イエス・キリストの黙示を託されたヨハネは、大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こういうのを聞きました。
「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主(創造主にして、救い主であり、裁き主であられる、唯一の神の御子イエス・キリスト)は(とこしえのイスラエル〈永遠に生きる神の子どもたちの国の〉)王となられた。
(キリストの血で罪が贖われ新しい人とされた)私たちは喜び楽しみ、(新しい創造を完成される)神をほめたたえよう。子羊(イエス)の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができた(宗教に汚されていない純真無垢な十四万四千人の召されたユダヤ人はその働きをすべて成し終え、御霊の教会が整えられた)のだから。
(キリストとひとつ心の)花嫁は、光り輝く、きよい亜麻布の衣を着ることを許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。(キリストのために御霊の教会を完成し、また、整えた十四万四千人のユダヤ人は、復活の栄光のからだをいただき、天に上ります。)」(黙示録19:6-8)
天では、異邦人の時に天に引き上げられた大勢の魂が、キリストの花嫁がやって来るのを待ち望んでいました。
十四万四千人のユダヤ人たちが地上の刈り取りが終わり、ユダヤ人とキリスト者、神が招いておられた人々の魂が信仰に勝利したのを見届けると、キリストの花嫁として天に迎え入れられました。
天では、先に復活のからだをいただいた大勢の魂が、キリストの花嫁を迎え、喜びに満ちていました。彼らは、子羊の婚宴に招かれた人々です。新しい天に住まいが設けられる、神に忠実な人々です。
「御使いは私(ヨハネ)に『子羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。』と言い、また、『これは神の真実のことばです。』と言った。」(黙示録19:9)
天で催される小羊の婚宴に招かれた御霊の教会は、霊とまことをもって神を礼拝し神に忠実であった携挙者たち(キリスト教会、神道、世界の少数民族の民俗信仰の人々の中から選ばれた人々)の御霊の教会【フィラデルフィア】と、死に至るまで忠実なしもべであるキリスト者(ユダヤ人ビリーバーと異邦人のキリスト者の殉教者たち)の御霊の教会【サルデス】と、死に至るまで忠実なしもべであるユダヤ教、神道、世界の少数民族の民俗信仰の人々で、(メシアニック・ジューの殉教者と神に忠実なユダヤ人の殉教者)の御霊の教会【テアテラ】の三つです。
三つの御霊の教会は、子羊と子羊イエス・キリストの花嫁【ラオデキヤ】の婚宴に招かれた幸いな人々です。
ヨハネは、御使いの語るのを聞いたとき、ありがたくて御使いを拝もうとしました。
「そこで、私(ヨハネ)は彼(御使い)を拝もうとして、その足もとにひれ伏した。すると、彼(御使い)は私(ヨハネ)に言った。
『いけません。私(御使い)は、あなた(ヨハネ)や、イエスのあかし(子羊イエスは、神の御子キリストであるという告白)を堅く保っているあなたの(キリストにある)兄弟たちと同じ(キリストの)しもべです。
神を拝みなさい。イエスのあかし(十字架の主イエス、神の子羊イエスは死に打ち勝って甦られた神のひとり子キリスト【魂の救い主】である、と言う告白)は預言の霊です。』」(黙示録19:10)
「預言」とは、神にあずかったみことばです。未來の事を予知する予言とは異なります。
「十字架につけられた神の子羊イエスは神の御子キリスト【救い主】である。」という告白のことばは、人から出たものではありません。天の神が、その人の口にお授けになった神のみことばなのです。
御霊の賜物にある預言の賜物とは異なりますが、ナザレのイエスを神の御子キリストであると告白するキリスト者は、預言の霊によって語っているのです。
くちびるに、神のみことばをのぼらせているのです。くちびるに神の預言の霊があるのです。
祈り方がわからなくても、道を行く時、「イエスは神の御子キリストです。」と告白して歩くならば、神の預言(みことば)をその町に置いていくことになるのです。
目に見えるところではない、霊の世界に真理の光を輝かせることは、キリストの福音を宣べ伝える人々の働きを助けます。彼らの宣教に先立って、霊の世界を整える働きをしていることになります。
霊が整えられた地では、多くの実りを得ることでしょう。魂の目覚めが起こりやすく、福音のことばに耳を傾ける霊の耳が開かれるからです。
イエスのあかしは預言の霊です。
信仰告白も、イエス・キリストに出会って変えられたあかしも、イエス・キリストの御名でなされた事柄のあかしも、神に預かった神のことばなのです。
私たちは、神からことばを預かっています。
私たちは、預言の霊を与えられているのです。