ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の家の滅びた羊に救いを

 

 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになりました。それは、これから遣わす十二使徒が、悪霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためでした。

 

 「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。

 『異邦人の道(神との契約の無い無割礼の人たちのところ)に行ってはいけません。

 イスラエルの家(神と契約を持つ神の民)の滅びた羊のところに行きなさい。行って、「天の御国が近づいた。」と宣べ伝えなさい。

 (彼らの)病気を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがた(神の御子イエスに遣わされる使徒たち)は、(これらの力を神の御子イエスから)ただで受けたのだから、ただで与えなさい。(神のわざを金で売ってはなりません。)」(マタイ10:5-8)

 

 イエスは、十二人の弟子たちを使徒として立て、(彼らに)神のみわざをする霊的な権威を与えて、遣わされました。

 イエスはまだ、キリストの栄光を受けておられませんでした。

 神の御子イエスは、十字架の死と復活の後に、復活した新しいからだで天に上り、ご自分を遣わされた方、父なる神のみもとに帰ったときに、神から、聖霊のバプテスマを授ける権威を受けて、キリストとなられたのです。

 

 それ以前は、聖霊のバプテスマを授けるキリストではなく、弟子たちに汚れた霊どもを制する権威を授ける神の御子イエスでした。

 十二使徒は、イエスから汚れた霊どもを制する権威を授けられて、イエスと同じような神の霊の働きを経験するのでした。

 

 異邦人であるカナン人の女が、悪霊につかれた娘の解放をイエスに願ったとき、イエスは何と言われたでしょうか。

 「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。(異邦人のところには遣わされていません)」(マタイ15:24)

 

 イエス・キリストをイスラエルに遣わされたのは、イスラエルの神です。イエスは、イスラエルの神に忠実なしもべでした。神に命じられたことを行なっていたのです。

 それで、イエスは、ご自分の弟子たちにも、「異邦人の道に行ってはなりません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。(サマリヤ人は、神とユダヤ民族の契約を破ったのです。聖なる神の民イスラエルの中に留まるならば、異邦人をユダヤ教に改宗させてから結婚しなければなりません。しかし、彼らは神との契約を踏みにじり、イスラエルの中から出たのです。それゆえ、契約の外に出たユダヤ人と異邦人の混血のサマリヤ人の町は異邦人の町のようにみなされていました)」と命じられました。

 

 神の御心は、イスラエルの家の滅びた羊を救うことです。(神が律法を与えた民〈ユダヤ人〉のうち、律法を守れなくてうめいている人たち、また、罪から抜け出せれなくて助けを求めている人たち、自分の無力さに望みを失っている人たち、救われたいのに神から遠く離れて苦しんでいる人たちのところへ、神は救い主〈神の子羊イエス・キリスト〉を遣わされました

 滅びた羊とは、律法を守ることのできない弱い人たちのことです。

 

 イエスは、律法の違反者でありユダヤ人たちから蔑まれている遊女に、罪の赦しを宣言されました。また、律法に違反して税を多く取り立てて私腹を肥やしている取税人、すなわち、ユダヤ人たちから憎まれ嫌われている取税人のところへ行って、いっしょに食事をしました。

 

 イエスから罪赦された彼らは、回心して、イエスの弟子となりました。彼らは救われたかったのです。彼らは、イエスに御救いを見い出しました。そして、イエスを信じて救われました。

 

 「すると、(律法に厳格な)パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。『なぜ、あなたがた(イエスと弟子たち)は、(ユダヤ人たちが罪人として忌み嫌う)取税人や罪人といっしょに飲み食いするのですか。』

 そこで、イエスは答えて言われた。

 『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。(キリスト〈救い主〉の救いを必要とするのは、闇にいる、囚われの身の人〈律法の違反者である罪人〉たちです)

 わたし(キリスト)は正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。』」(ルカ5:31,32)

 

 律法学者やパリサイ人たちは、自分を神に忠実な義人だと自任していました。彼らは、自分たちには罪はない、神の御前に正しい者であると自任しており、他の人々を見下していました。

  

 イエスは、このような人たちに対して、たとえを話されました。

 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。

 パリサイ人は、立って(堂々と神の御前に出て)、心の中でこんな祈りをした。

 『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。

 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。(パリサイ人は自分で自分を推薦する人でした。主に受け入れられる人は、自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人なのです)』

 ところが、(自分の罪を知る)取税人は(宮から)遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。

 『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。(神に赦しを請いたくても、私は、聖なる神の御前に立つことのできない汚れた罪人です。神さまの前に立つ資格のない者です。こんな私ですが、赦されたいと願っています。救われたいと切に願っています。どうか、お助けください。)』

 あなたがた(パリサイ人たち)に言うが、この人(自分の罪を言い表わし、神に助けを求め、神のあわれみにすがる取税人)が、(神に)義と認められて家に帰りました。(神の家〈神の御子イエス・キリストが治められるとこしえのイスラエルの家、すなわち、天の御国〉に入ったのです)

 (自分には罪がないと高ぶる)パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ(神よりも高くなろうとして天から追放された天使長ルシファーのように、その栄えある役職をも失ってしまうのです)、自分を低くする者は高くされるからです。(自分の罪を認め、神に自分の罪を言い表わす者は、神に罪が赦され義とされて、天の御国に招かれるのです)」(ルカ18:10-14)

 

 自分には罪は無い、自分は正しいと思う人は、自分は聖なる神にふさわしい者だと考えます。そして、自分の義は神に受け入れられていると信じています。

 罪がないのだから悔い改める必要はなく、神に罪の赦しを請うこともありません。

 

 しかし、ヨハネは言います。

 「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

 もし、(自分のうちにキリストの血の贖いを必要とする)罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理(神の御霊)は私たちのうちにありません。

 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 もし、(自分は神に忠実な者であって、神に裁かれるような)罪を犯していないと言うなら、私たちは(私たちの罪の贖いのために、神の子羊イエス・キリストの血を要求された)神を偽り者とするのです。(罪の贖いの血を流された神の子羊イエス・キリストの御救いは必要なかったと証言していることになります)」(ヨハネ第一1:7-10)

 

 律法を守る自分を義とするパリサイ人たちの義は自己推薦の義であって、神の推薦される義ではありません。復活のイエス・キリストの御霊を受ける資格はないのです。罪の贖いの子羊の血を受け取らない者に、キリストがお授けになる真理の御霊が宿ることはありません。

 

 イエスは、自分を正しいとするユダヤ人のところに来られたのではありません。イスラエルの家の滅びた羊のところに来られたのです。滅びた羊ということは、イスラエルから外れているということです。

 キリストは、神の御救いが約束されたイスラエルの家から外に外れ、律法の違反者である罪人たちのところに遣わされました。

 

 イエスは言われます。

 「『わたし(神)は憐れみ(罪を言い表わして罪の赦しを請う者の罪を赦すこと)を好むが、生贄(罪の裁きを免れるための犠牲)は好まない。(犠牲は、神のひとり子イエス・キリストの贖いの血で完成される。神は、罪人たちに、生贄の神の子羊イエス・キリストを仰ぎ、神の御救いのわざをたたえ、罪が赦されたことを感謝することを求められる)』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。(本当に神のことばに教えられているならば、わかるはずです)

 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:13)

 

 救い主(イエス・キリスト)は、罪に悩む人々を、闇の囚われから解放するために来られたのです。救いを必要とする人たちを救うために来られたのです。

 

 健康な人が医者のところに来ないように、助けを必要としない人はキリストのもとに来ません。

 

 キリストは、助けを必要とする人、病気を癒されたい人、闇の霊どもに苦しめられ救いを求めている人、自分の罪の重さに打ちひしがれている人のところに来られました。

 神は、彼らの苦しみや痛み、悲しむ声、嘆きや叫びを聞いて、救い主を遣わされたのです。

 

 神は、彼らの魂を陰府(よみ)から引き上げ、彼らが穴に下って行かないように、生かしてくださいます。

 

 神は、イスラエルの家に、キリストを遣わされました。神の家の滅びた羊を救うためです。

 復活のキリストは、弟子たちに、全世界に出て行って福音を宣べ伝えるように言われました。異邦人たちは、神の御子イエス・キリストを信じて、キリストを信じる信仰によって、神の民に加えられました。

 

 終わりの時代、神は、神の家(キリスト教会)の滅びた羊を救うために、聖霊(終わりの雨)を注がれることでしょう。

 

 そして、イエスの力を見てイエス・キリストに癒しと開放を求めてすがったカナン人の女のように、イエス・キリストの御霊の力を見て、生ける神の御救いを求める信仰を持つ人たち(異教徒や無宗教の人たち)にも、御救いが起こされることでしょう。