「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。(神を騙すことはできません)人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は(自分自身を喜ばせるため、また自分の栄誉のために自分の命を使う者は)、肉から滅びを刈り取り(自分の肉の欲望を満たす誘惑に勝てずに滅びを刈り取り)、御霊のために蒔く者は(神に喜ばれることを意識して神の栄光のために自分の命を使う者は)、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(信仰の勝利者として永遠のいのちを受けるのです)
善を行なうのに飽いてはいけません。(誰からも評価されずに落胆して、善を行なうことをあきらめてはいけません。神はご覧になっておられます)失望せずにいれば、時が来て、刈り取ることになります。(今は実を結ばないように思われても、その善の行ないは神に覚えられており、その報酬としていのちの木の実〈永遠のいのち〉を得るのです)
ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たち(兄弟姉妹)に善を行ないましょう。」(ガラテヤ6:7-10)
「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。
しかし、もしあなたがたの心の中に、苦い妬みと敵対心があるならば、(自分は神の子どもであると)誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
そのような知恵は、上から来たものではなく、(天から遠く離れた)地に属し、(朽ちて滅びる)肉に属し、(永遠の滅びに定められた)悪霊に属するものです。
(悪魔の闇に属する)妬みや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。
しかし、上からの知恵(天に属する神からの知恵)は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、憐れみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
義の実を結ばせる種(永遠のいのちを得させる福音)は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(ヤコブ3:13-18)
義の実とは、神の御国にはいらせるために、「神の義」によって結ばれる実です。
神の義とは、何でしょうか。神のことばの中にとどまることです。
イエスは言われました。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたし(神のことば)にとどまり、わたし(神の霊)もその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたし(神のことば)を離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(神のことばを離れたままでは、神のみもとに帰ることはできません)
だれでも(ユダヤ人であっても異邦人であっても)、もしわたし(神のことば)にとどまっていなければ、(実を結ばない)枝のように(剪定され)投げ捨てられて、枯れます。人々はそれ(枯れ枝)を寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」(ヨハネ15:5,6)
義の実は、神のことばにとどまっている者が結ぶ実です。
ユダヤ人たちは、モーセのことばを守り、神に繋がるならば、義の実を結びます。
モーセはユダヤ人たちに言いました。
「あなたの神(イスラエルの神)、主は、あなた(ユダヤ民族)のうちから、あなたの同胞(アブラハム、イサク、ヤコブの子孫ユダヤ人)の中から、私(神に遣わされたモーセ)のようなひとりの預言者(神に任命されて、イスラエルを罪の奴隷から救い出すために遣わされるキリスト)をあなた(イスラエルの御救い)のために起こされる。彼(神が遣わされるキリスト)に聞き従わなければならない。」(申命記18:15)
神は、イスラエルにキリストを遣わす前に、ユダヤ人たちに(神の御子キリスト〈ナザレのイエス〉を受け入れる備えをさせるために)エリヤ〈バプテスマのヨハネ〉を遣わされました。
バプテスマのヨハネは、ナザレのイエスを見て、「見よ。世の罪を取り除く神の子羊。」と言い、ナザレのイエスを「聖霊のバプテスマを授ける神の御子である。」と証言しました。ヨハネは、ナザレのイエスがイスラエルの待ち望んだキリストであることを、ユダヤ人たちに明らかにしたのです。
祭司たちは、ナザレのイエスが、モーセの言っていた「神に遣わされたキリスト」であることを信じませんでした。それゆえ、イスラエルの民もみな、ナザレのイエスを、神を汚し神を冒瀆する者として、罪に定めたのです。
ユダヤ人たちは、神が遣わされた神の御子イエス・キリストの御名を信じない事で、モーセの命令に違反しました。
モーセの律法を守るユダヤ教徒たちは、神に遣わされたキリスト(イエス・キリスト)を否むことで、神のことばから外れてしまいました。彼らは、モーセの命令を守らなかったのです。それゆえ、彼らは義の実を結ぶ者ではありません。モーセのことばにとどまらない彼らは、永遠のいのちの約束を、まだ、受け取っていません。
神の御子イエス・キリストの御名を信じず、神が遣わされたキリストに従わないユダヤ教徒たちは、ナザレのイエスではないほかのキリストを今も待ち望んでいます。
神は、ユダヤ人たちの思いを暗くし、真理(神の御子イエス・キリストによる御救いと永遠のいのちの福音)の信仰を、神の御救いの約束のなかった異邦人に解禁し、異邦人に啓示の光を照らされました。
神の御子イエス・キリストの御名を信じた異邦人たちは、永遠のいのちの約束を得ました。異邦人は、神の子羊イエスの血により罪が赦されて、イエス・キリストの仲介によって、生けるまことの神と和解し、天の御国にはいる約束を得たのです。
神のことばにとどまる人たちに、天の御国に招かれるイエス・キリストは言われました。
「わたし(イエス・キリスト)から聞いた父の約束(聖霊のバプテスマを授ける権威を持つイエス・キリストの御名によって、「もうひとりの助け主」である聖霊を、イエス・キリストの御名を信じる者たちに遣わすという約束)を待ちなさい。」(使徒1:4)
イエス・キリストのことばに従う者は、真理の御霊を受けて、聖霊の器とされます。
聖霊は、イエス・キリストのことばを思い起こさせ、真理を教え、神の御力を与えられます。人は、聖霊の力(神の力)によって、神の御子イエス・キリストを証しするのです。
聖霊を持つ者は、イエス・キリストのことばのうちにある者であり、キリストのいのちに繋がります。彼らは、神のことばにとどまる者です。
「あなたがたは正義(神のことばに繋がる、すなわち、神のことばを信じる信仰)の種を蒔き、誠実の実(神のことばにとどまる信仰)を刈り入れよ。」(ホセア10:12)
ユダヤ人は、神が遣わされたキリスト(神の御子である神の子羊イエス)を信じることで、義の実(永遠のいのち)を結びます。彼らは、モーセの命令(神が遣わされるキリストに聞き従わなければならない)に従い、モーセのことば(神のことば)にとどまるからです。
異邦人は、生かすキリストの御霊を受けて真理の御霊に従うことで、義の実(永遠のいのち)を結びます。彼らは、神の御子イエス・キリストの命令に聞き従う者であり、イエス・キリストのことば(神のことば)にとどまるからです。
しかし、契約に忠実な神は、神のことばから外れている契約の民を天の御国にはいらせるために、神のことばと繋がらずにさまよう民を憐れみ、彼らの救いの時を設けておられます。
「しかし、ついには、上から霊(神の霊)が私たちに注がれ、荒野(神のことばに聞き従わず、神のことばから外れていた民)が果樹園(義の実を結ぶ民)となり、(神の民の)果樹園が(世界のあらゆる民族、国語の人々が義の実をみのらす)森とみなされるようになる。
公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。
義(神のことばを守ること)は平和をつくり出し、義(神のことばにとどまること)はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(神との和解と神の民の平和と永遠のいのちをもたらす)
わたしの民(神と御救いの契約を結ぶ、神の民)は、平和な住まい、安全な家、安らかないこいの場(千年王国)に住む。」(イザヤ32:15-18)
神は、ユダヤ人の御救いの時を設けられます。
神の御子イエス・キリストの御名を信じることのなかったユダヤ人たちのもとに、ふたりの証人を遣わして、神のしるしと奇蹟を現わし、神のことば(預言)によって真理を悟らせます。
こうして、神の契約の民ユダヤ人はみな、救われるのです。
また、イエス・キリストのことばに留まっていなかったキリスト者たち(聖霊を受けていないクリスチャン)は、世界宣教をする十四万四千人のユダヤ人の語る神のことばに耳を傾け、そのことばに繋がって、反キリストの刻印を否んで、義(永遠のいのち)とされます。
また、ユダヤ人でもなく、クリスチャンでもなかった人々も、平和を求め善を行なっていた純真な人々は、十四万四千人のユダヤ人のことばに耳を傾け、そのことばに結びついて、反キリストに従わず(反キリストの刻印を受けず)、義(永遠のいのち)とされます。
神に義と認められて、天の御国にはいる人たちは、義の実を結ぶ人たちなのです。