵄(きんし)でしょう。
神武天皇の国造りを助ける金鵄は、「イスラエルのメシア」と一致する、神に召されたユダヤ人であり、「イスラエルのメシア」に神のことばを与えて助ける「アロンのメシア」のひな型でしょう。
卍(仏法)の紋章を持つ「イスラエルのメシア」も、○(古神道)の紋章を持つ「アロンのメシア」もユダヤ人の血を持つ日本人でしょう。
日本人たちは目覚め、自分の魂の向くまま、日本人の心の故郷である神道あるいは仏教に救いを求めて、彼らのDNAにある記憶の欠けた部分を埋めていくことでしょう。
彼らは、優しい魂、きよい魂、美しい魂になることを願い、正しい道を模索します。彼らは、新しい神代の世界にはいる備えを始めるのです。
彼らは、生けるまことの神へと近づいていきます。彼らは、日本人の魂の拠り所であった神道や仏教を通して、神の大庭にはいっていくのです。
キリスト者たちは、真理(十字架の主イエスは神の御子キリストであり、キリストの血によって罪が贖われ、真理の御霊を受けて神の子どもに造り変えられる)の信仰により、すでに、神の家に住まわっています。
神道や仏教からはいる人々は、大庭に住みます。
卍の紋章を持つイスラエルのメシアと、○の紋章を持つアロンのメシアが立つと、真理の御霊が注がれて、彼らは、神の家にはいる者とされるのです。
神武天皇が国造りを始めた頃の日本人の子孫たちの中に、日本人の四割とされる大和の心を受け継ぐ人々がいるのでしょう。
それ以降、ユダヤ人ではない大陸の民族がたくさん渡来しています。それらの子孫である日本人は、現在の日本人の六割を占めているのでしょう。
しかし、それらの日本人でも、イエス・キリストに目を向けて、悔い改めて罪の贖いを受け、神に立ち返り、正しい道を歩むならば、救われるのです。
神は、世界に先駆けて、日本人を神の大庭に招いておられます。素直な魂は、神の招きに応じることでしょう。
神の招きに応じた日本人は、感謝と喜びに満たされます。彼らの魂は、希望の光を見つめ、御救いの光を仰いでいるのです。
彼らの喜びと感謝が、日本列島を覆う闇の力を弱めます。そして、多くの日本人の魂が目覚め、神への信仰を回復する人々が起こされ、希望を抱く魂とされることでしょう。
日本人の感謝と神を崇める祈りと賛美が、神の御住まいとなり、世界に向かって、神の御救いの御計画が開かれていくことでしょう。
キリスト教会の皆さまに申し上げます。真理の御霊を受ける彼らは、御霊の教会の兄弟姉妹です。
キリスト教でもなく、神道でもなく、仏教でもない。宗教ではなく、キリストの御霊が建て上げる御霊の教会が、日本列島から生まれるのです。
永遠のいのちを得る神の子どもたちは、真理の御霊によって新しく生まれる「七つの御霊の教会」です。ひとつの同一の御霊によって完成するのです。