四月から始めた神社仏閣の祈りのツアー。神は、今まで回った所を結んだ土地が私の持ち場であることを示されました。一か所に何千人何万人あるいは何十万人もの人々が重なっている持ち場だと思います。ひとりひとりの持ち場ですが、それぞれの箇所に大勢の人が割り当てられているということです。
幻で剣山や淡路島、大阪、奈良、京都、滋賀、三重、岐阜、愛知、静岡、山梨と、西から太い帯状の白い川が東に向かって勢いよく流れているのを見ました。
奈良盆地に生ける水の川の泉を置いて、盆地を満たし溢れ流れさせてくださいと、奈良の盆地で祈った後で見た幻です。
西には、本当に多くの人の祈りが積まれている事でしょう。しかし、その流れがある所でストップしてしまったのです。
富士山を通り過ぎた辺りです。山梨の浅間神社や不二阿祖山太神宮辺りまでは太く流れて来たのに、流れは止まって、それ以東は生ける水が届きません。
東京の鬼門封じの神社を回ろうと決めて、その場所を調べようとしたら、体調が悪くなって二日間寝込みました。
気が滅入って鬱のような状態にもなりました。それで、決めてから二週間は手つかずの状態でした。
いざ始めると、風邪のような症状になり、熱はないのに微熱がある時のように頭が重く、大変な思いをしました。
神は、白い水の川の幻と同時に、深い穴のような漆黒の闇を見せておられました。光を飲み込むブラックホールのような漆黒の闇です。この闇には、生ける水の川ではなく、キリストの血を流さなければならないという思いをいただきました。
東京は関東大震災で火の海になり、第二次大戦でも東京大空襲で火の海になっています。また、江戸は家事の多い土地柄でした。多くの死者の魂がまだ地上にうようよしているかも知れません。
また、殺人も多いでしょうし、憎しみと無念と呪いに満ちた土地なのかもしれません。
土地が癒されることが先決でした。結界でもキリストの血を注ぎました。そして、土地の癒しと死者の魂の慰めと癒しと呪縛からの解放とを祈りました。
悪魔と闇の力を砕かれたキリストの血の力を信じて、ただ、キリストの贖いの血を祈りによって流し続けました。キリストの血によって罪が取り除かれること、また、きよめられることを、主に執り成しました。
回っているうちに、目が突然、うさぎのように真っ赤になってしまいました。自分自身の頭の先から足の裏までキリストの血で覆ってくださいと祈りながら、東京の地がキリストの贖いの血で満たされるようにと祈って回りました。
徳川の念の強さを感じながら、平将門の癒しや武士たちの魂の祝福のためにも祈りました。
そして、富士山を過ぎた所で白い水の川が止まっていたことを思い出しました。そこには箱根神社があります。関東の総鎮守とされる神社です。
東京よりも、ここが原因かと思い、箱根神社へ行って、キリストの血を注ぎ、罪の贖いときよめ、癒しを祈りました。そして、神道と仏教、キリスト教に、また、無宗教の日本人にキリストの贖いの血が注がれて、罪が贖われ癒され、いばらのように絡みついた情や闇の力からの解放のために祈りました。
箱根神社の元宮から下に芦ノ湖を見たとき、あの漆黒の闇のような穴の幻を思い出しました。あのキリストの血を注がなければならないと思った真っ黒い円形の穴のようなものは、この芦ノ湖だったのかも知れないと思いました。
芦ノ湖をモーターボートに乗って九頭龍(くずりゅう)神社に行きました。
万巻上人(ばんかんしょうにん)が芦ノ湖で鎮めたとされる九頭龍。神道や仏教では、龍は力強いありがたい存在ですが、聖書によれば、龍は悪魔の姿です。
神の御使いが龍の姿にされてしまったのではないのかと考え、龍にもキリストの贖いの血を注ぎ、罪の赦しときよめを宣言し、癒しと開放と祝福を祈りました。そして、キリストの贖いの血を受けて罪が赦され、きよめられて、光の御使いの働きをして、神に祝福されるように祈りました。
モーターボートに乗っている間、芦ノ湖にキリストの贖いの血が注がれるように祈って、罪が贖われることと癒しと開放を祈りました。
芦ノ湖のきよめがなければ、白いいのちの水の川が東京まで流れ込むことがない、ここがその流れを止めていた場所だったと思いました。
箱根で祈った翌日に、東京を守って来た鬼門封じと裏鬼門封じの強い場所にやっと行く事ができました。すべての所にキリストの贖いの血を注ぎ、罪の赦しと癒しと祝福を祈りました。
箱根の関所が、白い生ける水の川を止めていたのだと思いました。
東京の祈りが落ち着いたら、体調も回復し、目の充血も取れました。
人それぞれ、神から与えられる持ち場があります。それ以外の所には責任を問われませんが、持ち場に関しては祈らなければなりません。
キリストの御霊を受けて、御霊によって新しく生まれた人、新生した人はどうか、自分の持ち場を知って、その場所をキリストの贖いの血できよめてまいりましょう。
クリスチャンの時は、異邦人の時の終わるまでです。あとは、ユダヤ人の時です。クリスチャンの時には、御霊の務めをクリスチャンが果たしましょう。
世界の救いのために立つ日本人が、神道や仏教から起こるのは、クリスチャンの時は終わるからです。キリスト教会は異邦人の時に完成するのです。
キリスト教会から起こる御霊の教会が完成した後に、地上に残されるクリスチャンは、御霊とともに歩んでいなかったクリスチャンや御霊を受けていないクリスチャンなのでしょう。
神に忠実なクリスチャンは、異邦人の時の終わりとともに、この地上にいなくなるのです。
クリスチャンが、それぞれの持ち場にキリストの贖いの血を注いで、土地の贖いと魂の贖いのために執り成すことは、次の時代の神の人、ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人の働きの道作りであり、夜明けのための働きです。
罪が取り除かれ癒しと開放を与えるのは、神の子羊イエス・キリストの血であり、イエス・キリストの御名による祝福の祈りなのです。
そして、それは、御霊を宿す新生した人の務めなのです。