「この神殿をこわしてみなさい。わたし(神の御子イエス・キリスト)は、三日でそれを建てよう。」(ヨハネ2:19)
イエスは、神の神殿であるイエスの肉体が殺された後に、聖霊の御力によって、三日目に新しい神殿(御霊が与える「とこしえに生きる新しいからだ」)を建てることを言われました。
イエスのことばは、この世のことばではありません。この世の人には理解できません。イエスは、神のみもとから来て、天の御国のことばを語られたからです。
この世の人は肉です。肉なる者に霊のことはわかりません。
イエスは、生ける神の神殿でした。肉体のからだのイエスから天の神のことばが出て来るのです。人の子イエスは、いつも天の神を仰ぎ、神を礼拝していました。
イエスのからだは、神の栄光を世に現わし、神を讃える聖所だったのです。神の栄光をたたえ、神の栄光を現わす「神の神殿」でした。神の御住まいであり、生ける神の栄光そのものでした。
復活のイエス(死から甦り、天に上られ、神から聖霊のバプテスマを授ける権威と主権と光栄と国が与えられたキリスト・イエス)が現れて、とこしえに生きられるキリストに、使徒として召されたパウロは言います。
「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、(罪ある人間の)手でこしらえた宮(古くなってやがて朽ち果てる宮、すなわち、死の呪いの中にあるこの世に建てられた宮)などにはお住みになりません。
また、何か不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。(神は、全知全能の神、主です。)神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。」(使徒17:24,25)
地上の朽ちる神殿とは異なり、天から来られた神の御子イエスの肉体は、神のことばによって建てられた神の神殿です。
しかし、イエスは、「この神殿を壊して見なさい。」と言われました。イエスを十字架につけて殺すことは、地上から神の神殿を取り除くことです。
神がイスラエルに与えられたイスラエルを照らす真理の光を消すことです。
イエスの弟子たちは、真理と信じたイエスを失うならば、屍のようになってしまうことでしょう。希望は消されて、弟子たちのいのちを支えた信仰の灯は踏みにじられ、生きているのに死んだ者となってしまうのです。
イエスが来られる以前の、霊的死人のひとりとなってしまうのです。
しかし、イエスは言われました。
「わたしは、三日でそれ(神の神殿)を建てよう。」
肉体を失ったイエスが三日目に死から甦り、墓から復活することを言われたのです。
復活したイエスには、肉体はありません。聖霊がお与えになる復活のからだ、新しく与えられる霊のからだで甦るイエスは、永遠に生きる新しい人となるのです。
実際に、イエスは十字架につけられて世の罪を取り除く贖いの血を流された後で、三日目に墓から甦り、弟子たちにお会いになりました。
イエスは、肉体に死んでも、御霊により新しいからだと永遠のいのちを得させられて、永遠に生きる新しい人(神の子ども)とされることは、現実に起こることであるとして、ご自分のからだをもって弟子たちに証明されました。
新しく創造される神の子どもたちは、イエスが歩まれた十字架の道の足跡を歩みます。その道が、永遠のいのちを得させる救いの道であることを知っているからです。
肉の思いは壊されますが、御霊の思いによって建て直されます。
肉体を脱いで、御霊のからだを得るために、イエス・キリストの設けられたいのちの道を、御霊が導く火のバプテスマ(肉を殺し、御霊によって生きる者とするための、神の試みと、きよめのみわざ)を受け、そして、信仰の勝利者となるために、孤独と悔い改めと忍耐を体験し、御霊にへりくだる者に造り変えられていきます。
神は、キリストの血によって肉なる人の罪を取り除き、神の御子イエス・キリストを信じる信仰とその信仰の賜物である御霊によって、新しい人に造り変えていかれます。
人間の手で造った社で祈っていた人が、イエス・キリストの信仰をいただいて、生けるまことの父なる神を礼拝する者とされ、キリスト【救世主】が授ける真理の御霊をいただいて、御霊を宿す者、すなわち、聖霊の宮、生ける神の神殿とされるのです。
神の子羊イエスが死から甦って、新しい人(神の子どもたちの初穂)が生まれると、神は、真理の御霊(永遠のいのち)を宿す「生ける神の神殿」を、地上に造られたのです。
最初の神の神殿(イエスの肉体)が壊されると、神は、御霊によってイエスを死から甦らせ、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威をお与えになりました。
神の御子イエス・キリストを信じる弟子たちは、キリストの命令に従い、真理の御霊を待ち望んで聖霊のバプテスマを受けました。彼らは、めいめい「もうひとりの助け主」であるキリストの御霊を受けたのです。
真理の御霊を受けた者は、鳩のように天から下った聖霊の留まられたイエスが、御霊に導かれて荒野に連れて行かれたように、御霊に試みの荒野へと導かれます。
荒野での試みに勝利したイエスは、父が選んだ十二人のガリラヤの人たちを弟子として、「天の御国が近づいた。」とイスラエルに向けて宣教を開始されました。公生涯に入られたのです。
御霊は、肉を壊されます。人に働き環境に働き心に働き、人を使い、状況を使い、自分自身の心の葛藤を通して、肉を砕いていかれます。
私は三十年以上かかりました。いつも生き返ってしまう不死鳥のような私の古き心、肉の心に振り回されました。
しかし、終りが近づいた現在では、ものすごく早いスピードで人々はへりくだり、新しい心をいただくのでしょう。
神の謙遜は、罪人の肉なる人間に新しい創造を施して、聖なる御霊を宿す神の神殿としてくださいます。
肉が殺された義人(神に罪を赦された人)は、御霊によって建て直されるのです。
そのような人は、肉の幕屋(肉体)を脱ぐと、新しいからだをいただきます。肉体に死んでも、死から甦って御霊が与える新しいからだを着せられるのです。
私は呪われているのか、悪魔が働いているのではないのかと思うほどに肉の我慢の限界を超えた試練がやって来ても、イエス・キリストへの信仰を持つ人、真理の御霊を受けた人は安心してください。
それは、神の御手です。神が、永遠のいのちと新しいからだを得させるために、愛と慈しみとをもって、古いものを壊しておられます。
そして、栄光に輝く神の子どもが、あなたの中から生まれ、永遠に生きる者とされるのです。
神は、御霊によって壊した肉の人を、聖霊の宮(神の神殿)に建て直されます。
そして、キリストの贖いの血で地を贖う者、地上を祝福する者、御霊のいのちにより生ける水の川を流す泉とされ、また、地に真理の御霊を迎える備えをする者、神との和解の道を開く者として立てられ、神の御国の働き人とされるのです。
彼らは、キリストとともに天の御国を相続する、神に祝福された者なのです。