ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

三つの油を注がれた「平和の王」

 

 全地の祭司の国民として、古代イスラエルは、預言者と大祭司と王とによって統治されていました。

 

 神は、預言者モーセを立てて、ユダヤ民族と契約を結ばれました。

 ユダヤ民族は、アブラハムの契約と祝福を受け継ぐ、アブラハムの子孫です。神がアブラハムにお与えになったカナンの地を相続する跡取りです。

 

 荒野で羊を飼っていたモーセに、主の使いは現われました。柴の中の火の炎の中に現われたのです。火は燃えていたのに柴は焼け尽きないという、不思議な光景を見たモーセは、「なぜ柴は燃えて行かないのか。」と言って近づきました。

 神は、モーセが横切って、火で燃えている柴を見に来るのを御覧になりました。そして、神は、柴の中から「モーセ、モーセ。」と彼をお呼びになりました。

 モーセは「はい。ここにおります。」と申し上げました。

 

 すると、神は仰せられました。

 「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、(神御自身が現われてくださった)聖なる地である。」(出エジプト3:5)

 

 「また仰せられた。

 『わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』

 モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。

 主は仰せられた。

 『わたしは、エジプトにいる(エジプトの奴隷とされている)わたしの民(蛇の頭〈悪魔〉を踏み砕く「人の子」[神の御子キリスト]を遣わす民族として、神御自身が生んだユダヤ民族)の悩みを確かに見、追い使う者(エジプト人)の前の彼ら(アブラハム、イサク、ヤコブの子孫)の叫びを聞いた。わたし(アブラハムの神)は彼ら(アブラハムの契約と祝福を相続するヤコブの子孫ユダヤ民族)の痛みを知っている。

 わたし(天の神)が下って来たのは、彼ら(アブラハムの子孫)をエジプトの手から救い出し、その地(奴隷の家エジプト)から、(神がアブラハムにお与えになった相続地である約束のカナンの地、すなわち)広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ぺリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。

(その頃、エモリ人の咎が満ち、神がアブラハム仰せられたとおり、アブラハムの子孫にカナンの地を与える時が来たのです)

 見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼ら(神の民)を虐げているそのしいたげを見た。

 (モーセよ)今、行け。わたし(あなたの先祖の神、全能の神)はあなた(モーセ)を(エジプトの王)ファラオのもとに遣わそう。私の民イスラエル人を(奴隷の家)エジプトから連れ出せ。」(出エジプト3:6-10)

 

 「神は仰せられた。

 『わたし(全能の神)は、あなた(モーセ)とともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。』」(出エジプト3:12)

 

 モーセは神に聞き従って、エジプトに下り、また、神の不思議なみわざと御力によって、イスラエルをエジプトの地から連れ上って荒野にはいり、神に仰せられた山で、神に仕えました。

 

 こうして、神は、奴隷の家エジプトから救い出したイスラエルと、この山で契約を結ばれました。

 イスラエルの指導者である預言者モーセを通して、イスラエルに神の律法を授けられました。

 

 神は、預言者モーセを通して仰せられました。

 「あなたがた(イスラエル)は、わたし(全能の神)がエジプトにしたこと(エジプトを打って、大国の力を砕いたこと)、あなたがたを鷲の翼に載せ(神の御手で守って安全に)、わたしのもとに連れて来たことを見た。

 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約(律法)を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたし(天地万物を創造し万物を統べ治める神、唯一まことの主)の宝となる。全世界はわたし(全能の神)のものであるから。

 あなたがた(イスラエル)はわたし(全能の神)にとって(生けるまことの神に仕える)祭司の王国、聖なる国民となる。」(出エジプト19:4-6)

 

 神は、預言者モーセを遣わし、アブラハムの契約の子孫イスラエルを、奴隷の家エジプトから救い出して、聖なる神の民とされました。

 

 また、神は、ユダヤ民族十二部族のうちのレビ族を取って、神に仕える部族とされました。祭司の部族であり、神の宮で仕える部族です。

 また、神は、モーセの兄、レビ族のアロンに油を注いで、神の祭司の国民を治める大祭司とされました。

 

 イスラエルは、荒野で神と契約を結びました。

 神は、イスラエルを、すべての国々の民の中にあって、永遠に生きておられる全能の神に、地上で仕える祭司の王国、また、聖なる神に仕える、聖なる国民とされたのです。

 

 イスラエルは、神のことばをあずかる預言者によって道をさし示され、また、祭司職のレビ族によって、先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、イスラエルの全能の神に仕える民、唯一まことの神を礼拝する国民として育てられました。

 

 カナンの地にはいったイスラエルは、ほかの国々のように「王」を求めました。

 神が主であり、イスラエルの王であることに満足せず、ほかの国々のように、イスラエルの国に、王を求めたのでした。

 預言者サムエルは難色を示しました。神は、王の権利を民に知らせました。民は王に仕え、王の奴隷となるという、現実の厳しさを知らされたのです。

 

 しかし、民は王を求め続けました。

 「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。

 私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」(サムエル8:19,20)

 

 そこで、神は預言者サムエルに命じて、民の望みどおりに、ベニヤミン族のサウルに油を注いで、彼をイスラエルの王として立てました。

 しかし、サウルは、神を恐れる者でなく神に信頼する王ではありませんでした。預言者を通して語られる神のことばに聞き従いませんでした。

 

 神の国民の主権者は、王ではありません。神御自身なのです。それゆえ、王であっても、預言者のことばにへりくだらなければなりません。また、祭司の務めをすることは、たとい、「王」であっても、許されません。神御自身が任命された祭司の家系にゆだねられた務めなのです。

 

 神は、神のことばを退けたサウルから王位を退けられました。

 そして、ユダ族のエッサイの子、父の家で羊飼いをしていたダビデのところに預言者サムエルを遣わして、ダビデに油注いで、イスラエルの王とされました。

 

 ダビデ王の子ソロモンが、神の神殿を建て、ソロモン王の治世に、イスラエル王国が確立しました。

 

 しかし、ソロモン王は、預言者を通して警告される神のことばに聞き従うことはありませんでした。神との契約がなく偶像礼拝をする外国人の娘たちを愛して妻としたことで、ソロモン王は、妻たちが拝する外国の神々に香をたき偶像礼拝をして、神の命令に背き、神を怒らせました。

 

 神は、ダビデ王に約束しておられました。ダビデ王に一つの家を与え、ダビデの王座はとこしえに堅く立つと誓われたのです。

 神は、ダビデ王の系図に、蛇の頭(悪魔)を踏み砕く「人の子」(ダビデの子と呼ばれるキリスト)を起こすことを決めておられました。

 

 ソロモン王の不従順により、ソロモンの子レハブアムの治世に、イスラエル王国は、ユダ族とベニヤミン族の王家の二部族の南ユダ王国と、残りの十部族の北イスラエル王国に分裂しました。

 

 南ユダ王国も、北イスラエル王国も、それぞれの王は高ぶり、預言者を殺し、神に従おうとはしません。祭司たちの神と民との仲介者の務めも、形ばかりのものとなっていました。

 イスラエルは、神と契約を結ぶ神の民であるはずなのに、神のことばを語る預言者たちを迫害して神に逆らう民となり、アッシリアに捕囚された北イスラエル王国は、散らされました。

 

 バビロンに捕囚された南ユダ王国は、キリストを生むために、イスラエルの地に戻されましたが、ベツレヘムで生まれた神の御子イエスをキリストとして信じることがありませんでした。

 神は、神の御子イエス・キリストに聞き従わなかった彼らを怒り、彼らから国を取り上げられました。イエスの時代の神殿は崩壊し、ユダヤ人たちは諸国に散らされました。

 

 イスラエルは、預言者の油を注いだ預言者を送っても、神に聞き従いません。

 ローマ帝国の属州となったユダヤに王はいません。

 祭司たちは、保身のためにローマに迎合し、神の御子キリストを十字架につけて殺しました。

 

 処刑の権威はユダヤ人にはありません。処刑の権威を持つ総督ピラトは、「除け。除け。十字架につけろ。」と激しく叫ぶユダヤ人たちに言いました。

 「あなたがた(ユダヤ人たち)の王(ユダヤ人の王ナザレのイエス)を私が十字架につけるのですか。」(ヨハネ19:15)

 祭司長たちは答えた。

 「カイザル(ローマ皇帝カエサル)のほかには、私たち(ユダヤ人)に王はありません。」(ヨハネ19:15)

 こうして、ユダヤ人たちは、神が遣わされたユダヤ人の王を拒み、ローマ帝国のカエサルをユダヤ人の王とし、神の御子イエス・キリストを捨てたのです。

 

 ナザレのイエスは、神に、預言者の油を注がれていました。

 モーセがイスラエルに「わたしのようなもうひとりの預言者に聞き従わなければならない。」と命じていた、あの預言者でした。

 

 ナザレのイエスは、神に、大祭司の油を注がれていました。

 彼はレビ族から出た大祭司ではありません。祭司を出したことのないユダ族から出た、「メルキゼデクの等しい大祭司」です。

 イエスは、死から甦ると、天に上り、天のまことの聖所で仕える、とこしえの大祭司となられました。天と地の仲介者、神と人との仲介者となられたのです。

 

 ナザレのイエスは、神に、王の油を注がれました。

 「ユダヤ人の王」の罪状書きで処刑されたイエスは、死から甦り、神から、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けられました。

 

 古代イスラエル王国では、預言者の油を持つ預言者、祭司の油を持つ大祭司、王の油を持つイスラエルの王に、一致はなく、イスラエル王国は分裂しました。それぞれが神の権威の下にへりくだることなく、好き勝手に神の民を苦しめました。

 

 しかし、神がとこしえのイスラエルに立てられる「イスラエルの王」は、預言者の油と、大祭司の油と、王の油の、三つの油を注がれたキリストです。

 キリストには矛盾がありません。預言者と大祭司と王は、ひとつです。また、神の御子は、父なる神とひとつです。

 

 キリストは天から来て、悪魔の民を滅ぼされます。神の民を苦しめた者たちは滅ぼされるのです。

 

 イスラエルの王イエス・キリストが治められる「イスラエル王国」は、キリストが注がれる聖霊によって、秩序正しく、キリストの御思いとひとつです。父なる神の御心のうちにある、平和の国です。「平和の王」が治められるからです。

 父なる神と、神の子羊キリスト・イエスと、聖霊はひとつ、真理はひとつ、神の民もひとつです。

 

 ユダヤ民族の二部族も十部族も一つの国民として回復され、また、キリスト者たちは、キリストの御霊にあって、ユダヤ民族とひとつの国民となります。

 神にキリストの油を注がれた「平和の王」が治める世界は、被造物は回復され、すべてのものが生きる、いのちと愛と喜びと平安に満ちた平和な世界です。

 

 「『神は、彼ら(神を信じ、悪魔の手から救い出された民)とともに住み、彼らはその民となる。また、神御自身がともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださり、もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。

 なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』

 すると、御座に着いておられる方が言われた。

 『見よ。わたしは、すべてを新しくする。』」(黙示録21:3-5)