「(主〈キリスト〉の道を備えるために、神に遣わされたバプテスマの)ヨハネは自分のほうに(ナザレの)イエスが来られるのを見て言った。
『見よ、世の罪を取り除く神の子羊。
私(バプテスマのヨハネ)が「私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。(バプテスマのヨハネのあとに来る方は、バプテスマのヨハネが生まれる以前から存在しておられる神のひとり子である。バプテスマのヨハネが悔い改めの水のバプテスマを施してユダヤ人たちの信仰を整えて、主の通られる道を備える。すると、バプテスマのヨハネの後に神に遣わされた神のひとり子が来て、バプテスマのヨハネが整えた、主の通られる道を歩まれる。その方は、キリスト【救世主】である。)』と言ったのは、この方(ナザレのイエス)のことです。
私(バプテスマのヨハネ)もこの方を知りませんでした。(ヨハネも「ナザレのイエス」がキリストであることを知りませんでした。)
しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て(バプテスマのヨハネは神に遣わされて)、(ユダヤ人たちに)水でバプテスマを授けているのです。」(ヨハネ1:29-31)
水のバプテスマを授けさせるためにヨハネを遣わされた方(天地万物を造られた全能の神、主)は、ヨハネに言われました。
『聖霊がある方の上に下って、その上に留まられるのがあなた(ヨハネ)に見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。(すなわち、神がイスラエルに遣わされたキリストである。)」(ヨハネ1:33)
「ヨハネは証言して言った。
『御霊が鳩のように天から下って、この方(ナザレのイエス)の上に留まられるのを私は見ました。
私もこの方を知りませんでした。(御霊のしるしを見るまでは、どのユダヤ人がキリストであるのか、ヨハネも知りませんでした。)
しかし、水でバプテスマを授けさせるために私(ヨハネ)を遣わされた方(天の神)が、私に言われました。
「聖霊がある方の上に下って、その上に留まられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方(キリスト)である。」
私(ヨハネ)は見たのです。それで、この方(ナザレのイエス)が神の子であると証言しているのです。』」(ヨハネ1:32-34)
バプテスマのヨハネは、ユダヤ人たちに「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と言って、天の御国にはいるにふさわしい者となるための水のバプテスマを授けていました。
水のバプテスマは、ユダヤ人たちの信仰を築き直して、天から遣わされたキリストを迎えさせるためであり、また、だれがそのキリストであるかをヨハネが知り、ユダヤ人たちに証言するためでもあったようです。
バプテスマのヨハネは、大勢のユダヤ人に水のバプテスマを授けていました。
水のバプテスマを授けているユダヤ人たちのうちで、聖霊が天から下って留まられた方(キリストのしるしのあるユダヤ人)は、ナザレのイエスただひとりです。
許嫁の妻マリアが身ごもった事を知ったヨセフは悩みました。
夫以外の男の子どもを宿す不貞の罪は、神の民イスラエルには許されないことです。ヨセフは正しい人であって、マリアをさらし者にはしたくありませんでした。
主の使いがヨセフの夢に現われて言いました。
「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリアを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
マリアは男の子を産みます。その名を「イエス(神は救い)」とつけなさい。この方(マリアの胎にいる男の子)こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)
眠りからさめたヨセフは、主の使いに命じられたとおりに、身ごもったマリアを妻として迎え入れ、子どもが生まれるまで妻に触れることはありませんでした。また、イエスと名づけた男の子を自分の子どもとして育てました。
主の使いは、ヨセフに、「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」と、聖霊によってマリアの胎に宿った子どもを、「この方」と呼び、イスラエルの民の罪を贖う「メシア」だと証言しました。
イエスは、神の民の罪を贖う「救い主」として来られました。
ナザレのイエスは、世の罪を取り除く神の子羊です。
神の子羊は、罪人たちの罪の生贄として屠られ、世の罪を取り除くために、罪の贖いの血は流されました。
神の子羊イエス・キリストの血は、罪を贖います。罪をきよめるのです。神は、神の子羊イエス・キリストの血によって贖われた罪を赦されます。罪を赦された人は、神に義とされ、正しい人として神の御前に立つのです。
神の子羊の血のあるところ、罪は取り除かれます。
罪が取り除かれたことを証しするものがあります。
イエスは言われました。
「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」(ヨハネ3:5)
神の子羊イエス・キリストの贖いの血で罪が取り除かれるのは、神の約束されたことです。しかし、その約束の実現には、信仰が伴います。
神の子羊イエスの血によって罪が取り除かれても、水と御霊によって生まれなければ、神の御国にはいることができません。約束は実現しないのです。
自分の罪を認めて悔い改めることにより、世の罪が取り除かれたことの真実が、その人自身の魂に起こるのです。すなわち、自分自身の罪が赦されます。魂が神の御国に招かれる者とされます。
バプテスマのヨハネは、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と言いました。悔い改めれば、天の御国にはいる者とされます。
悔い改めによってきよめられ、天の御国に近づく者となったならば、救い主キリストの与える聖霊【真理の御霊】を受け、意識をこの世から神の国に向ける新しい人に造り変えられなければなりません。
人は、水(悔い改め)と御霊(真理の御霊、新しいいのち)によって新しく生まれるならば、天の御国にはいってとこしえに生きる霊の人「新しい人」、すなわち、神の子どもに創造されるのです。
神の子羊イエス・キリストの血は、世の罪を取り除く贖いの血です。贖われているから、悔い改めの心が起こるのです。悔い改める心があるから、真理の御霊を受けることができます。
聖書を知らない日本は、イエス・キリストの贖いの血を信仰によって受け取っていません。罪の贖いの血なしで、きよくなろうと努力しますが、限界があります。
キリストの贖いの血を日本列島に注ぐ信仰を持つ人はだれですか。
イエス・キリストの血によって罪が赦されて神と和解し、救いの喜びをいただいて神に感謝し、神を賛美しているキリスト者たちではありませんか。
どうか、日本の地にキリストの贖いの血が注がれ、神の子羊イエスの血で覆われるようにお祈りください。
神社やお寺を呪いの対象として見ないでください。彼らの中から、世界を救いに導く「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」が起こるのです。
神は、キリスト教会だけを神のものとされているわけではないのです。神の御救いは、神を求める全ての人、救いを求める全ての人に向けられています。愛である神は、悲しむ者、痛む者、嘆く者、苦しむ者のかたわらにおられるのです。
イエス・キリストの御名を呼ぶ人たちよ。神社やお寺に、贖いの神の子羊の血を注いで、罪が取り除かれるように祈りましょう。
あなたがたが祈り、注いだキリストの血が、神道や仏教の人々の魂をとこしえの救いへと導くのです。
バプテスマのヨハネが、イエスの通られる道を備えたように、イエス・キリストの御名にあずかったキリスト者の皆さん、どうか、キリストの血潮を注いで、御霊の通られる道を日本列島に張り巡らしましょう。
私たちにゆだねられた働きは霊的な働きです。
キリストの血で贖われていない地に真理の御霊が注がれても救いは起こりません。魂の救いのために、祈りによってキリストの贖いの血を日本の地に注ぎましょう。そして、日本人の魂の御救いの道の備えをいたしましょう。