ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

世が滅びる時

 

 「イエスは弟子たちに言われた。

 『人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。(花婿〈キリスト〉が彼ら〈弟子たち〉から取り去られる時が来ます。イエス・キリストの姿を地上で見ることができなくなるのです。)

 人々が「こちらだ。(キリストはこちらにおられる。)」とか、「あちらだ。(あちらにおられる。)」とか言っても(それを信じてついて)行ってはなりません。あとを追いかけてはなりません。

 いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。(御救いを与える者は、神に定められた期間、人々に現われ、御救いを成し遂げるとその輝きは消え去るのです。)

 しかし、人の子(御救いを与える者)はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。」(ルカ17:22-25)

 

 御救いを与えるキリストは、その時代に捨てられると言われました。

 キリストは、多くの苦しみ(人々の不信仰、偽りを愛する人々による迫害と殺意に苦しみ、殺される。)を受けて、その時代を牽引する人々に抹消されるのです。

 

 人の子の(キリストによって救いが完成する)日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。

 

 「(神の御救いの御計画を知り、その鍵を握る)ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。」(ルカ17:27)

 

 世の中は普段通りに過ぎていました。いつもどおり、朝起き、いつもの日常生活を繰り返していたのです。だれも世の終わりのあることを信じていません。不安に陥ることも恐れることもなく、備えることもありません。

 

 ただ、ノアとノアの家族だけが異様な存在でした。世界が水で滅びると言って、箱舟を造っているのです。

 七十年ほど続いている箱舟の建造の様子を見て、最初の頃のように驚く人はいません。慣れっこになっていました。そして、箱舟が造られ始めてから今に至るまで、変化のない空を見る人々は、ノアを変人に思い物笑いにするだけで、洪水の噂をする人々もいなくなりました。

 

 また、ロトの時代にあったことと同様です。

 御使いがロトの所に来て、ソドムの町が火で滅びることを告げました。それを聞いたロトは、ただちに嫁いでいる娘のところに使いをやります。しかし、娘の夫には冗談としか思えず、信じません。その妻であるロトの娘もまた夫の側に留まりました。

 

 ノアの時代には、七十年(箱舟建造期間)の猶予がありました。ロトの時代には、一晩の猶予です。御使いの話を聞いたロトとその家族は、次の朝早くに、御使いたちにせかされてソドムの町を出ました。

 

 「(ソドムの町の)人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドム(の町)から出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。

 人の子の現われる日にも、まったくそのとおりです。」(ルカ17:28,29)

 

 天からの火で滅びるという御使いの警告も、神を恐れず神を信じない人々にとっては、豚に真珠です。だれも慌てふためきません。他人事なのです。

 人々は普段通りの日常の延長にいました。明日もその次の日も、今日と何が変わるというのでしょうか。

 生まれて来た時からこのかた、何も変わらないではありませんか。夕飯を食べて寝ると、次の朝に目覚めるのです。すると、その日も、昨日のように一日が始まるのです。

 

 しかし、神の時が来ると、本当に事が起こるのです。

 ノアが完成した箱舟の中にはいると、雨が降り始め、四十日四十夜降り続けました。地盤は柔らかくなり、家々は倒壊し家畜が流され、すべてのものは、大水に飲み込まれました。

 

 救い(箱舟)の用意のできたノアとノアの家族は救われ、それ以外の人々は神の警告を軽んじて、すべての人が滅びました。

 

 日常生活の延長にあった世の人々は、ノアたちが箱舟にはいるときにも、終わりの時を悟らず、滅びました。

 

 ロトが御使いの警告に従ってソドムの町を出ると、その日に、ソドムの町に火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしました。

 

 神の警告を信じない人々は、何の警戒もなく、普段通りの生活を送っていたのです。自分が墓に入る日まで、今日の延長の日々が続くと信じていたからです。

 

 キリストは、人の子の現われる日も、まったくそのとおりだ、と言われました。

 御霊にあって真理を悟り、終わりの日がやって来ることを信じ、その備えをしていた人々(神に心を向け、神に受け入れられることを求め、真理の御霊を受けて、その日を待ち望んでいた人々)が世から取り去られると、世の人々に苦難が訪れます。

 

 「世の終わり」としきりに騒がれた後に、人類は、それを信じて備える人々と、迷信を信じるような愚かなことだと思う科学的な人々に分かれていくでしょう。

 新しく進化して行く世界に心が奪われて、いつの間にか、誰も噂しなくなりました。人間の力と可能性を追求する喜びに浸ります。この新しい世界を成功させることに、この世の知恵者たちの心はおどっています。

 

 世の終わりの噂が下火になり、世の人々は昨日のように、朝会社に出勤し、学校に登校し、社会は普段通りに回っています。

 昨日と何が違うのでしょうか。

 しかし、それは突然起こります。

 

 真理の御霊を受けた人々が去ると、神を信じない人々には何の予告もなく、その日は訪れるのです。

 

 人の子(神の子どもとされる人)はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。

 

 私たちは、ノアの時代の人々やロトの時代のソドムの町の人々のような、日常生活の延長にいる、備えのない人々をこの時代に見ることになるのです。