ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

使徒二章 聖霊元年

 

 「五旬節の日(モーセがシナイ山で十戒を受け取ったとされる記念の日)になって、みな(イエスの弟子たち)が一つ所に集まっていた。(弟子たちは、イエスの命じられた「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた(「もうひとりの助け主〈イエスを死から甦らせた聖霊であり、イエスのことばを思い起こさせ真理を教える真理の御霊〉」を遣わすという)父の約束を待ちなさい。(バプテスマの)ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは(キリストが授ける)聖霊のバプテスマを受けるからです。(使徒1:4,5)」ということばに従って、五旬節の日に、エルサレムの一つ所に集まっていた。)

 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼ら(弟子たち)のいた家全体に響き渡った。

 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上に留まった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話し出した。

 この物音が起こると、大勢の人々が集まって来た。彼ら(いろいろな国や地方からエルサレムに来ていた、めいめい様々な言語を語るユダヤ人たち)は、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。」(使徒2:1-6)

 

 神は、モーセに与えた文字の律法を古いとし、神の律法をイスラエルにお与えになった記念の日(五旬節)に、キリストによる新しい律法を授けられました。

 イエスを神が遣わされたキリスト【救世主】であると信じる人々に、心の割礼である真理の御霊を与え、彼らの心に生ける神の新しい御霊の律法を書き記されたのです。

 

 御霊を受けた彼ら(イエスの弟子たち)は、聖霊に満たされて、それぞれ自国の言語ではない、いろいろな国ことばで神の大きなみわざを語りました。異言と呼ばれることばです。異言は、知性のことばではなく、御霊が話させてくださる御霊のことばです。

 

 イエスの弟子たちは、約束どおり、キリストが授ける聖霊のバプテスマを受けたのでした。

 聖霊はイエスを死から甦らせ、新しいからだで墓から復活させた方です。聖霊のバプテスマを受けた弟子たちも、彼らの主イエス・キリストと同様に、死から甦らせて永遠のいのちを得させられる聖霊を受けると、神の子どもとして新しく生まれます。御霊の新しい創造を受けるのです。

 

 2025年の元旦に、上空で光の雲と薄灰色の雲が激しくせめぎ合っているのが見えました。天の神の御使いたちと地の神々との戦いがあり、最終的には光の力が世界を覆うのだと考えました。

 

 地の神々は、まことの神の御霊が地に住む人々の魂に届くことを恐れて戦いますが、神の時が来て、真理の御霊がキリスト教会だけではなく全地に降ろされて、真の平和と愛と救いを求める人々の魂に届けられるのだと思います。

 

 本日の主日礼拝では、日本列島の上空に大きな渦のような風が勢いよく吹きまくるのを見ました。

 その大風は、地を荒らすためではなく、いのちを得させる御霊の風のようです。御霊の霊的な働きです。聖霊が、日本列島の隅々まで行き巡られるのだと思いました。

 聖霊の風は、人間の思いを破り、神に取り扱われるきよめの火のバプテスマを伴い、救いを待ち望む人の性質を御霊の性質に変える、新しい創造の風です。それは、人間の思いを一新し、生きるための新しい心を得させます。

 

 神の御霊がお与えになるのは、永遠を思う喜びであり、生けるまことの神に立ち返る信仰と喜びと祈りと感謝と平安です。そして、神に愛される者として、新しい創造を受けるのです。

 

 使徒二章の記事にあるように、イエスを信じていないユダヤ人たちにとっては、驚き怪しむ不思議な出来事です。

 イエスを信じるイエスの弟子たちの舌に授けられた御霊の賜物(異言)で語られることばを怪しみました。めいめいの国の国語で語られる神の大きなみわざの証言(御霊が語るキリストの福音)に驚いたのではなく、他国語を知らないガリラヤの人たちがめいめいの国のユダヤ人の国語で話すことに驚きあきれたのです。

 

 聖霊が注がれても、いのちの福音を受け取る当事者と、不思議な出来事に驚く傍観者とに分かれるようです。

 

 四十年前、日曜学校で賛美していた讃美歌を思い出しました。確かな記憶ではありませんが、次のような歌詞でした。

 「今リバイバルがこの地の上に 今リバイバルがこの地の上に

 主の御手のうちにある 熱い炎が風となって この地に吹き始めている」

 

 2025年は、聖霊が日本列島を巡る聖霊元年の年なのかも知れません。

 

 すでに、聖霊のバプテスマを受けている人々は、日本列島に聖霊の風が吹き荒れるために、日本列島に祀られている神々にキリストの血を注いできよめ、罪の縄目が解かれて地に属する力から解放されるために祈りましょう。

 

 日本列島の贖いと、土地のきよめのため、日本人の魂が備えられるために祈りましょう。

 神が召された聖霊の器の「白い兄」と世界に救いの福音を宣教する「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」の出現と、世界宣教をもって世界に福音を届ける十四万四千人のユダヤ人の祝福のために、また、彼らの前に御霊の道が備えられるために祈りましょう。

 

 「主よ。日本人を顧みてくださってありがとうございます。日本人の中から生けるまことの神のみことばを語り、世界を御救いに導く人々を起こしてくださることを感謝します。

 どうか、きよめの火をくぐる彼らに忍耐を与え、神が彼らをきよめの火の中から取り出される時には、神の御心にかなった器となっていますように。

 多くの日本人が彼らのことばを聞き、御霊を受けることができますように。

 日本人に悔い改めの霊を注いで、魂の願いに素直な者となり、彼らの魂の真実な声が神に届けられますように。」

 

 日本以外の国や民族に重荷が与えられている人は、神の使命に立って、御霊の導きに従って執り成しましょう。

 

 今年は、永遠のいのちを受ける備えの年であると、思われます。

 御霊を宿す人々は、後からいのちの道にはいってくる兄弟姉妹のために祈って、御霊が働きやすい道を備えてまいりましょう。

 

 御霊の教会の建国が、日本の地から始まるようです。