ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

主は成し遂げてくださる

 

 「まことに、主は高くあられる(人の及ぶことのできない、いと高き方であられる)が、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます。(あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授けられる。〈箴言3:34〉)

 私が苦しみの中(悩みの中)を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。

 私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし(私の敵の怒りを防ぎ)、あなたの右の手が私を救ってくださいます。

 主は私に関わるすべてのことを、成し遂げてくださいます。(主は私のために、御心を成し遂げられる)

 主よ。あなたの恵み(慈しみ)はとこしえにあります。(とこしえに絶えることはありません)

 あなたの御手のわざを捨てないでください。」(詩篇138:6-8)

 

 ダビデ王はいつも敵に命を狙われていました。イスラエルすべての者に歓迎されていたわけではなかったのです。最初の王のサウル王と同族のベニヤミン族は、ユダ族のダビデ王を望んでいませんでした。

 また、周囲の敵国からの恐怖もあります。ダビデ王の生涯は戦いの連続でした。

 それゆえ、ダビデ王は神を最も求めた人でもありました。

 

 「神よ。私を憐れんでください。私を憐れんでください。

 私の魂はあなたに身を避けていますから。まことに、滅び(敵の怒りと攻撃)が過ぎ去るまで、私は(救いの神の)御翼の陰に身を避けます。

 私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。

 神は、天からの送り(助け)で、私を救われます。

 神は私を踏みつける者どもを、責めておられます。」(詩篇57:1-3)

 

 信仰の人ダビデは、神の「主があなたのために一つの家を建てる。」「ダビデの世継ぎの子が神のために一つの家(とこしえの国)を建て、神はその王座(イエス・キリストの王座)をとこしえまでも堅く立てる。」と約束されたことばにすがったのです。

 

 イエス・キリストの使徒たちもまた、神が始められたことは必ず成就すると信じる信仰がありました。

 

 異邦人の使徒であるパウロは言います。

 「あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。(信仰を告白した日から今日に至るまで、神の道を歩み続けて来たことを知っています)

 あなたがたのうちに良い働きを始められた方(主)は、キリスト・イエスの日(救いの日)が来るまでにそれを完成してくださることを私(パウロ)は固く信じているのです。」(ピリピ1:5,6)

 

 「私(パウロ)は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。

 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父(私たちに永遠のいのちを得させるために、救い主イエス・キリストを遣わしてくださった、永遠に生きておられる神)が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

 また、あなたがたの心の目がはっきりと見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力によって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(エペソ1:15-19)

 

 神の御子イエス・キリストを信じる信仰は、私たちのうちにあったものではありません。神の御霊によらなければ、「イエスは主です。神の御子キリストです。」と告白することはできないからです。

 

 「神はこの恵み(御子の血による贖いと罪の赦し)を私たちの上に溢れさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、(神御自身の)御心の奥義を私たちに知らせてくださいました。(神が遣わされた神の御子イエス・キリストを信じる信仰によって、キリストの御霊による新しい創造を受けて、永遠のいのちを得る神の子どもとされる、と言う「御救いの真理」を知らせてくださいました)

 それは、神が御子においてあらかじめお立てになった御計画(神の定め)によることであって、時がついに満ちて、この時のための御心(御計画)が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。(地上の千年王国の仮庵の時を過ごした後で、神の子どもたちはみな、天の御国にはいるのです)

 私たちは彼(神の子羊イエス・キリスト)にあって(天の)御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、御心により御計画のままをみな実現される方(父なる神)の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。

 それは、前からキリストに望みを置いていた私たち(ユダヤ人とキリスト者たち)が、神の栄光(神の真実と御力)をほめたたえる者となるためです。

 またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば(神のことば)、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊(キリストの御霊)をもって証印(あなたがたが神のものである、というしるし)を押されました。(聖霊が証印となられます)

 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。(神は、悪魔が死に閉じ込めた「アダム」を、神のひとり子の血と復活により、「第二のアダム」として新しく創造され、そして、死んだアダムは神の御子(神のひとり子)のみわざにより全き光の子「第二のアダム」として新しく造り変えられて永遠に生きる者とされるのです」(エペソ1:8-14)

 

 私たちは、多くの聖徒たちに執り成された結果、神の御前にいるのです。

 二千年前からの祈り、また、日本列島においては宣教師たちや日本のキリスト者たちの祈りが積まれています。神は、すべての世代の祈りを覚えておられます。

 神の御救いの真理を受け取った私たちは、それらの祈りの実です。

 

 私たちが救い主イエス・キリストの愛を受け、神の御子イエス・キリストの御名を信じて神と和解し、神の子どもとされるという信仰と希望を受け取ることができたのは、それらの祈りの人々の愛と信仰によるのです。

 

 パウロの信仰は言います。

 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方(主)は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私(パウロ)は固く信じているのです。」(ピリピ1:6)

 

 私たちは、信仰の勝利者(最後まで信仰を持ち続け神とともにある者)として生涯を全うする者とされるために、神の聖徒たちに執り成されている者なのです。

 

 パウロは言います。

 「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから(多くの執り成しによって守られているのですから)、私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに(すべてのみわざを成し遂げて御父のみもとに帰ると、父なる神から主権と光栄と国を与えられるという、栄光に輝くキリストの栄誉から目を離さず)、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方(神の子羊イエス・キリスト)のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(「私は神から見捨てられたからこんな苦しみを通っているのか。」自分だけの苦しみだと思ってはなりません。キリストに従う人たちがみな歩んだ十字架の道なのです。永遠のいのちの約束を信じて彼らは耐え忍び、信仰の勝利者として約束のもの〈永遠のいのち〉を手にするのです。すべてを成し遂げたイエスが、神からキリストの栄光を受けて御座の右に着座されたように、信仰の道を全うする私たちは、神から義の冠を受けて、天の御国に住まい、とこしえの安息を得るのです)」(へブル12:1-3)