イエスは弟子たちに言われました。
「祈るとき、(まことの神を知らない)異邦人のように同じ言葉を、ただ繰り返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
だから、こう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。
御名(まことの神の名)が崇められますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』」(マタイ6:7-13)
主イエス・キリストご自身が弟子たちに教えてくださった祈りです。「主の祈り」と呼ばれます。
それで、キリスト教会では、「主の祈り」を祈ります。
「天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名を崇めさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らが赦すごとく、我らの罪を赦したまえ。
我らを試みに会わせず、悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。」
日本国民が「君が代」を斉唱できるように、クリスチャンは「主の祈り」を唱和することができます。
天におられる創造主なる神、私たちをお造りになった私たちの魂の父よ。
どうか、生けるまことの神をたたえるくちびるを与え、ほかのだれの名前でもなく、ただ生ける神の御名をたたえ、いのちの主を崇める者とならせてください。
私たちの人生のうちに神の御主権が立てられて、神の御国の調和と平和と喜びがありますように。
神の御心によって治められている天の御国のように、地に住む私たちの魂をも神の御心によってお治めください。
私たちの日ごとの糧と日ごとに必要なものとをお与えください。神の恵みによって、乏しいことのないように、また感謝をもって神に仕える者としてください。
私たちが、私たちに罪をおかす者に腹を立てて憎んだり呪ったりする罪の誘惑に打ち勝つよう御霊によって造り変え、赦せない心を持ち続ける弱さから助け出してください。そして、自分自身のうちにある悪い感情をコントロールする力をください。私たちに罪をおかす者を赦しますから、どうか、主よ、私たちの罪をも赦してください。
私たちを悪魔の試みに会わないようにお守りください。もし、不運に見舞われても悪しきものから守り、悪から救い出してください。
私たちの国は、私たちを造られた創造主、私たちの魂を治める神の御主権であり、私たちの魂を治められる生ける神御自身です。
私たちの魂を支配する権威は、最後の裁きをされる裁き主であられる全能の神です。
私たちの誇る栄光は、私たちの罪を赦し、私たちに永遠のいのちを得させ、とこしえの安息を得させてくださる唯一まことの神、私たちの主の栄光です。
国と力と栄えとは、代々限りなく、とこしえに私たちの魂の父、救い主イエス・キリストの父なる神のものだからです。アーメン。
日本人の主食の米は、日本人の精神性を養ってきた糧です。人は、食物によって影響を受けます。栄養のある良い食べ物を食べれば、心身健やかになります。
しかし、現代人の食べ物は自然から取られた物ばかりではありません。人間の手が加えられた加工食品が多いです。
自然の物にはいのちがあります。しかし、人工の物、添加物は、いのちを害します。生きるために食べている食物が、実は細胞を壊し、身体を病ませる結果を生むことが起きるのです。
日本の米の流通が不自然です。噂によれば、日本人を生かしてきた日本人のつくる稲から取れる米を減らしていく計画があるようです。
ほかの国で造られた米を流通させることで、日本人を食によって変えていこうとする闇の支配者の計画が日本国を浸食しているようです。
その米は、遺伝子組み換えのもので種子が取れないので、外国産の稲に徐々に替えられていく計画があるのではと案じられています。日本国でつくる米であっても、種子のない、すなわち、いのちのない米を主食にしていくことになるそうです。
日本人は、自然の恵みを知る民族で、あらゆるものにいのちを捉えて、いのちのありがたさに感謝して来た民族です。
しかし、いのちのない食べ物を食べ続けるならば、いのちを粗末にする思考に変化する危険があるでしょう。いのちのない食べ物にいのちを得させることはできないのです。
イエスは、弟子たちに世の終わりに起こること、稲妻のようにひらめいて人の子の日に「人の子」が来る有り様を語られました。
すると、弟子たちはイエスに尋ねました。
「主よ。どこでですか。」
「主は言われた。『死体のある所、そこに、はげたかも集まります。』」(ルカ17:37)
悪魔の子たちは知っています。世界を救う者が日本国から出ることを。
悪い者たちが日本に集まって来ます。そして、日本人を食によって害し、また、食の権利を握って日本人たちを手中に収めようと計画しているのでしょう。
イエスは言われました。
「(神が遣わされた天からの救世主イエス・キリストを)信じる人々には次のようなしるしが伴います。(信じる人々には、神がともにおられる証拠としての奇蹟が伴い、神が守られます)
すなわち、わたしの名(神の御子イエス・キリストの御名)によって悪霊を追い出し、(信じる人々のくちびるは生ける神をたたえる)新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人は癒されます。」(マルコ16:17,18)
イエスは、信じる私たちに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けてくださいます。それゆえ、私たちは、害を受けることがありません。
イエスに権威を授けられて遣わされた七十人の弟子たちは、喜んで帰って来て、イエスに言いました。
「主よ。あなたの御名(イエス・キリストの御名)を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」
神は、神のひとり子イエス・キリストに主権を与え、イエス・キリストの御名に権威を与えておられます。
悪魔も悪霊どもも、神の権威に従わなければなりません。神が権威をお与えになった神の御子イエス・キリストの御名には、悪霊どもも震え上がるほどの権威があるのです。
弟子の報告を聞いたイエスは言われました。
「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。
確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。
だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:18-20)
イエスは霊の目で、悪魔の姿も悪霊どもも見ておられたのでしょう。サタンはイエス・キリストの御名の権威に服従しなければなりません。そして、天から落ちたのです。
イエス・キリストの御名には、サタンを天から落とす力があるのです。イエス・キリストの御名は、世に打ち勝つ勝利の御名です。
イエス・キリストの御名には、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威があります。私たちの武器は、イエス・キリストの御名による祈りと命令です。サタンもそれに従わなければならないのです。
しかし、天の勝利は、イエス・キリストの御名による勝利ではありません。神の御子イエス・キリストを信じる私たちの名前が天に書き記されていることなのです。
いのちの書に名が書き記されているからこそ、キリストの勝利を私たちも体験することができるのです。
私たちは、神の守りを体験するたびに、救い主イエス・キリストに救われており、イエス・キリストの御名の中に守られていることを覚えて、神をほめたたえましょう。
外国人が増えると、日本人はアイデンティティーを取り戻していくことでしょう。
日本人は、もともと個としてではなく、集団として生きていました。競争ではなく、思いやりと調和です。集団の中に居場所があったのです。
個の主張ではなく、互いを思いやる協調性と「お互い様」という目に見えない互いに和する心があったのです。集団なのに、ひとつの家族のようなあり方です。
日本の米は粘り気があって、握るとおにぎりになります。おにぎりは、一粒一粒の米が集まった美味しい食べ物です。まるで、日本人そのもののようです。
日本人は、みんながお互い様という謙虚な心を持ち、平和を愛していました。蟻の列のように、秩序があって乱す者がいません。調和と秩序の中では、乱す者は目立ちます。
「他人に迷惑をかけてはいけない。」これが日本人の家庭で教えられる教育でした。
日本人同士のときには気づかなかったこと、意識していなかったことが、日本人の暗黙に守っている秩序を知らない外国人が増えることで、意識するようになりました。
日本人は人種によってではなく、ルールを守らない人には我慢ができません。他人に迷惑をかける人とは距離を置きます。
そうして、眠っていた日本人のDNAが目覚めて来ました。私たちは、互いにルールを守り、他人に迷惑をかけないことに気をつけて、自制することで秩序を守ってきたことを思い出しました。
闇の勢力は、日本人から起こる神の働きを阻止しようとして、悪い者たちを送って来るでしょうが、その結果、西洋に憧れた日本人の心の奥底にあった本当の安らぎ、最も居心地の良いのは、日本古来の生き方であったことに気づかせてもらいました。
日本人の心には、自然と調和し、いのちに感謝し、互いを思いやる懐かしくも優しい純粋な思いが残っています。
これから、大変な時代になっていくでしょうが、日本人の温かい言葉と懐かしい交流に癒され、何よりも、生けるまことの神、日本人が持っていた、いのちの神への畏敬の念と感謝の気持ちを思い起こし、いのちの神との交わりを回復されましょう。
いのちの神を恐れ、崇拝する先に、真理の神はおられるのです。
神は、日本人から遠く離れてはおられません。
日本人が魂の父に出会い、「天にまします私たちの父なる神」と神を呼ぶ日が来ることでしょう。