ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

生ける神に教えられる

 

 「御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、(信者の中の)ある人たちは(神から出ていない)惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。

 それは、嘘つきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、(人のからだを生かす糧として)神が造られた物です。

 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。

 神のことばと(感謝の)祈りによって、聖められるからです。

 (偽善者のことばに騙されることのないように)これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスの立派な奉仕者になります。(文字ではなく、生ける神の)信仰のことばと、あなたが従って来た(御霊の)良い教えのことばとによって養われているからです。(彼らは、御霊によって教えられ、御霊の知恵によって養われているのです)」(テモテ第一4:1-6)

 

 パウロたちは、教会の中にはいる惑わす霊や悪霊の教えを見分け、祈り戦い、羊たちが騙されないように教えて霊的な務めをしていました。

 

 パウロは言います。

 「私たちはそのために労し、また苦心しているのです。

 それ(パウロたちが苦心して御霊に聞き従うの)は、(神が造られた)すべての人々、ことに(神が遣わされた神の御子イエス・キリストを)信じる人々の救い主である、(子羊イエスの父であり、真理の御霊を授けてくださった)生ける神に望みを置いているからです。」(テモテ第一4:10)

 

 パウロは聖書をよく学び、律法に厳格なパリサイ人でした。しかし、その当時のパウロは神に熱心な者でしたが、生ける神を知りませんでした。

 神を文字の神として知っていただけなのです。それゆえ、聖書をよく知る識者でしたが、いのちの主を知ることのできない者でした。

 

 聖書の神は、文字に閉じ込められる神ではありません。人間が造った神殿に閉じ込められる神ではありません。

 

 アブラハムの神は、全能の神であって、いのちの根源であられる唯一の生けるまことの神です。天も地もその中にあるすべてのものをも造られた神、いのちの息を吹き入れられた神です。

 

 アブラハムは、文字によってではなく、霊によって見えない神を知り、見えない神を見えるようにして仕えました。アブラハムは、生けるまことの神を恐れる正しい人でした。

 それゆえ、神は、アブラハムに御使いを遣わし、アブラハムの信仰に答えられたのです。

 

 イスラエルは、アブラハムの子孫であり、アブラハムが仕えた生ける神に仕える信仰を受け継いだ、唯一の民族です。

 神は、アブラハムの子孫ユダヤ民族イスラエルを、まことの生ける神、天地万物の創造主であられる唯一の神(天の神)に仕える、神の祭司の国民とされました。

 

 アブラハムの時代には、聖書はありませんでした。アブラハムは、神の御声を聞き、神御自身に申し上げる者でした。

 アブラハムを選ばれた神と、神に選ばれたアブラハムとの間に、隔てるものは無かったのです。

 

 神は、御自身が選ばれたアブラハムの子孫イスラエルを、全地にあって、神の祭司の国民として任命されました。

 ほかの民族と聖別されたユダヤ民族を、神の選ばれた神の都エルサレムに置き、いのちの神に仕えさせるためでした。

 

 神は、祭司の国民イスラエルによって、地上に祝福と呪いとを定められました。

 祭司の執り成しによって世界は祝福され、また、祭司の不義(不信仰と不従順)によって世界は呪われます。

 

 律法のなかったアブラハムは、生ける神を知る者でした。

 神のことばである「聖書」がゆだねられたイスラエルは、文字によって神を知ります。「文字で記された律法」の奴隷となった彼らは、生ける神と交わるアブラハムの信仰を見失ってしまいました。

 

 神は、イスラエルに救世主を遣わされました。神のひとり子イエス・キリストです。ユダヤ人から出たキリストです。

 文字の律法は、このキリストによって完成しました。聖書に書かれてあることは、神の御子イエス・キリストにあって、ことごとく成就します。

 

 神がイスラエルにゆだねられた聖書(旧約聖書)は、イエス・キリストにあって完成し、キリストのみことばが、新しい律法となりました。

 新しい律法は、永遠のいのちを得させるための律法です。永遠のいのちは、書面によって約束されるものではありません。

 

 永遠のいのちは、生ける神によって与えられるものです。文字の律法ではありません。神のひとり子は、肉体を持つ人の子となってイスラエルに来られ、顔と顔とを合わせてユダヤ人たちに語られました。

 

 罪を贖い、死から甦られたキリストの与える新しい律法は、永遠のいのちを得させる律法です。死んでも甦り、また、生ける神の御座のある天の御国にはいるための律法です。

 

 神は、神の子羊イエスを、聖霊により死から復活させられました。神は、死に勝利したキリストを、復活のからだを着る新しい人としてお生みなさいました。

 

 神は仰せられます。

 「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」(へブル1:5)

 神に聞き従い、死に至るまで従順な「人の子」ナザレのイエスを、復活のからだ(霊のからだ)を着せて聖霊により死から甦らせた神は、「復活した人の子」イエス・キリストを、「わたしの子(神の子ども)」と呼ばれます。

 

 神は、神のひとり子キリスト・イエスによって、「新しい人」を創造されます。第二のアダムです。

 

 土から取り「いのちの息」を吹き入れて「アダム」を造られた神は、肉の死から取り「生かす御霊」を授けて「第二のアダム」を新しく創造されます。

 

 生ける神のみもとに帰るために永遠のいのちを得る人は、肉の人アダムではなく、御霊によって生まれ新しく造り変えられた「第二のアダム」です。

 キリストは第二のアダムの初めとなられました。

 

 さらに、生ける神は仰せられます。

 「わたしは彼(新しい創造の第一の人キリスト・イエス)の父となり、彼(キリスト)はわたしの子(神の子どもとされる新しい人)となる。」(へブル1:5)

 

 そして、生ける神は、御使いたちにお命じになります。

 「神の御使いはみな、彼(第二のアダムのイエス・キリスト)を拝め。」(へブル1:6)

 

 生ける神は、神のひとり子のいのちによって、神の子どもたちを生んでくださいます。

 永遠のいのちを得させられる神は、死ぬべき人に、神の御子イエス・キリストを信じる信仰を与え、また、神の御子イエス・キリストを信じる人々に、キリストの授けられる新しい律法である「真理の御霊」を宿らせなさいます。

 

 生ける神(子羊と子羊の父と聖霊)が新しくお与えになる律法は、生かす御霊の教えであり、心の割礼です。

 イエス・キリストの御名によって与えられる「真理の御霊」は、イエスのみことばを思い起こさせ、真理を教えてくださいます。

 

 御霊を宿す人は、生けるまことの神が、神の御子キリスト・イエスと聖霊【真理の御霊】によって新しく創造される「新しい人」です。

 新しい人は、死んでも甦り、永遠のいのちを得させられて天の御国にはいる神の子どもとされます。

 新しく創造された人は、イエス・キリストをかしらとする、キリストのからだです。御霊によって生まれた新しい人は、キリストのからだの一部なのです。

 

 キリストのからだである新しい人は、神の御使いたちに仕えられる神の子どもとされます。

 それゆえ、御霊が、神から出ていない惑わす霊や悪霊の教えを知らせ、警告してくださいます。御霊に教えられる人は、御霊に従わなければなりません。御霊に聞き従う人は、御霊の警告に聞き従うことでしょう。神は、御使いを遣わしてその人を守られます。

 

 使徒パウロは、御霊を持つ人たちに言います。

 「自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、あなたの教えを聞く人たちをも(悪しきものから守り)救うことになります。」(テモテ第一4:16)

 

 御霊から受ける真理の教えを守り、御霊の務めに心を砕く人たちに、パウロは言います。

 「しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩(信仰の成長)はすべての人に明らかになるでしょう。」(テモテ第一4:15)