ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神との和解は魂の安らぎ

 

 「万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

 御子(神のひとり子)は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

 また、御子(イエス・キリスト)はそのからだ(キリストのからだ)である教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。(御子イエス・キリストは、悪魔に勝利した第一の人、死から甦った第一の人、肉に死んで御霊によって生まれた第一の人。神の御子イエス・キリスト「人の子」は、新しい創造の初めであり、第二のアダム〈御霊の人〉の第一の人です)」(コロサイ1:16-18)

 

 神は、御自身のひとり子を、女から生まれる「人の子」として、イスラエルにお与えになりました。

 神は、満ち満ちた神の本質を御子(ナザレのイエス)のうちに宿らせ(神の栄光を鏡のように映し出された神の御子イエス・キリストを見る者は、神を見ているのです)、十字架で流された罪の贖いの血によって、神と人との平和をつくり、御子の血(罪のない全き血)によって万物を、御自分と和解させてくださいました。

 神は、地にあるもの(地球に生きるもの)も天にあるもの(ほかの星々の生きもの)も、ただ御子によって、背きの罪を赦し、和解させてくださったのです。

 

 神は、背きの罪によりエデンの園から追放した「人」も、天から追放した堕天使をも、御子の血によって、御自分と和解させてくださいます。

 御子の血によって罪の赦されたものを義とし、天の御国にはいることを許してくださるのです。敵意は、神の子羊イエスの十字架によって葬り去られました。

 ただ、御子イエス・キリストによって和解させてくださいました。

 

 罪人は、神に赦されるような「義」を持っていません。

 堕天使は、神に赦されるような「義」を持っていません。

 神の憐れみは、彼らの到達できない「義」を、みずから創造し、御子(神のひとり子)をお与えになりました。

 

 神は、御自分のひとり子に肉体を造り、罪の贖いの生贄とし、神の怒りを鎮める全焼の生贄とされました。

 神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、私たちエデンの園から追放された罪人を、御自分と和解させてくださったのです。

 

 私たちは、神を離れ、心において神の敵となって、悪い心と悪い行ないの中にありました。しかし、神は、御子の贖いの血(生贄の子羊の血)によって、私たちの罪を赦し、罪によって隔てられていた私たちを、御自分と和解させてくださったのです。

 

 「それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として(神の)御前に立たせてくださるためでした。

 ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望み(天の御国と永遠のいのち)からはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。

 この福音(天の神が遣わされた、神の御子イエス・キリストの贖いの血による罪の赦しと、永遠の死と滅びからの救いと、「いのちの書」に名前が記されること、そして、御霊の新しい創造による永遠のいのちと復活のからだの「新しい人」は、キリストの兄弟姉妹となって天の御国にはいり、とこしえの安息を得る)は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。」(コロサイ1:22,23)

 

 神の御救いの約束のなかった異邦人であっても、キリスト・イエスの中にあることにより、キリストの和解の血によって、神に近い者とされました。

 キリストの血は、神と人とを和解させ、また、神の民ユダヤ民族と異邦人とを隔てていた隔ての壁、すなわち敵意を打ち壊し、ご自分の肉(鞭打たれ、裂かれた肉のからだ)に置いて、二つのもの(律法の下にいる神の民と律法の外にいる異邦人)を、ご自身において新しいひとりの人(神の御子イエスを主とし、かしらとする、キリストのからだ)に造り上げて、文字の律法を廃棄されました。

 それは、律法の契約の下にあるユダヤ民族にも、律法の契約の外にいる他国人にも、いのちの律法(御霊)を与えて、平和を実現するためでした。

 

 キリストこそ私たちの平和です。

 キリストは、割礼の民ユダヤ民族と無割礼の民の二つのものをご自身において、御霊の新しいひとりの人に造り上げ、両者を一つのからだ(キリストのからだ)として、十字架によって神と和解させてくださいます。

 

 「私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父(イエスの父である創造主、私たちの魂の父)のみもとに近づくことができるのです。」(エペソ2:18)

 

 「私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。

 神は、罪を知らない方(神の御子イエス・キリスト)を、(罪人である)私たちの代わりに罪とされました。

 それは、私たちが、この方(救い主イエス・キリスト)にあって、神の義となるためです。」(コリント第二5:20,21)

 

 「(キリストは)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義(神と神の国、また、キリストの証)のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、癒されたのです。(キリストにより、私たちは神と和解し、平安を得ました)

 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、(救い主イエス・キリストを心に迎え入れた)今は、自分の魂の牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」(ペテロ第一2:24,25)

 

 「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見ていないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

 これは、信仰の結果である、魂の救いを得ているからです。」(ペテロ第一1:8,9)

 

 私たちは、自分の魂の飼い主〈羊のためにいのちを捨てる良い牧者、神の御子イエス〉のもとに帰りました。イエス・キリストの中にいる私たちは、私たちの魂の主である神と和解し、平安を得ているのです。

 

 「だれでも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。(神と和解し、罪が取り除かれた義人です)

 古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(罪の中で滅ぶ私たちはキリストとともに死にました。今あるのは、死から甦られたキリストの御霊によって生きる者とされたからです。もはや、死も裁きも滅びも私たちを恐れさせません。なぜならば、私たちの主が、贖いの血によって罪を帳消しにし、新しい人に造り変えてくださるからです)

 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちを御自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。(神は、私たちに、キリストの福音をゆだね、神と人との仲介の務め、すなわち、神と人との和解の務めを授けてくださったのです)

 すなわち、神は、キリストにあって、この世を御自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。(神はキリストにおいて世を御自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、私たちに和解の福音をゆだねられたのです)」(コリント第二5:17-19)

 

 神との和解は、自己存在の肯定です。

 自分が何者であるのかを知る、自己実現の喜びです。

 

 魂の安息の居場所に帰って行く安心と喜び、そして平安です。

 神との和解の先には、とこしえの住まいととこしえの安息が用意されているのです。