日本の縄文時代は、自然と和して生きる人々の世界であり、すべてのものの上に目に見えぬ力を見、大いなるありがたい存在(神)を知っており、そのありがたい存在に感謝をささげる心がありました。
すなわち、縄文人は常に創造主とともにあったということです。イスラエルの父祖アブラハムの信仰を持っていたのです。
それはノアの信仰であり、ノアの信仰の相続者であるアブラハムの信仰を継承している人々のようでした。
遠い日本の島国に、なぜ、アブラハムの信仰が残されていたのでしょうか。
おそらく、アブラハムが妻サラを失った後で得た、もうひとりの妻ケトラの子どもたちが、日本列島に渡来していたのではないでしょうか。
アブラハムは、神の御計画どおりに、神の契約をサラのひとり子イサクに相続させるために、そばめの子らを東のほうにやって、跡取りのイサクから遠ざけたとあります。
おそらく、彼らは東に向かって行くうちに、最果ての島国に辿り着いた人々もいたのでしょう。そこは、海に囲まれた島国です。他民族の侵入の少ない場所でした。
彼らのうちに受け継いだ父アブラハムの信仰を妨げる者はいません。故郷の乾燥地帯とは違います。良い水の潤った地です。生活をするのに安全な場所でした。彼らは穏やかに安らかに過ごすことができました。
島国に辿り着くまで多くの危険をくぐって来たことでしょう。大陸を横断するには、他民族の土地を通らなければなりません。当然敵とみなされて、攻撃されます。海を渡って上陸できたのは、限られた人々です。
島国に辿り着いた者たちの喜びと安堵はどれほどだったことでしょう。アブラハムがカナンの地に辿り着いた時、祭壇を築いて神を礼拝したように神に感謝したことでしょう。
島国にはすでに住民はいましたが、敵に囲まれていない彼らは、渡来人を敵とはみなかったのではないでしょうか。
彼らは、それぞれ自分の領域を知り、それぞれ群れを作って生活をしていたのでしょう。
縄文時代の遺跡には、武器は発見されておらず、縄文人の遺骨には戦いで死んだ痕跡はないそうです。それで、縄文時代は争いのない穏やかで平和な時代であったと考えられています。
彼らは、人間の存在を越える大いなる存在を肌で感じていたのでしょう。霊的な体験をしていたようです。
そこに、失われたユダヤ十部族と言われる北イスラエル王国の人々が渡来したとしたら、大いなる力の正体を知らずに恐れ敬っていた縄文人たちに、その実体を知らせる事となったのではないでしょうか。
生ける神を知り、神のことばと神の契約を持つこれらの聖なる民を神の民として崇め、彼らの信仰を尊んだのではないでしょうか。
自然の中で働かれる霊なる力強いお方を、「神」として知り、磐座(いわくら)や大樹を神の化身として捉え、神を覚えて礼拝する祭壇としたのかも知れません。
自然と調和する縄文人に、「神」という概念が知らされ、目に見えない聖なる方を自分の存在とは分けて捉えて、彼らの意識の中に自然界の秩序が芽生えたのかも知れません。
縄文人には、自然と調和する心がありました。律法がなくても神の霊に触れる彼らの心には良心があり、渡来人の持ち込んだ神概念は受け入れても、厳格な神の命令である律法は受け入れられなかったのかも知れません。
縄文人は、文字の律法ではなく、生ける神の霊に生かされていたのです。彼らには争う心がなく、愛と慈しみと憐みが彼らの心の律法だったのです。
律法という概念は縄文人には不要でした。彼らの生き様そのものが、愛と平和と喜びと感謝だったのです。
神を知った彼らは、日本の島々に磐座を設け、目に見えない神を崇めたことでしょう。自然災害の多い日本列島では、自然の猛威に神の怒りを見て、神を奉っていたのでしょう。彼らの生活の中心に自然を支配される神の存在がありました。そして、神の癒しや慰めや恵みや愛の体験によって自然と共生していたのです。
しばらくすると、南ユダ王国の人々も、生き延びた人、また、極東までたどり着くことのできた勇者たちが渡来して来ました。
彼らが来ると、縄文人の世界は変わっていきました。先にいた北イスラエル王国の人々と後から来た南ユダ王国の人々との間に権力争いが勃発しました。彼らは、互いが同胞(ヤコブの子孫)であることを知らずに戦いました。
神は、北イスラエル王国の人々に、渡来して来た彼らが先祖(ソロモンの子)の時代に分かれた兄弟であり同胞であることを知らせて、イスラエル王国のダビデの子ソロモンの南ユダ王国の人々に国造りを任せられました。
南ユダ王国の人々は、磐座信仰の縄文人の民俗信仰にお社を建てて、神の御住まいを設けました。
そして、ソロモンの時代にカナンの地にイスラエル王国を確立したように、日本国という国造りを始めたのではないでしょうか。
縄文人の平和な世界は、渡来人たちによって、一つの国家のかたちにされていきました。
渡来人の数は縄文人の数よりも多いわけではありませんが、神の知恵のある彼らによって、日本国の礎が築かれたのだと思います。
縄文人たちは、割礼も律法も必要としませんでした。そのような彼らに、聖書を持つ民が、割礼を強要することなく、また、縄文人の心に記された良心に従って、彼らを一つの国家にまとめ上げていったのではないでしょうか。
ここはイスラエルではありません。しかし、律法では経験できなかった生ける神との交わりのある平和な神の国です。
南ユダ王国の人々は戦いによって勝ち取り、彼らが国をまとめました。その時代の後で、渡来して来た大陸の人々(ヤコブの子孫ではない渡来人たち)がやって来ても、この国家は揺るがないものとなっていました。
「縄文の心」(生かされる感謝と愛される喜び)と、「出雲の心」(神に仕える民としての自覚を持つヤコブの子孫の意識)と、日本の国造りの礎に立つ「大和の心」(神を恐れ、自然の中に神を体験して目に見えない神を見るようにして歩み、人間を自然の一部として捉え、神の霊にへりくだり、自然と共生する心)をDNAに持つ人々によって保たれて来ました。
それは、それぞれの家庭で受け継がれて来ました。また、日本独自の民俗信仰、神道や仏教によって民族的に守られてきたように思います。
今では、自分がヤコブの子孫である渡来人の血肉の子孫であることを知る人はほとんどいません。日本人口の一割くらいだとも言われています。
日本列島に渡来して来たヤコブの子孫は、イスラエルのことを忘れました。聖書を知る人々もいません。
良心を大切にして来た日本人は、罪の違反者のために与えられる文字の律法を必要としなかったのです。
彼らは、長い間、良心に従って互いを思い合い、また、日本民族が一つの家族であるかのように、互いに戒め合って生きて来たのです。
近代化に伴い、精神性は闇に覆われてしまいましたが、しかし、その根っこは残っているようです。
神は、日本人の魂を揺り起こされます。そして、日本人たちの中にある霊的な体験の記憶を思い起こさせ、永遠への思いへと導き、きよいものへの憧れと不変のものへの探求、真理への飢え渇きを芽生えさせられることでしょう。
彼らは、文字の律法{聖書」を知らない民です。しかし、心に良心という律法を植え付けられている人々です。
ヤコブの子孫によって造られた日出ずる国の日本。
この日本から、永遠のいのちを得させる聖霊の民、「白い兄」と「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」が起こり、聖霊の力によって、世界宣教を完成させる十四万四千人のユダヤ人に生ける神の印を押して、日本の贖いと救い、そして、世界の救いへと拡大していくのでしょう。
聖書を知らない日本人たちが真理の御霊を受けると、神が聖書で知らせておられた通り、聖霊(キリストの御霊)がとこしえの神の国の礎となるのです。
イスラエル国家の礎は聖書であり、イスラエルを築いたのは「聖書」(神の契約)でした。
とこしえのイスラエル国家(神の子羊イエス・キリストが王として治められる、永遠のいのちを得る光の子らの国)の礎は聖霊であり、とこしえの神の国(死んでも甦り永遠に生きる、新しい創造の神の子どもたちの光の世界)を築くのは「真理の御霊」(神の御子イエス・キリストがお与えになる生かす御霊)なのです。
聖書を知るイスラエルからでもなく、キリスト教国からでもなく、聖書を知らなかった日本から起こるのです。
ヤコブの血肉の子孫であることを忘れている人々から起こります。御救いのことばが、聖書を知らなかった日本人に告げられるのです。
「あなた(生ける神)のさとしは奇しく、それゆえ、私(日本人)の魂はそれを守ります。
みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえの無いものに悟りを与えます。」(詩篇119:129,130)
「幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。
わが神、主よ。あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは、数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。」(詩篇40:4,5)
神の約束どおり、御救いはヤコブの血肉の子孫ユダヤ人から出るのです。