ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストとは

 

 キリストを、世を救う救世主と捉える人々がいます。

 世界を救う人です。世界の何を救うのでしょうか。戦争の無い平和な世界に導く人ということでしょうか。

 

 キリストを真理の道に導く人と捉える人々がいます。

 真理とは何でしょうか。人間が存在している理由を教えてくれるのでしょうか。生きる意味を知らせてくれるのでしょうか。あるいは、普遍のものを知らせ、そのところに導いてくれるのでしょうか。

 

 キリストを人生の悩みから救い出してくれる救い主と捉える人がいます。

 人生の悩みは、十人十色です。ひとり一人の悩みをすべて解決してくれる人なのでしょうか。

 キリストは病から解放し、痛みや悲しみや苦しみや嘆きの日々から解放し、また、今の状況を良いものに変えてくれる奇跡のような人なのでしょうか。

 

 アダムが、善悪を知る知識の木の実を食べたとき、人の肉の目が開かれました。それまでは、霊の目で見、霊の耳で聞く者でした。

 

 ハイハイする赤ちゃんたちが互いに裸であっても、恥ずかしいと思ったり、自分の裸を隠そうとはしません。

 アダムもエバも、善悪を知る知識の木の実を食べる以前はそのような人たちでした。彼らは、肉の目で見ることなく、互いの霊でつながり、魂の交わりをしていたのです。幼子のように純真で、目は神の栄光を見、耳は神の御声を聞いていたのです。

 

 しかし、善悪を知る知識の木の実を食べると、肉の目が開けて、ふたりは自分たちが裸であることを知り、裸が恥ずかしいことであると認識しました。そこで、ふたりは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのおおいを作りました。

 

 神の声を聞いたふたりは、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠しました。

 「神である主は、人に呼びかけ、彼(アダム)に仰せられた。

 『あなたは、どこにいるのか。』

 彼(アダム)は答えた。『私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。』

 すると、(主は)仰せになった。

 『あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。』」(創世記3:9-11)

 

 すべてを御存じの神は、「あなたは、どこにいるのか。」と言われました。神の霊と完全に一つであったアダムの霊が、神とともになかったのです。

 そして、アダムが裸であることを知ったのは、善悪を知る知識の木の実を食べたからだと仰せられました。

 

 霊が神とひとつであり、魂が神を喜んでいた人は、「己」を持ってしまったのです。神の栄光を目ていた人の目の機能は閉じて、互いを見る肉の目が開き、また、親しんでいた神の御声を恐れる者となりました。

 

 人は、魂の牧者であり監督者である神から離れ、魂を死と滅びに追いやって破壊する悪魔の手に落ちたのでした。

 

 神は、悪魔の手に落ちた人(死と滅びに定まった人)を救い出すために、キリストの油を注いだ神の羊を遣わされました。このキリストは、羊の群れを飼う羊飼いです。

 羊飼いみずからが、羊となって闇に入り、闇に閉じ込められた羊たちに光を与えて闇から連れ出されるのです。

 

 キリストの油とは、祭司の油、預言者の油、王の油の、三つの油が注がれることです。

 神の祭司の民イスラエルにお与えになったカナンの地に建てられたイスラエル王国には、ダビデ王の王座がありました。

 イスラエルは、神の民です。神は、神に仕えるレビ人の大祭司に神の神殿を司らせ、預言者に神のことばを与え、王にイスラエルの民を治めさせられました。

 

 イスラエル王国は、全地にあって、すべての国すべての民族の祝福となる神の祭司の国です。彼らは、世界中の人たちに、魂の牧者であり監督者であるまことの生ける神、すなわち、天地万物を造られた創造主を知らせる国民なのです。

 

 イスラエル王国は、ほかの国々とは異なっていました。彼らの中心には、天地万物を造られた全能の神がおられます。

 神が油を注いだ預言者たちが神のことばを語り、王も預言者のことばを神のことばとして受け、神に聞き従わなければなりません。

 そして、神に仕えるのは、国王ではなく、神が油を注いだ祭司たちです。また、神の至聖所に入ることができるのは、その年の大祭司ひとりです。王であっても、至聖所にはいることは許されません。祭司職は、神に油注がれた者に許された職務でした。

 

 イスラエル王国は、神の国です。神は、ダビデ王に、ダビデの王座はとこしえに堅く立つことと、ダビデの子と呼ばれるとこしえの王がダビデの王座に着くこととを約束されました。

 

 神は、神のひとり子に、「祭司の油」と「預言者の油」と「王の油」とを注がれました。キリストの油を注がれたのです。

 神の御子は、とこしえのイスラエル王国の王となられるキリストです。

 

 神の御子イエス・キリストは、世の罪を取り除く贖いの神の子羊イエスの血を流し、陰府(よみ)に下り、神の子羊イエスの血によって囚われていた魂を買い戻されました。買い戻された魂は、まことの魂の牧者であり、監督者である神のひとり子と神のもとに帰ります。

 

 「見よ。神である主は力をもって来られ(人知をはるかに超えた神の御力によって来られ〈神の御子キリストは、処女から生まれ、病を癒し、悪霊を追い出し、死人を生き返らせ、罪の贖いの血を流して死から甦られ、復活のからだで天に引き上げられ、神の御座の右に着座されました〉)、その御腕で統べ治められる。(王の油を注がれたキリストは、ご自分の血で悪魔から買い戻した魂を生かし、永遠のいのちを得させるために治められます)

 見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。(見よ。イスラエルの救いが来る)

 主(キリスト)は羊飼いのように、その群れ(とこしえのイスラエル、すなわち、アブラハムの血肉の子孫であるイスラエルと、アブラハムの信仰の子孫であるイスラエル〈子羊によって救われる信仰の勝利者たち〉)を飼い、御腕に子羊(キリストが買い戻した魂)を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊(キリストの福音のために、また、神の国のために働いた人たち)を優しく導く。」(イザヤ40:10,11)

 

 キリストは、モーセがイスラエルに命じていた、聞き従わなければならない、もうひとりの預言者です。

 預言者の油を注がれたキリストは、神から与えられた黙示を、弟子である使徒ヨハネにお告げになりました。ヨハネの黙示録にある啓示を現わされたのは、神の御子イエス・キリストです。

 

 キリストは、神が「メルキゼデクに等しい大祭司」と呼ばれる、とこしえの大祭司です。

 アブラハムのうちにあって、レビ族の大祭司は、メルキゼデク(平和の王)に、十分の一を献げました。レビ族の祭司職の中で毎年ひとりが大祭司として選ばれます。

 大祭司は、罪の贖いのために獣をほふって神にささげます。また、神の怒りをなだめるために全焼の生贄をささげます。そして、民の罪の贖いのために、年に一度至聖所にはいります。その大祭司がアブラハムの腰にあって十分の一をささげたメルキゼデクは、神の国民イスラエルの上におられる祭司です。

 

 キリストは、御霊によってご自分の血を神にささげられました。ただ一度で成し遂げられました。

 

 「年ごとに自分の血でない(獣の)血を携えて聖所にはいる(レビ族の)大祭司とは違って、キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身を生贄として罪を取り除くために、来られたのです。」(へブル9:25,26)

 

 キリストは、本物(天の聖所)の模型にすぎない、(人間の)手で造った聖所(神殿)にはいられたのではなく、天そのものにはいられました。

 キリストの血は、私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とするのです。

 キリストは、神の御前に立つとこしえの祭司です。神と人との仲介者であり、聖徒たちのために執り成しておられます。

 

 キリストは、とこしえに堅く立つ国イスラエルの王です。

 ユダ族から出たキリストは、ダビデの王座に着きます。

 

 十字架の死の後、死から甦り、復活のからだでお現われになったイエス・キリストにお会いした使徒たちは、イエスに命じられました。

 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束(イエスが天に帰った後に、神は、弟子たちにもうひとりの助け主【真理の御霊】を遣わされる)を待ちなさい。

 (水のバプテスマの)ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがた(使徒たちイエスの弟子たち)は(キリストの授ける)聖霊のバプテスマを受けるからです。」(使徒1:4,5)

 

 もうひとりの助け主が来られることを聞いた使徒たちは、復活したイエスと聖霊によって今すぐ、イスラエル王国が復興するものだと思いました。いよいよ、神は、ローマ帝国の圧政で苦しむユダヤ人たちを救い、ユダヤ人の国を再興してくださるに違いない。

 

 「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」(使徒1:6)

 

 しかし、イエスは言われました。

 「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。(使徒たちの宣教は始まりであって、完成はまだまだ先のことです)それは、父が御自分の権威をもってお定めになっています。

 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは(真理の御霊の)力を受けます。そして、エルサレム(エルサレム教会)、ユダヤ(イスラエルのユダヤ人)とサマリヤ(十部族のユダヤ人)の全土、および地の果て(異邦人)にまで、わたしの証人(神の御子イエス・キリストの御名を宣べ伝える者)となります。」(使徒1:7,8)

 

 キリストは、信仰に勝利するイスラエル国民の王です。

 キリストの治められるとこしえのイスラエル王国の国民を、イエスの弟子たちは世界中から集めるのです。神の子羊によって永遠のいのちを得させられる神の民です。

 

 キリストを地上に遣わされた神は、キリストの治めるイスラエル王国を地上に建て上げ、キリストをイスラエルの王とされます。

 

 「彼ら(ユダヤ人たち)は昔の廃墟(先祖のイスラエル王国)を建て直し、先の荒れ跡(カナンの地に建てられた反キリストの国をキリストと天の軍勢によって滅ぼし、その跡地にアブラハムの相続人であるユダヤ人の国)を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。(獣の国に幾度も狙われ、神殿が滅ぼされ、住む人もない地となっていたユダヤ人の国、アブラハムの跡取りである相続人に与えられないまま、外国人に踏み荒らされていた地を、とこしえのイスラエルの王キリストが一新される)

 他国人は、あなたがたの羊の群れを飼うようになり、外国人が、あなたがたの農夫となり、ぶどう作りとなる。(イスラエルに属さない人々は、イスラエルの国民に仕え、イスラエルに雇われる者となる)

 しかし、あなたがた(アブラハムの血肉の子孫と信仰の子孫であるとこしえのイスラエル)は主の祭司ととなえられ、われわれの神に仕える者(神の民イスラエル)と呼ばれる。

 あなたがた(今の世で他国人に苦しめられていた、とこしえのイスラエルの国民)は国々の力を食い尽くし、その富を誇る。(すべての国々の中で、力ある国の国民となる)

 あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。(ユダヤ人であるから辱しめを受け、クリスチャンであるから蔑まれ、神を恐れる者だから笑いものにされた人たちは、キリストの治められる新しい千年王国では呪いに代えて多くの祝福を受ける)

 人々は侮辱に代えて、その分け前(神の報酬)に喜び歌う。それゆえ、その国(千年王国)で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる。」(イザヤ61:4-7)

 

 神は、祭司の油、預言者の油、王の油を注いだキリストによって、イスラエルとの最初の契約を無効とされました。肉の割礼も律法も、新しい契約に書き換えられました。

 

 キリストは、イスラエルの最初の律法を、すべてご自分に置いて全うされ、ユダヤ民族は、イエス・キリストを王として迎えるだけで、神の民として完成されるのです。

 

 キリストは、魂の牧者です。

 「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは癒されたのです。(この世の悩みに死に、神に仕え天の御国を思う新しいいのちを得る者とされました)

 あなたがた(の魂)は、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分の魂の牧者であり監督者である方(神のひとり子キリストと子羊の父なる神)のもとに帰ったのです。」(ペテロ第一2:24,25)

 

 キリストは神の御子イエス・キリストであり、永遠のいのちを得させる救世主、神に祝福されたとこしえの王なのです。