「知られざる神に。」と刻まれた祭壇があるのを見つけたパウロは、宗教心にあついアテネの人々に言いました。
「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。
また、何か不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。(また、何にもよらず、おひとりで存在し、すべてのものを保っておられる方、すべての存在に理由を持ち、また、目的を持っておられる存在の根源であられます。生ける神は、「わたしはある」という唯一神、主なのです。)
神は、ひとりの人(アダム)からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。(このことによって、人種が生まれ、それぞれの国と民族、男と女、さまざまな言語が存在します。人は他者を見て、違いをあやしみ、自分の存在をはかるのです。)
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、存在しているのです。」(使徒17:23-28)
人種が異なろうとも、民族、国の違いがあろうとも、すべての人は、ひとりの人(アダム)から造られ、神のいのちの息を得て生きるものとなり、動き、存在しているのです。
それは、他者と比べて、幸不幸を感じ、普遍のものを求めさせるため、また、死の存在を乗り越える変わらぬものへの切望を持つようになるためでした。そこには、神がお与えになった永遠への思いがあり、望みがあるのです。
パウロは言います。
「神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。(それは、偶像にすぎません。)
神は、(人々が神を求めて偶像を慕う)そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、(罪の贖いをする神の子羊の血が流された)今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。(悔い改めるならば、罪が赦される時代にはいったからです。)
なぜなら、神は、お立てになったひとりの人(神のひとり子イエス・キリスト)により(公平な神の)義をもってこの世界をさばくため、(裁きの)日を決めておられるからです。
そして、その方(罪を贖った神の子羊イエス)を死者の中から甦らせることによって、このことの確証(神の御子イエス・キリストにあって救われる者は、だれでも、キリストが墓から甦られたように、一度死んでも、新しい復活のからだで甦り、永遠に生きる神の子どもとされる、という神の約束の確信)を(十字架で生贄となったナザレのイエスが神の御子キリスト〈救世主〉であると信じる)すべての人にお与えになったのです。」(使徒17:29-31)
神は、預言者たちによって、ユダヤ人からメシア【救世主】が出ることを知らせておられました。
このメシアは、死から甦り、イスラエルのとこしえの王となられる方です。
このキリストは、ユダヤ人だけの救い主ではありません。
預言者イザヤはこう言っています。
「エッサイの根(ダビデ王の子)が起こる。(ダビデ王の子から救い主【キリスト】が起こる。)
異邦人たちを治めるために立ち上がる方である。(神と契約を持たない無割礼の人々をも従わせる、全地の王、王の王主の主です。)
異邦人はこの方に望みをかける。(異邦人は、この方「ユダヤ人の王〈イエス・キリスト」に救いを見、イエス・キリストの御名を呼び求める。)」(ローマ15:12)
神は、地上に遣わした神のひとり子(イエス・キリスト)が罪の贖いのみわざを成し遂げられたのを御覧になって、満足されました。
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
イエス・キリストの御名は、世界各国、あらゆる民族の人々に、それぞれの国語、それぞれの民族の言語によって呼ばれ、救い主として崇められています。
イエス・キリストほど多くの呼び名を持つ人はいないでしょう。また、彼の名前ほど、大勢の人々に希望と愛と勇気を与えるものはないでしょう。
神は、世の罪を取り除き、罪を贖う全き血を流した神の子羊イエス・キリストを、死から甦らせ、復活のからだをお与えになりました。
アダムは、土の塵から取られたからだを造られた最初の「人」です。肉のからだの肉の人です。
イエス・キリストは、復活のからだを造られた最初の「新しい人」です。霊のからだの御霊の人です。
アダムから生まれた肉のからだの「肉の人」は、だれもが、一度死んで死後に裁きを受けることが定められています。
イエス・キリストの御霊によって新しく造り変えられた「新しい人」は、信仰によって生きる「御霊の人」です。御霊が新しく創造される「御霊の人」には、神が永遠のいのちを得させられます。
神は、神の御子イエス・キリストを地上に遣わされることによって、アダムの子(生まれつきのままの肉の人)と、第二のアダムの子(御霊によって造り変えられ、新しい創造の御霊の人)の二種類の人が存在する地球とされました。
神は、地球上に、死んで永遠の火に焼かれる古い人(永遠の死者)と、きよめの火をくぐり永遠の火に燃やされることのない新しい人(永遠のいのちを得る新しい御霊の創造〈神の子ども〉)とを持っておられます。
古い人は、魂を神から奪った悪魔の手の中にあります。
新しい人は、魂を悪魔から神の子羊の血で買い戻した神の御子イエス・キリストの手の中にあります。
それゆえ、救いを求める魂は、御救いをお与えになる方の御名を慕い求めるのです。
キリストの名は、神によって、高く上げられました。世界中の人々が仰ぐことができるようにと、高く掲げられているのです。
「それは、(神のひとり子)イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが(すべての被造物が)、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。(十字架につけられた世界の罪を贖う神の子羊イエスは、神の御子キリスト【唯一の救世主】である。)』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:10,11)
世界中の国々では、創造主とされる神をそれぞれにもっており、それぞれの国語で崇めていることでしょう。
創造主はすべてのものを造られた方であり、人はひとりの人(アダム)から造られています。
すなわち、神はおひとりだということです。
世界におひとりの創造主をほめたたえる、共通語は何でしょう。
それは、「イエス・キリストは主である。」という告白である、と聖書は言います。
恐れおののいてすべてのひざがかがめられ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白することが、父なる神がほめたたえられることなのです。父なる神とは、すべてのものを造られた創造主です。天の神です。
神が遣わした唯一のキリスト【救い主】を信じること、すなわち、神が主権と光栄と国をお与えになったとこしえの王の王であり、神がキリストとお定めになった神のひとり子イエス・キリストの主権にへりくだりること、そして、イエス・キリストの御名を崇め神をたたえることは、新しい夜明けの幕開けとなるのです。
天の神をたたえながらも、神のひとり子イエス・キリストをないがしろにする者たちには、天の御国に住まいはないのです。
キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼(神の御子イエス・キリスト)に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となられました。
「恐れおののいて自分の救いを達成してください。
神は、御心のままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」(ピリピ2:12-16)
「イエス・キリストは主です。」この告白に、父なる神の誉れがあります。
神が遣わされた唯一のキリスト(神の御子イエス・キリスト)を信じる人々の、「イエス・キリスト主です。」との告白は、私たちの神へのほめ歌です。