ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

罪の奴隷から光の子へ

 

 女から生まれて来た人は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。

 人は、この世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。(人は進化論を教え込まれ、神の存在を否定し、いのちの神にたどり着けない、死の奴隷だったのです。人は、必ず、死に服さなければなりません。生まれて来た人のいのちは、死を迎えるまでの間の生命なのです。

 

 「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。(自分の良心に従って正しい生き方をしたいと思っているのに、自分の良心に反して隠れたところで後ろめたい事をする情けない自分がいるのです。この闇を愛する古い人〈肉の性質〉はキリストとともに十字架につけられ、〈闇に引かれて行く〉罪のからだが滅びて、もはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであったはずなのに、罪に縛られたまま解放されていない自分がいます)」(ローマ7:15))

 

 パウロは言います。

「(神の子羊イエスを信じる信仰によって)私たちの古い人(火で焼かれる肉の性質)がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだ(罪を犯す生き方をするからだ)が滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであること(罪に飲み込まれるのではなく、罪の呪いと死に勝利されたキリストの御霊の御力によって、罪〈怒りや憎しみや、悪い心と行ない〉をコントロールし、罪を避ける者とされたこと)を、私たちは知っています。

 (キリストとともに十字架につけられて、古い人〈自分の思いや欲望のままに生きる肉の性質に〉死んでしまった者は、罪から解放されているのです。」(ローマ6:6,7)

 

 信仰に立ちましょう。

 もし、あなたは罪人だと耳にささやく声に悩まされているのなら、「私の罪は、イエス・キリストの血によって赦されている。私は、イエス・キリストを主と仰ぎ、主キリストに仕える者に変えられたのだ。主は私を贖ってくださった。主をほめたたえます。」と告白してください。

 

 悪魔は、再び罪の痛みと悔いと悩みの牢に閉じ込めて不安と恐れへと追い込んで、信仰を奪おうとするのです。

 その時に、主のみわざを告白し、主キリストをほめたたえるならば、悪魔は誘惑するたびにますます神の御子イエス・キリストへの信仰の根が深くなるのを知って、去って行くことでしょう。

 

 罪に慣れ親しむ世の人々は、キリスト者たちが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。

 以前の自分が、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけっていたならば、尚更です。

 

 ノアの時代、神が、洪水で世が滅ぼされたとき、わずか八人の人々(ノアとノアの家族)が、箱舟の中で、水を通って救われました。

 このことは、救い主イエス・キリストを信じた私たちを救うバプテスマ(水のバプテスマ)をあらかじめ示した型でした。

 

 「バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓い(魂の契約)であり、イエス・キリストの復活によるものです。(肉体のイエスは、十字架で贖いの血を流して死に、三日目に聖霊の御力で死から甦り、新しい復活のからだで天に上られました。そして、栄光のからだの子羊イエスは、聖霊のバプテスマを授けるキリストとなられたのです。水のバプテスマは、イエス・キリストを信じる信仰の告白であり神への誓いです。すなわち、魂が神と契約を結ぶことです。キリストの御名による聖霊のバプテスマは、神と契約を結んだ魂に、神が契約のしるしとして「御霊」を授けてくださるのです。)」(ペテロ第一3:21)

 

 神は、神を恐れる正しい人、セム族のアブラハムと、人類の御救いのための契約を結ばれました。神は、契約のしるしとして、アブラハムとアブラハムのうちにいる男子に、肉の割礼を命じられました。

 アブラハムの子孫のユダヤ民族は、割礼の民であり、ほかの民族と聖別されました。

 神は、聖別したユダヤ民族を神の民イスラエルと呼び、神の祭司の国民としての契約を結び、イスラエルに神の律法をお与えになりました。

 

 こうして、アブラハムの神は、契約の民イスラエルを御自身の民と呼び、御自身を「イスラエルの神」と名乗られたのです。

 

 イスラエルは、アブラハムの契約を受け継ぐ「割礼の民」であり、神の民としての契約を持つ「律法の民」です。

 神は、御自分の民にしるしをつけられます。

 イスラエルは、割礼のしるしと神の律法を有する民であり、神が認められ証される「神の民」なのです。

 

 神は、契約を結ぶイスラエルに、御自分の御子を遣わされました。

 世の罪を取り除く神の子羊イエス・キリストです。キリストは、とこしえに立つ国(とこしえのイスラエル王国)を建てる、メシアとなられました。メシアは、永遠に生きる救世主です。

 

 モーセの契約によって神と結ばれた血肉のイスラエルは、割礼と律法によって、神の民とされています。彼らは地上のエルサレムを慕います。

 

 メシアが建てられるとこしえのイスラエル王国(神と契約を結ぶとこしえの国)は、永遠に生きる人たちの国です。

 死から復活した神の御子イエス・キリストは、生ける神と交わりを持つアブラハムの信仰を受け継ぐ「新しいイスラエル」を造られます。天から下って来る新しいエルサレムで礼拝する国民です。

 

 新しいイスラエルは、キリストが授ける聖霊によって造られます。

 キリストのお与えになる生かす御霊によって新しく生まれ、肉の人に死んで、御霊の人に造り変えられる人たちの「七つの御霊の教会」です。

 

 御霊によって新しい創造を受ける人たちにお与えになる、神の契約のしるしは、「御霊」です。

 真理の御霊を受ける者は、御霊によりイエスのことばを思い起こさせられ、真理を教えられて、御霊とともに歩む人たちであり、肉の思いが破られて御霊の思いを知り、御霊に従う人、すなわち「心の割礼」を受けた人なのです。

 

 ペテロは言います。

 「(十字架につけられた)キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで(死に勝利するために神に聞き従う歩みを全うし)自分自身を(悪魔の悪巧みに勝利するために、すなわち、信仰の勝利者となるために)武装しなさい。

 肉体において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断ちました。

 こうしてあなたがたは、地上に残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神の御心のために過ごすようになるのです。」(ペテロ第一4:1,2)

 

 肉体において苦しみ、死を味わっても、霊においては神によって生きるためです。

 「万物の終わりは近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(神の御前に立つ備えをしなさい)

 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。」(ペテロ第一4:7-9)

 

 「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃え盛る火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。(キリストも罪は犯されなかったのに、罪に定められて憎まれののしられ嘲られたのです)

 それは(火の試練を耐えることは)、キリストの栄光が現わされるとき(地上に現われるキリストの王国〈千年王国)のとき)にも、喜びおどる者となるためです。

 もしキリストの名のために(イエス・キリストを信じる信仰ゆえに)非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。

 なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(ペテロ第一4:12-14)