ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

「ありがとう」は天に届く祈り

 

 いつも文句を言っている子と、いつも「ありがとう。」と言って喜びを表す子と、どちらが愛しやすい子どもでしょうか。

 

 もし、自分で作った作品がその出来具合に不平不満の言葉ばかり発しているならば、作った人はがっかりします。作り直そうとしてもその手を憎み逃げていきます。作られた作品に意思があったら、そういう事も起こるのかも知れません。文句を言う作品は、自分に満足せず、作った人を信用しないのです。

 

 もし、作った作品が自分の存在することを楽しみ、作ってくれた人に感謝しいつも喜んでいるならば、作品の出来具合よりも、その作品の発する喜びと感謝に、作った人も心が豊かになります。そして、その作品がもっと喜ぶようなことを考えてそれを与えたいと思います。

 

 神も、人の喜びと感謝の声に、その姿に御目を向けられることでしょう。御自身が造られた被造物が造られた方を知らなくても、自分の存在を喜び楽しんでいるということは、造ってくださった方に感謝をささげ、造ってくださった方をたたえているのです。

 

 知らず知らずに、神のひとり子イエス・キリストの父なる神(創造主)をほめたたえており、キリストの御思いを成しています。イエスは、常に父がたたえられて栄光を取られることを願っていました。

 

 「ありがとう」は、何かに向かって言っているのでしょうが、神も聞いておられます。自分に向かい、他者に向かい、また、天気や草花や生き物や環境に向かって言っている「ありがとう」は、被造物への感謝であり、創造主への感謝となります。

 

 「ありがとう」を投げかける対象物もまた、「ありがとう」を発する人に「ありがとう」を返しています。

 「ありがとう」は水面に落ちた一滴の雫のようです。たった一滴の小さな「ありがとう」が、周囲に波紋の様に広がり、霊的な空間は喜びに溢れるのです。

 

 日本人には「ありがとう」が家庭に、また社会に根づいて来た実績があります。

 ご飯を食べる前に「いただきます。」と手を合わせます。食べ終わると「ごちそうさま」と感謝します。

 大和民族はお天道様の恵みを知る民族でした。生かしてくださる目に見えない方に「ありがとう」と感謝の心をささげて来ました。

 

 日本人は自分のからだの五感をもって感謝する民族です。有難い。有難い。漁師が船で行って帰って来れたことも有難いこと。田畑で米や野菜が取れることも、自然の恵みで有難いこと。

 自分が存在していることも当たり前ではなく、先祖に感謝。そして、生かしてくださる方のおかげです。

 

 日本人は、自然の中にいのちを見、春の匂いを知っています。夏のセミの声、秋の虫の声、月明かりの優しさ、冬に備えて備蓄する知恵、季節ごとに新しい生き方を始めます。

 

 日本人は、有難いことで満ちている世界を生きています。当たり前ではなく、有難いこと。おかげ様で。日本人は、何か目に見えない存在とともに生きて来たのです。自分自身で生きているという意識は、外来のものなのでしょう。

 

 この目に見えない方に「有難いことなのに有るものとしてくださって、有難う。」

 「ありがとう」は、有難いことをしてくださる目に見えない方に向けての賛美であり、「あなたのおかげです。」と有難い存在に感謝する言葉のようです。

 

 日本人はおそらく、神の存在を忘れてしまった現在でも、それとは知らずに、神に感謝しているのでしょう。「ありがとう」の言葉によって。

 

 今日の一日もありがとうございます。

 可愛い花が咲いていました。ありがとうございます。

 信号がスムーズでした。ありがとうございます。

 電車が間に合いました。ありがとうございます。

 

 目に映るものに小さな感動をして、心が少し豊かになります。

 このような、自然を愛し、「ありがとう」の心を持つ日本人に、神は日本人を造ったことを喜ばれることでしょう。そして、わずかなことにも「ありがとう」と感謝と喜びを表す日本人たちに、神は良くしてやりたいと思われないでしょうか。

 

 「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカ6:38)

 

 日本列島にこだまする日本人の「ありがとう」に、日本人を造られた神は喜んで、揺すり入れるようにして、祝福を注がれることでしょう。

 

 神は、日本から大峠を迎える世界に御救いの良き知らせを宣べ伝える「イスラエルのメシア」を起こされます。

 世界に出て行く前に、日本人の御救いが起こるでしょう。

 「ありがとう」をたくさん、日本の地の草木や生き物や山や海や人や様々なものに注いだ日本人に、神からの喜びが返ってきます。

 

 日本列島に真理を教える御霊が注がれると、日本人は真理を悟る者となります。

 「彼(罪の贖いの神の子羊イエス・キリスト)のことを伝えられなかった人々が(生ける神の御霊のわざ)見るようになり、(聖書を知らず、キリストの福音を)聞いたことのなかった人々が(真理を)悟るようになる。」(ローマ15:21)

 

 「ありがとう」は天に届いています。日本人の口からもっともっと多くの「ありがとう」がささげられますように。

 

 先祖たちも子孫の私たちの救われることを待ち望んでいることでしょう。子孫の贖いは、系図に流れている罪の束縛が取り除かれる恵みであり、私たちの救いは、先祖の魂をも罪を取り除く神に向けさせるのかも知れません。

 

 私腹を肥やすための打算と利己的な「ありがとう」は、地の穴が口を開いてほくそ笑んでいます。

 日本列島を、よこしまな者のありがとうを押し流して、純粋なありがとう、神への賛美で満たしましょう。