異邦人の時の完成にあたって、神は、生けるまことの神に忠実な者を捜しておられます。
聖なる神の民であることを誇るユダヤ人たちは、異邦人との混血であるサマリヤ人を嫌っており、交際することがありませんでした。
しかし、サマリヤ人たちは、ユダヤ人と同じ神を崇めていたようです。サマリヤ人は、イスラエル人の神を「先祖の神」と言いました。サマリヤ人にとっても、アブラハム、イサク、ヤコブの神は、「私たちの神」だったのです。
純血なユダヤ人たちは、エルサレムを礼拝場所としていましたが、混血のサマリヤ人たちは、モーセが祝福を置いた山であるゲルジム山で礼拝していました。
イエスが神の人であると思ったサマリヤ人の女は、イエスに尋ねました。
「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの先祖は、この山(ゲルジム山)で礼拝しましたが、あなたがた(ユダヤ人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」(ヨハネ4:19,20)
「イエスは彼女(サマリヤ人の女)に言われた。
『わたしの言うことを信じなさい。あなたがた(サマリヤ人)が父(イエスの父、すなわち、全能のイスラエルの神)を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたち(ユダヤ人)は(神の御計画を)知って礼拝していますが、あなたがた(イスラエルから外れたサマリヤ人)は(神の御旨を)知らないで礼拝しています。
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。(祭司や律法などの伝承やしきたりや人間の教えではなく、神の御霊によって教えられ、自分の霊によって神と交わり、礼拝する時が来ます)今がその時です。(聖霊のバプテスマを授けるキリストが地上にやって来た、今がその時です)
父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(神を信頼する純真な心と混じり気のない信仰をもって、目に見えない聖なる神を、自分自身の霊によって礼拝するのです)」(ヨハネ4:21-24)
「女はイエスに言った。
『私は、キリストと呼ばれるメシア(永遠に生きられる救世主)が来られることを知っています。その方(キリスト)が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。』
イエスは言われた。
『あなたと話しているこのわたし(イエス)がそれ(聖霊のバプテスマを授けるキリスト)です。』」(ヨハネ4:25,26)
サマリヤ人も、聖書の約束を信じていたのです。
神に油注がれた預言者(キリスト)が来られること、そして、キリストが来られたならば、真理を明らかに示してくださり、また、神の約束を信じる私たちを御救いの中に入れてくださると信じて、待ち望む民でした。
サマリヤ人たちもまた、モーセの律法の下にいたのです。
しかし、ユダヤ人の従う律法とは、少し異なります。
ユダヤ人たちの律法は、人が守るべき掟やしきたりにがんじがらめになっており、魂を生かすためのいのちの律法ではなくなっていました。
しかし、サマリヤ人たちの律法は、ユダヤ人たちのような細かい規定ではなく、モーセが「彼に聞き従わなければならない。」と言った、もうひとりの預言者を待ち望むことでした。
ユダヤ人の律法から外れて、イスラエルの民から外されたサマリヤ人たちは救いを求めていました。
モーセは言いました。
「神が遣わされる、モーセのような預言者に聞き従わない者は、聖なる民イスラエルから絶ち滅ぼされる。」と。
ユダヤ人たちにイスラエルから外されたサマリヤ人は、神の御救いが約束された民の中から滅ぼし絶やされたくありません。それで、モーセの命じた、聞き従うべきキリストが来られるのを待ち望んでいました。
サマリヤ人は待ち望んでいたのです。神の遣わされるキリストが来られたならば、御救いに本当に大事な事を教えてくださるはずです。彼らは、「キリストに聞き従う」というモーセの律法に心を留めていました。
イエスは、イスラエルに遣わされていました。イエスは、遣わされた方(父)に忠実なしもべです。イスラエルから外れたサマリヤ人に、癒しを行なったり、「あなたの罪は赦されました。」とは言われません。
「あなたと話しているこのわたし(イエス)がそれ(サマリヤ人が待ち望んでいるキリスト)です。」と言われました。
キリストを待ち望むサマリヤの女に、イエスは「あなたと話しているわたしが、あなたの待ち望んできたキリストです。」と言われたのです。
イスラエルの中にいるユダヤ人たちは、果たして、キリストを待ち望んでいたのでしょうか。
民衆は、バプテスマのヨハネの「神の国が近づいた。悔い改めよ。」のメッセージを聞いて、キリストにお会いするために、悔い改めて、ヨハネから水のバプテスマを受けました。
しかし、神に仕える祭司長や律法学者やパリサイ人、民の長老たち、すなわち、イスラエルの指導者たちは、ヨハネから水のバプテスマを受けませんでした。
天から遣わされた神のひとり子イエスは、地上に来て言われました。
「父(全能の生けるまことの神)は、霊とまことによって父を礼拝する人々を、礼拝者として求めておられる。」
「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって(自分自身の霊と真実な心、真心をもって)礼拝しなければなりません。」
そして、それこそが、真の礼拝者であり、イスラエルなのです。
ユダヤ人の祭司長や、民の指導者たちは、神の民イスラエルとして失格しました。神が遣わされたキリストがわからなかったのです。
キリストの到来を待ち望むサマリヤの女は、イスラエルから外れたサマリヤ人ですが、神に遣わされたキリスト(神の御子イエス)を信じることができました。彼女は、イエスのことを預言者であると、告白したのです。
イスラエルに属しているから、神の礼拝者ではありません。霊とまことによって礼拝する「真の礼拝者」たちこそが、真のイスラエル、すなわち、永遠のいのちを得させられて、キリストとともに天の御国を相続するとこしえのイスラエルなのです。
イエス・キリストの御霊を持つ者は、世の罪を取り除いた子羊イエスと同様に、死から甦り、御霊によって新しく生まれ、復活のからだを着て、天の御国にはいる天の御国の相続人とされます。
地上のイスラエルではありません。霊なる神の御座のある天の御国に引き上げられる新しい創造の「とこしえのイスラエル」です。
イエス・キリストを長子とする神の子どもたちが安息する「神の家」です。
神と御救いの契約を結ぶイスラエルは、神が遣わされたモーセのような預言者、すなわち、キリストに聞き従う人々です。
モーセは、イスラエルに何と言いましたか。
「その預言者(キリスト)に聞き従わない者はだれでも、民(神と契約を結ぶ神の民イスラエル)の中から滅ぼし絶やされる。(すなわち、ユダヤ人であっても、いのちの書から名前が消されて滅びの子となる)」
イエスの弟子たちは、復活のイエス・キリストに聞き従って、聖霊のバプテスマを受けました。神の御子イエスは、聖霊のバプテスマを授けるキリスト(永遠のいのちを得させるキリスト)だからです。
父なる神は、神の子羊イエスを遣わして、復活のイエス・キリストを天に引き上げた後に、もうひとりの助け主を遣わされました。
神は最初、神格を持つ神のひとり子を遣わされて、世の罪を取り除かれました。そして、神の子羊のみわざを成し遂げた御子を、天に帰されました。
神は、神の御心を成し遂げた神の子羊イエスに、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威をお与えになりました。
神の御子にキリストの権威をお与えになった神は、イエス・キリストの御名によって、真理の御霊を授けられます。
御子を天に引き上げられた神は、次に、神格を持つ聖霊を遣わされました。キリストからバプテスマを受ける人は、いのちの御霊(真理の御霊)を受けます。
イエスを信じる人たちに水のバプテスマを授けたのは、イエスの弟子たちです。イエスは、水のバプテスマを授けられませんでした。
キリストの授けるバプテスマは、水によるものではありません。この世のものではないのです。キリストが授けるバプテスマは、神格を持つ聖霊、すなわち、真理の御霊に浸すバプテスマなのです。
「わたし(神の子羊イエス・キリスト)を信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川(生かす御霊のいのち)が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:38)
イエス・キリストのお与えになる御霊は、永遠のいのちを得させ、また、霊なる神を礼拝する者として、私たちの霊を整えてくださいます。
霊とまことによって礼拝する「真の礼拝者」として、新しく造り変えてくださるのです。
ユダヤ人の指導者たちは、イエス・キリストを受け入れることができませんでした。しかし、彼ら(指導者たち)の蔑む取税人や遊女、また、イスラエルから除外されたサマリヤ人たちはキリストを信じ、とこしえのイスラエルに入りました。
キリスト教の人たちは、真理の御霊を受け入れることができるのでしょうか。
救いを求めて、身魂磨きをする神道や仏教の人たち、キリスト教会から除外され神に御救いを求める人たちは、自分自身の霊によって真理の御霊を求め、目に見えない聖なる神の御霊に魂をゆだねるならば、生ける神に忠実な者とみなされないでしょうか。
終わりの時に、神は、キリストの御思いを持つふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人によって、神のことばを宣教されます。
その時、真の礼拝者(神を恐れ、生ける神にへりくだる人)たちは、神のことばに聞き従うことでしょう。