ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御霊によって完成される

 

 古神道では、弥勒の世が来ることを信じています。

 ある神社で、社務所にいる人に「弥勒の世」の話をしたら、「弥勒なんて仏教みたいですね。」と言われて、弥勒の世の信仰は古神道のものなのだとわかりました。

 

 100%実現していると言われている、第二次世界大戦中に岡本天明に降ろされた「日月神示」は、弥勒の世が来ることを言っています。

 その「日月神示」を降ろした神は、国之常立神(くにとこたちのかみ)です。「うしとらの金神(鬼門の東北の方角に封印された閻魔大王)」とも言われる神です。

 

 山梨県の不二阿祖山太神宮(ふじあそやまじんぐう)の祭神であり、宇宙神と呼ばれています。

 日本の皇祖神の天照大御神よりも先におられた神です。

 

 古神道では、国之常立神を祀っているようです。国之常立神が弥勒の世を造る神であることを知っていたのですね。

 国之常立神は、西暦二千年から富士山の山頂に鎮座しておられるようです。国之常立神が富士山に鎮座された事で、2000年を迎え、2000年を越すことができたのだ、とある宮司は言われました。

 

 世の終わりの救い主が日本から立つと言われていますが、キリスト教には隠されていました。しかし、古神道には啓かれていたのですね。

 キリスト教会で、日本人からふたりの証人が起こることを聞いた事がありません。また、千年王国は、神が下すものであって、人間が新しい神代の国のために、地上に備えをすることも知りませんでした。

 

 しかし、古神道では、身魂を磨くことで、弥勒の世の備えをすることを知っています。「日月神示」には、終りの時代の日本人の役割や、弥勒の世に向けての歩みについても記されているようです。

 

 キリスト教会のように、祈ってただ待っているだけでなく、自分自身をきよめ神のお役に立つ者として備えるように、心の持ち方や日々の生き方を変えることを促しています。

 思いを神に向け、感謝ときよい心で身魂をきよめるのです。

 

 神は、日本人から世界を救う者を起こす御計画なので、古から神を恐れ、かしこみながら神に仕えていた古神道には、秘密を知らせておられるようです。

 

 日本人のキリスト教徒は、人口の1%と言われるくらい少ないです。その1%の日本人の中で、聖霊のバプテスマを受けているキリスト者は半分もいないでしょう。

 

 ナザレのイエスがバプテスマのヨハネから水のバプテスマを受け、水から上がられると、天から聖霊が鳩のように下って来て、イエスに留まられました。

 イエスは、聖霊とともに「キリスト【救世主】」の働きを成し遂げられました。

 

 終わりの時に立つふたりの証人もまた、聖霊が留まって聖霊に導かれ、世界を救う働きを成し遂げるのでしょう。

 

 ふたりの証人が出現するまでの間、日本のキリスト者は何をするのでしょう。

 御霊を受け、御霊により新しい心をいただいて生まれ変わり、神の御子イエス・キリストの足跡を歩む神の子どもたち(聖霊の宮)は、日本で唯一、聖霊の力を行使する者です。

 

 真理の御霊は、キリストの御霊であり、神の子羊イエス・キリストの心をよく知る方であり、キリストとひとつ心です。

 御霊を宿す人は、御霊によってキリストの心を知る者です。周囲の人々が違う方向を向いていても、御霊によって神の方向へ向いていなければなりません。

 

 それは、強制ではありませんが、御霊に聞き従う歩みをする魂は、それが喜びであり、安全な道であることを知っています。

 

 御霊は、イスラエルに敵対してはならない事を教えてくださいます。

 御霊は、ユダヤ人を慈しむ心を与えてくださいます。父なる神が「わたしの民」と呼ばれるユダヤ人を愛すること、慈しむことがキリストの心だからです。

 

 終わりが近づくと、御霊は、天の御国が近づいたことを日本の地(国土)と空間に、また、日本人の眠れる魂に告げる、霊的な祈りを日本人のキリスト者に託しておられるようです。

 

 多くのスピリチャルな人々が霊的な働きを開始しています。神道系も仏教系も宇宙人系もあります。

 しかし、彼らは、イエス・キリストの御名の力をゆだねられていません。真理の御霊による生ける神のいのちの道(永遠のいのちを得させるまことの神の道)を知りません。

 存在することは知っていても、その所にはいるための神の御名(神の御子イエス・キリスト)を行使することを知りません。彼らはその信仰を持っていないからです。

 

 イエス・キリストの御名とともに、聖霊は働かれます。聖霊は、イエス・キリストを通して奇跡としるしを現わされました。

 死から甦り、神の御座の右に着座しておられるイエス・キリストは、イエスを信じる者に、聖霊のバプテスマを授けられます。

 

 キリスト者が宿す聖霊は、イエス・キリストによって与えられたものです。キリストの御思いを持つ真理の御霊です。また、イエス・キリストがなされた奇蹟としるしと不思議とを現わす力です。

 御霊を宿す者は、その力を持っていることになります。

 

 世の終わりに、神は、真理の御霊を、神道、仏教、無宗教の人々の中にいる神を恐れるきよい魂にも注がれます。彼らは、真理を悟る者となるのです。

 

 御霊を持つキリスト者は、その時を指をくわえながら待つのでしょうか。

 現在、霊の啓かれた人々は、キリスト教会の外にも多くおられます。しかし、彼らは、キリストの御霊を持っていません。

 

 キリストの御霊は、永遠のいのちを得させる方です。それゆえ、救いを語っている彼らは、まだ、永遠のいのちを得ていないことになるのです。

 

 天の御国にはいる新しい人は、御霊によって生まれ御霊によって肉の性質から御霊の性質に造り変えられて、永遠のいのちと死から甦って永遠に生きる新しいからだとを受ける新しい創造です。

 

 すなわち、後に真理の御霊を受ける彼らは、御霊を持つキリスト者のとこしえの兄弟姉妹となる人々です。

 

 キリスト教会が神の家族で、兄弟姉妹だと思っていますが、とこしえの家族は地に属すものではなく、御霊によって造り変えられた霊的存在であり、天に属するものです。

 

 神は、神を求め、自分の罪を認めて悔い改める、へりくだった魂に、真理の御霊を授けられます。

 イエス・キリストの信者の特権だと思っていましたが、神は、神道の中にも、仏教の中にも、無宗教の中にも、神の子どもを持っておられるのです。

 

 キリスト教、神道、仏教、ほかの宗教も、宗教を持たない人も、天から神が遣わされた聖霊により、真理の御霊が、彼らの魂を神の子羊と結びつけ、ひとつの御霊によってとこしえの神の家族とされるのです。

 

 イエス・キリストの御名を知らない人も、御霊によって知ることとなります。

 阿弥陀如来を尋ねた人も、国常立神を尋ねた人も、天照大御神を尋ねた人も、イエス・キリストを尋ねた人も、ひとつの御霊によって、天地万物を造られた全能の神、主の子どもとされるのです。

 

 キリスト教が救いを完成するのではありません。

 神の御子イエス・キリストの御思いを知らせ、真理を教える「助け主」である真理の御霊が、天の御国を相続する七つの御霊の教会を完成するのです。

 

 御霊を宿すわずかな日本人のキリスト者には、神の働きがあるようです。

 みんなが同じ働きをするわけではありません。おのおの、御霊に尋ね、御霊に教えられ、御霊の導きに聞き従って行くことで成し遂げられることです。

 

 千年王国はキリスト教会によって完成するわけでなく、弥勒の世は古神道によって完成するのでもなく、三千世界は仏法によって完成するのでもなく、実は、ひとつの御霊によって、それぞれの道で真理の御霊を受けると思いが一新して、天の御国に辿り着く信仰(御霊の信仰)が開かれるのです。

 その信仰を受け入れて、御霊に聞き従う人々が、実は、御霊の器のキリスト者の真の兄弟姉妹なのです。

 

 御救いは、宗教によって完成するのではありません。

 生けるまことの神の聖霊【真理の御霊】によって完成するのです。