「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリスト(神の御子イエス・キリストの御名による御救い)を宣べ伝えた。
群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。
それでその町に大きな喜びが起こった。」(使徒8:5-8)
群衆がピリポの話に耳を傾けました。
彼らは、ピリポの行なっていたしるしを見て、みなそろって、ピリポの語ることに耳を傾けたのです。
サマリヤは、ユダヤ人と異邦人の混血のサマリヤ人たちが住む町で、ユダヤ人たちはサマリヤ人たちとは、つきあいをしていませんでした。
サマリヤ人たちは、ユダヤ人のピリポの語る福音に関心があったのではなくて、ピリポの行なっている悪霊追い出しや病人の癒しなど、神の力でなくては起こり得ないと思われるわざを見たから、ピリポに神の力を見て、ピリポの語ることに耳を傾けたのです。
サマリヤの町には、シモンという魔術師がいて、彼は以前からこの町で魔術を行なって、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していました。
「小さな者から大きなものに至るまで、あらゆる人々が彼(魔術師シモン)に関心を抱き、『この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ。』と言っていた。
人々が彼に関心を抱いたのは、長い間、その魔術に驚かされていたからである。
しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。
シモン自身も(ピリポの語るイエス・キリストを)信じて、(信仰告白して水の)バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行なわれるのを見て、驚いた。」(使徒8:9-12)
シモンは、サマリヤの人から「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ。」と言われていましたが、すばらしい奇蹟は魔術の力であって、決して神の力で行なっているのではないことを、本人の魔術師シモンはよく知っていました。
サマリヤ人たちは、モーセが祝福を置いたゲルジム山で礼拝していました。
神がモーセに命じられた山です。
「あなた(イスラエル)が、(父アブラハムの相続地であるカナンの地に)はいって行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れたなら、あなたはゲルジム山には祝福を、エバル山には呪いを置かなければならない。」(申命記11:29)
ユダヤ人たちがつきあうことのないサマリヤ人のしかも女に、水を飲ませてくださいと、ユダヤ人のイエスに声をかけられた時、サマリヤの女は驚きました。
女は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っている者でした。そして、その方(メシア)が来られるときには、神の真理のいっさいを知らせてくださるはずだと信じていました。
イエスは、女に、「自分(イエス)が誰なのかを知るならば(女の目の前のイエスがキリストであることを知るならば)、あなたのほうでその人(キリスト)に求めたことでしょう。そしてその人(キリスト)はあなたに生ける水(肉体に必要なのどを潤す物質的な水ではなく、魂を潤して永遠のいのちを得させる霊的ないのちの水、すなわち、聖霊〈キリストの御霊〉)を与えたことでしょう。」と言われました。
女はイエスに言いました。「あなた(目の前のユダヤ人のイエス)は、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。(ヤコブの子孫ユダヤ人たちから異邦人のように扱われていたサマリヤ人たちは、自分たちの先祖はユダヤ人と同じ「ヤコブ」であると言っていたようです)」(ヨハネ4:12)
サマリヤの女は、ゲルジム山で礼拝するサマリヤ人と、エルサレムで礼拝するユダヤ人と、どちらが先祖ヤコブの子孫として正しい行ないをしているのかを知りたかったようです。
「イエスは女に言われた。
『わたし(イエス)の言うことを信じなさい。あなたがたが父(イエスの父であるイスラエルの神)を礼拝するのは、この山(祝福の山のゲルジム山)でもなく、(神の都の)エルサレムでもない、そういう時が来ます。
救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたち(ユダヤ人)は知って(エルサレムで)礼拝していますが、あなたがた(サマリヤ人)は知らないで(ゲルジム山で)礼拝しています。
しかし、真の礼拝者たち(ユダヤ人もサマリヤ人も異邦人もなく、すべての民族)が霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。(世界中のどこにおいても、父なる神を「アバ、父。」と呼ぶ聖霊〈キリストの御霊〉によって、父なる神を礼拝する時が来ます)今がその時です。父がこのような人々(肉の言葉によってではなく、御霊によって礼拝する人々)を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(人間の手でつくった神殿や建物で礼拝するのではなく、礼拝者自身がキリストの御霊を受けて、神の宮(御霊の器)となるのです)』
女はイエスに言った。
『私は、キリストと呼ばれるメシアの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。』
イエスは言われた。
『あなたと話しているこのわたしがそれ(キリスト)です。』」(ヨハネ4:21-26)
サマリヤ人たちは、魔術師シモンの力を見て驚き、神の力だと思っていました。
しかし、ピリポが来て御霊のわざを行ない、本物の神の力を見ると、ピリポの宣べる神の国とイエス・キリストの御名(ヤコブの神が遣わされた神の御子である救い主イエス・キリスト)を信じました。
サマリヤ人たちは、魔術師シモンによって働く霊的な力に関心を抱き、魔術に驚いていました。しかし、ピリポが行なっている聖霊によるしるしを見ると、その町には大きな喜びが起こりました。
そして、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、信仰告白して水のバプテスマを受けたのでした。
魔術はサマリヤ人を驚かせ、神の力だと感心させましたが、救うことはできませんでした。しかし、しるしの伴うキリストの福音は、みなを回心させました。
使徒の時代に起こったことが、神が召された十四万四千人のユダヤ人の世界宣教によって、終りの時代にも起こることでしょう。彼らの宣教するキリストの福音には、神の奇蹟と不思議としるしが伴います。
スピリチュアルな人、霊的なことに関心を持つ人々に御霊のわざは受け入れられ、十四万四千人のユダヤ人の宣教のことばを信じて、信仰にはいって来ると思われます。
主の使いがピリポに向かって「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」と言うと、ピリポは出かけました。使徒の時代には、御使いがともに働いていたのです。
そこで、ピリポは「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言う御霊に従い、エルサレムの礼拝を終えて馬車に乗って帰る途中のエチオピア人に近寄ると、彼が預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえました。彼は改宗者(ユダヤ教に改宗した人)だったのでしょう。
ピリポは、「あなたは読んでいることが、わかりますか。」とエチオピア人に尋ねると、「導く人がなければ、どうしてわかるでしょう。」と言い、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼みました。
エチオピア人は、イザヤ書53章に書かれている箇所を読んでいました。
「彼は、屠り場に引かれて行く羊のように、また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ子羊のように、口を開かない。彼は卑しめられて、その裁きも行なわれなかった。(正しい判決は退けられて、罪のない彼は罪に定められた)
だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、彼の命が地上から取り去られているからには。」
エチオピア人はピリポに向かって言いました。
「預言者は、誰について、こう言っているのですか。(ここで預言者はだれのことを言っているのですか)自分についてですか。(自分のことですか)それとも、だれかほかの人についてですか。(だれかほかの人のことですか)」(使徒8:34)
ピリポは口を開き、この聖句から説き起こして、イエスのことを宣べ伝えました。
エチオピア人は聖書の預言書に書かれている方(イスラエルに遣わされるメシア)が、先に十字架につけられたイエス・キリストであったことを知りました。そして、信仰告白して水のバプテスマを受けました。
ユダヤ教に改宗していた異邦人が、イエスの弟子であるピリポの語る御霊による福音のことば(永遠のいのちを得させる御救いのことば)を信じて、水のバプテスマを受けました。
「水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、(エチオピア人の)宦官はそれから後彼(ピリポ)を見なかったが、喜びながら帰って行った。
それからピリポはアゾト(アシュドテ)に現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。」(使徒8:39,40)
現在の福音宣教では体験しない不思議なことが起こる事でしょう。御霊と御使いがともに働かれるからです。
イエスは、イエスを信じさせるために地上に来られたのではありません。罪人たちを招き、罪を赦して永遠のいのちを得させるために来られたのです。
イエス・キリストの御名を信じる信仰を持っていても、永遠のいのちを得なければ、キリストが来られた目的は達成していないのです。
キリストは、聖霊のバプテスマを授ける権威を持つ方です。
水のバプテスマを授けるバプテスマのヨハネのような、神の国の到来を告げる福音ではなく、イエス・キリストの福音は、永遠のいのちを得させる聖霊の福音(生かす御霊を得させる福音)なのです。
神は、神の子どもとされる特権を得た信仰者たちに、イエスのことばを思い起こさせ、真理を教えてくださる、「もうひとりの助け主」を遣わされました。真理の御霊です。
土から造られた肉の人は、御霊によって永遠に生きる霊の人に造り変えられなければなりません。御霊の助けがなければ、天の御国にはいることはできません。
ピリポは、聖霊のバプテスマを受けた弟子でした。それで、御霊の力によって奇蹟としるしの伴う福音を宣教したのです。
終わりの時代、世界宣教をする十四万四千人のユダヤ人は、使徒たちの働きと同様の働きをするものと思われます。