ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

とこしえの安息の国の国民

 

 ある古神道では、魂を三つのかたちで捉えています。

 精神に宿る「魂」と、肉体に宿るみたまである「魄(ぱく)」、そして、永遠不滅の内在する神の「直霊(なおい)」です。

 

 精神に宿る「魂」は、五感によって捉える感情の動きを表しているように思います。

 肉体に宿る「みたま」は、人の肉体に宿り活力を生み出すものですが、残留思念となってこの世に残るものでもあるようです。

 人間は死ぬと、魂はあの世へ、(心残りのある魂の)魄は一種の残留思念となってこの世に残るとされ、鎮魂が必要です。

 直霊は、主に向くならばキリストの血潮によって罪が取り除かれて、信仰によって真理の御霊が住まわれるところだと思われます。

 

 私たちは、魂と魄と直霊を合わせたものを「魂」と認識していると思われます。

 

 寛永寺の場所に辿りつけなくて道を尋ねたら、犬の散歩中の母娘が親切に案内してくださいました。

 辿り着いたときに、少しお話しをしました。

 

 天照大御神は初め皇居に祀られた皇祖神でしたが、十代崇神天皇の治世に疫病で多くの国民が死ぬと、天皇は皇居に祀られていた天照大御神を皇居から外に祀られて、大和の民の祖神とされたこと。

 日本国の経済が低迷しているのは、この世の経済よりももっと大切な、永遠に価値のある精神的なことに目を向けさせて、大和の民を目覚めさせ、再び神に意識を向ける神の民とするためであること。

 西暦二千年に、大和人の祖神の天照大御神よりも先におられた、宇宙神とされる国常立神が富士山の山頂に鎮座されて、目に見える日本国とは別の、とこしえに続く新しい国造りを始めておられること。

 

 魂をきよめた大和の魂をその新しい神代の国に集めるために、目に見えない霊の世界では八百万の神々(八百万の神々は、天の神が日本の地に遣わされた、神に仕える御使いたちではないのかと思います)が日本の地で働いておられること。

 国常立神(くにとこたちのかみ)は、炎を身にまとう閻魔大王(ひとりひとりの魂の裁きをされて極楽行きと地獄行きとを定める神)でもあること。

 神は、日本人を救い、日本から救い主が起こること、そして、日本人は世界を救う働きをすること。

 

 最初は興味を持って聞いてくださっていた親子は、新しい国造りの話になると、眉唾な話のように思われたようです。

 

 「どうして日本人だけが救われるのですか。なぜ、神は世界のみんなを救わないのですか。」と娘さんの言葉が投げかけられた時、「それが日本人の役割だからですよ。」と言っても、疑わしい感じで「経済が落ち込んで精神的なことに目を向けるなんて⋯。ちょっとね(情けないね)。経済が良くなった方がいいよね。」と言われました。

 

 大和の魂を持つ日本人は四割とされている現在の日本人は、国常立神が大和の魂の回復をされて日本人に救いが起こるという事に関心を持たないで、今ある現実の日本国の繁栄を望む日本人のほうが多いということに気づきました。

 

 ユダヤ民族は、神に聖書をあずかった民であり、神と契約を持つ神の民です。神の民だからといって、すべてのユダヤ人が契約を正しく理解しているわけではありません。

 

 神が約束されていたキリスト【救世主】が、ナザレのイエスという姿でイスラエルの来られた時、多くのユダヤ人は神の御子イエス・キリストを信じませんでした。

 

 イエスは言われました。

 「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。

 この民(ユダヤ人たち)の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたし(世の罪を取り除くキリスト)に癒されることのないためである。」(マタイ13:14,15)

 

 ユダヤ人だから救われるのではありません。ユダヤ教徒だから救われるのではありません。神が遣わされた救い主「神のひとり子イエス・キリスト」を信じ、キリストのことばに聞き従うことが救いの道でした。

 

 自分の義を立てず、神にへりくだる者に、キリストのことばは届けられるのです。届けられないのは、神の手が短いからではなく、神に立ち返るのを拒む頑なな心が悟れないようにしているのです。

 

 キリストを信じたユダヤ人には真理の御霊が下られました。イエス・キリストの道の足跡(いのちの道)を辿るのを助ける助け主です。

 「エルサレムで、父の約束の聖霊を受けるのを待ちなさい。」と命じられたイエスに聞き従って、弟子たちは御霊を受けたのでした。

 

 救いは、イエス・キリストとともにありました。ユダヤ人が堅く守っていたユダヤ教の律法の中にではなく、その律法を実践し、神の御国を言い広めた神のひとり子ナザレのイエスが、永遠のいのちの鍵だったのです。

 

 イエス・キリストを信じる異邦人に救いが及びました。

 しかし、キリスト教徒のすべてが救われるのではありません。イエスが命じられた「真理の御霊」が救いの証です。永遠のいのちは、御霊が証してくださるのです。

 

 霊の目が閉ざされ霊の耳が閉じられた不信仰なキリスト者たちは、真理の御霊を受け取れません。

 神は、神道や仏教や無宗教の日本人の中に大和の魂を見いだし、彼らに、御救いを与えられます。目に見えない神の御霊にへりくだる、柔らかな心を持つ人々です。

 

 神は、へりくだった魂を世界中から起こされます。新しいとこしえの国で、永遠のいのちを得る人々です。

 その救いの働きを担うのが、仏法を生き様としている「イスラエルのメシア」と、古神道の霊なる神に仕える「アロンのメシア」のふたりの日本人です。

 彼らは、多くの試練を通してきよめられた魂とされており、「真理の御霊」の御住まいとされるへりくだった者、天地万物を造られたまことの生ける神に召される人々です。

 

 聖書には次のようなみことばがあります。

 「神の都よ。あなたについては、すばらしいことが語られている。

 『わたし(永遠のいのちを得させる救い主キリスト)はラハブ(イスラエルがカナンの地を偵察した時、彼らをかくまったラハブとその一族は、イスラエルがエリコの城壁を破ると、聖絶を免れてイスラエルに加えられました)とバビロンをわたし(イスラエルの神)を知っている者の数に入れよう。

 見よ。ペリシテとツロ、それにクシュもともに。これらをもここ(イスラエル)で生まれた者として。』

 しかし、シオン(イスラエル)については、こう言われる。『だれもかれもが、ここ(神の民の住まい)で生まれた。』と。

 こうして、いと高き方(天の神)御自身がシオン(神の民の住まい)を堅くお建てになる。

 主が国々の民を(とこしえの国であるキリストの王国に)登録されるとき、『この民はここ(神の民の住まい)で生まれた。』としるされる。」(詩篇87:3-6)

 

 神は、神の契約のない無割礼の異邦人をも、イエス・キリストの御霊にへりくだるその柔らかな心、きよい魂ゆえに、神の民の住まいに入る神の国民(とこしえのイスラエル)に加えてくださいます。

 イスラエルに敵対していた民であっても、天地万物を造られたイスラエルの神にへりくだり、悔い改めて真理の御霊を受けるならば、初めから神の民であったかのように、イスラエルで生まれた者として、御自分の民に数えられます。

 

 しかし、シオン(神の民ユダヤ民族)については、世界のどの国で生まれていようとも、イスラエルで生まれた正真正銘の神の国民である、とされるのです。

 

 主は、真理の御霊によって新しく生まれ、御霊の新しい創造を受けて肉の性質から御霊の性質に造り変えられた人々をみな、「これらの民はわたしの国(とこしえのイスラエル、すなわち神の国)で生まれた神の国民である。」とされるのです。