ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

いのちのパン

 

 子どものいないアブラハムと契約を結ばれた全能の神は、アブラハムの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、四百年の間の奴隷として苦しめられることを仰せられました。

 

 アブラハムの子イサクの子、すなわち、アブラハムの孫のヤコブの時代に、神のことばが成就しました。

 カナンの地の飢饉によってエジプトの地に移住したヤコブの家族は、エジプトの寄留者となり、そして、四百年の間、奴隷にされて苦しみました。

 

 また、神はアブラハムに仰せられました。

 「そして、四代目の者たちが、ここ(神がアブラハムに相続地としてお与えになったカナンの地)に戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」(創世記15:16)

 

 アブラハムの子孫にカナンの地を与えるのは、カナンの地の住民のすべてが悪いものとなる時だ、と神は定めておられました。

 

 その時が来て、神は、エジプトの地の奴隷であるアブラハムの子孫(イスラエル)を連れ上るために、モーセを遣わされました。

 神は、アブラハムの子孫イスラエルを、神が遣わされたモーセによってエジプトから救い出し、先祖の地(カナンの地)にはいらせるために、荒野を行かせられました。

 

 カナンの地は、アブラハムとアブラハムの子孫に与えると仰せられた、神の約束の地です。

 神は、イスラエルにカナンの地を、カナンの地の住民の手から勝ち取って所有させるために、荒野で契約を結び、神に聞き従う民に造り変えられました。

 

 カナンの地の住民は神への暴虐に満ちた悪いものとなっていました。神は、地を汚す悪いものたちを聖絶して、神の民イスラエルを住まわせ、神が選ばれたカナンの地を神の祭司の国とし、神が御自身のために選ばれたエルサレムを神の都とする御計画です。

 

 荒野を行くイスラエルを、神はどのように養われたでしょうか。

 女・子ども、年寄りもあわせて百万人以上の群れ、また多くの家畜の群れには食べ物が必要です。

 

 全能の神は、天から日々パンを降らせられました。民は、それを集めて食べたのです。天から降ったパンは「マナ」と呼ばれました。

 また、乾いた荒野に、岩から水を湧き出させて、水を飲ませられました。

 

 神御自身が民を養われました。

 終わりの時代に、反キリストから逃れ、三年半の間、荒野で匿われるユダヤ人たちがいます。彼らもまた、神御自身によって、養われるのです。

 

 イエスはユダヤ人たちに言われました。

 「わたしはいのちのパンです。

 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。(マナは、肉体の人を生かす肉体の食物だったからです)

 しかし、これ(いのちのパン)は天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。(マナは天から降ったものですが、いのちのパン〈神の子羊イエス〉は天から下って来たものです。すなわち、天のものが地上に来られたのです。天のものは永遠のいのちです、永遠のいのちのパンを食べるならば、死ぬことがなく、永遠に生きるのです)

 わたしは(神のひとり子イエス)は、天から下って来た生けるパンです。(永遠のいのちを得させる、天の御国の食物)です。だれでもこのパンを食べる(イエス・キリストのことばを聞いて心の糧とする)なら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパン(天の御国の食物)は、世のいのちためのわたしの肉です。(世の罪を取り除き、世に永遠のいのちを得させるための、神の子羊の肉です)」(ヨハネ6:48-51)

 

 神の御子イエス・キリストは、世の罪を取り除く、罪の贖いの子羊として、イスラエルに来られました。

 いのちの木への道が閉ざされ必ず死ななければならない人類を、死から取り戻して、永遠に生きるために食べる実、いのちの木の実(永遠のいのち)を得させるために、裁き主なる神が、救い主として神の御子イエス・キリストを遣わされたのです。

 

 神はアブラハムと契約を結ばれた時、アブラハムに割礼を命じられました。

 肉にしるされた割礼が、神と契約を結ぶ者である証とされました。割礼は、神と契約を結ぶ者のしるしでした。

 

 神はイスラエルと契約を結ばれた時、神の律法を与えて、律法を守ることを命じられました。神は、神の民に、「聖書」をゆだねられました。

 律法を守る者が、神と契約を結ぶ神の民の証とされました。律法は、神と契約を結ぶ民のしるしでした。

 

 神は、アブラハムに与えると約束されたカナンの地に、アブラハムの子孫イスラエルの国を建てられ、イスラエルの所有とすることで、約束を守られました。

 

 神は、「神に遣わされたモーセのようなもうひとりの預言者〈神がイスラエルに遣わされるキリスト〉に聞き従わなければならない。」と命じたモーセの律法に聞き従う神の民に、悪魔に勝利する「人の子」〈神のひとり子キリスト〉の肉と血をお与えになられました。

 

 イエスは神の民ユダヤ人たちに言われました。

 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。

 人の子(キリスト)の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。(世の人たちと同じように死にます。天の御国にはいる望みはありません)

 わたし(神の子羊イエス・キリスト)の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人を甦らせます。

 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。(十字架のわざは、いのちの木の実を得させるわざです。十字架の贖いを信じる者は、神の子羊イエスの十字架の死の意味を知り、自分の罪を赦すためであった事に感謝し、子羊イエスのみわざをたたえてます。そして、イエス・キリストの十字架のみわざを記念し、十字架の恵みのうちに留まります)

 わたしの肉(キリストの十字架を記念する聖餐のパン)を食べ、わたしの血(キリストの十字架の贖いを記念するぶどう酒)を飲む者は、わたし(救い主イエス)のうちに留まり、わたし(キリストの御霊)も彼のうちに留まります。

 生ける父がわたし(神のひとり子)を遣わし、わたし(子羊イエス・キリスト)が父(いのちの根源の主)によって生きているように、わたしを食べる者も、わたし(いのちの根源の父のうちにある御子イエス・キリストに繋がること)によって生きるのです。

 これ(神の子羊イエス・キリスト)は、天から下って来たパンです。(天の御国で生きる永遠のいのちを得るためのパンであり、天から下って来たいのちの食べ物です)

 あなたがたの先祖(荒野でマナを食べたイスラエル)が食べて死んだようなもの(肉体を生かす食べ物)ではありません。

 このパンを食べる者は永遠に生きます。(天から下って来た、永遠のいのちを得させる、このいのちの食べ物を食べる者、すなわち、イエス・キリストを信じる者は、永遠のいのちを持ち、永遠に生きます)」(ヨハネ6:53-58)

 

 人は、気持ちの弱った時、落胆している時、悲しむ時、嘆く時、食欲が失われます。そのような心の状態は、生きる気力を削ぐからです。

 

 人は、体力だけで生きているのではありません。心のありようによって、どうにでもなってしまうのです。

 

 イエスは、嘆く者のところに行き、病む者に癒しを、悲しむ者に慰めを、罪を負う者には、罪の赦しを宣言して、その重荷をおろしてくださいました。

 

 罪に苦しむ者に、罪を犯してはならないと諭しても、焼け石に水です。

 その罪に縛られた人は、罪の縄目から解放されたいのです。自分の力でどうにもできないから、苦しんでいるのです。罪であることは分かっています。その罪に打ち勝ちたいのに、その力がないのです。

 

 他の人々は責めます。自分でもわかっているのです。自分で情けないと思っています。しかし、どうにもできないのです。もがけばもがくほど、るつぼにはまります。

 あきらめていないから、もがくのです。

 

 イエスが来られました。

 「あなたの罪は赦されました。」

 その時、その人を縛り付けていた縄目が取り除かれて解放されました。イエスのことばは、神のことばです。裁き主であられる神が、罪を赦した、と言ってくださるのです。

 その人の霊は、権威ある神のことばによって、自由を得ました。裁き主が権威を持って、赦しを宣言されたのです。罪の刑罰が取り除かれただけではなく、罪の咎めをも後悔の涙で洗い流し、罪のない者としてくださったのです。

 

 解放された人は、喜びに満ち、イエスを愛します。イエスを愛すると、内側が癒されて自分自身を愛する者に変えられていきます。彼には愛が芽生えるのです。

 

 また、三十八年もの間、病気で臥せっていた人には、「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」と言われました。彼はイエスのことばを信じました。すると、彼は癒されました。

 イエスは、その人に言われました。

 「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」(ヨハネ5:14)

 

 罪人は、イエスに罪を赦されて解放されると、罪のない者のように、新しい者に変えられます。死んでいた良心が甦るのです。

 

 イエスのことばは、生きる気力を与えます。希望を与えます。愛を与えます。人の心は、闇から光へと変えられます。

 イエスのことばによって新しくされた人の目は、闇に偽りを見ます。新しい人の心は真理を求めます。

 

 イエスは、いのちを与える「いのちのパン」なのです。

 いのちのパンを食べる人は、永遠を思い、正義が治める天の御国を慕います。そして、イエスの愛に癒され慰められ、勇気をもらい、生きる活力を得ます。

 良心は甦り、傷ついた魂は回復し、きよいことに憧れます。

 

 「わたし(神の子羊イエス・キリスト)を信じている者は、永遠のいのちを持ちます。」(ヨハネ6:47)

 神の御子イエス・キリストのことばは真実です。

 

 キリストは、永遠のいのちを得させる「いのちのパン」なのです。

 

 生きる者は、食物を食べないと死んでしまいます。

 それゆえ、神は、天の御国にはいる人たちに、天の御国にはいる者の食べ物「いのちのパン」を、天から下されたのです。