「彼ら(パウロ一行)は、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。
律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。
『兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。』
そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。
『イスラエルの人(ユダヤ人)たち、ならびに神を恐れかしこむ(ユダヤ教に改宗した異邦人の)方々。よく聞いてください。
この民イスラエルの神は、私たち(ユダヤ人)の先祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし(七十人でエジプトにはいったヤコブの家族は、エジプトの地で滞在していた期間に、成人男子だけでも六十万人のユダヤ民族とされた)、御腕を高く上げて(神の契約の民に高ぶるエジプトに、ユダヤ民族とともにおられる偉大な神、全知全能の主の御力を現わし)、彼ら(全能の神の民、ユダヤ民族)をその地(奴隷の家エジプト)から導き出してくださいました。
そして約四十年間、荒野で彼ら(イスラエル)を養われました。
それから(ユダヤ人の先祖たちに与えると神御自身が約束された、彼らのゆずりの地である)カナンの地で、七つの民(カナンの地に住む住民)を滅ぼし、その地(カナンの地)を相続財産として(イスラエルの十二部族に)分配されました。これが、四百五十年間のことです。
その後、預言者サムエルの時代までは、裁き人(士師)をお遣わしになりました。(神は、士師によって、イスラエルを治めておられました)
それから彼ら(イスラエル人)が(ほかの国のようになりたいと言って、イスラエルにも王を立ててください、と願い)王を欲しがったので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。
それから、(イスラエルの神は)彼(神の祭司の国イスラエルの祭司職を侮って、聖なる神を汚したサウロ)を退けて、(ユダ族の人)ダビデを立てて(イスラエルの)王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。
「わたし(イスラエルの神)はエッサイの子ダビデを見いだした。彼(ダビデ王)はわたしの心にかなった者で、わたしの心を(神の御心を)余すところなく実行する。(ダビデ王は、イスラエルを神の祭司の国民として、正しく治める王となる)」
神は、このダビデの子孫から、(先祖の)約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。
(ダビデ王に、ダビデの子の王座を堅く立てて、とこしえにイスラエルを治める王〈キリスト〉が立つことを約束された神は、その約束を、ダビデの子孫ヨセフの子、ナザレのイエス・キリストに果たされました。神は、神の御子を、ダビデの子ヨセフの家にお生みなさったのです)
この方(イスラエルに遣わすと約束されていた、モーセのような預言者、すなわち、イスラエルを奴隷の世から救い出すキリスト)がおいでになる前に、(バプテスマの)ヨハネがイスラエルのすべての民に、前もって悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。(ヨハネは、荒野で叫ぶ者の声でした。エリヤの霊によって出現した、主の道を真っすぐに備える者でした)
ヨハネは、その一生を終えようとするころ、こう言いました。
「あなたがたは、私(バプテスマのヨハネ)をだれと思うのですか。私はその方(モーセが聞き従わなければならないと命じた、あの預言者)ではありません。(神に遣わされたバプテスマのヨハネは、ユダヤ人たちが考えているような人、すなわち、イスラエルを救うために遣わされたキリストではありません)
ご覧なさい。その方(キリスト)は私(主の前に道を備えるために神に遣わされたバプテスマのヨハネ)のあとからおいでになります。私(ヨハネ)は、その方(神の御子キリスト)のくつのひもを解く値うちもありません。。」
(神を信じる)兄弟の方々、アブラハムの子孫(アブラハムの血肉の子孫ユダヤ民族)の方々、ならびに皆さんの中で神を恐れかしこむ(ユダヤ教に改宗した異邦人)の方々。この救いのことばは、私たち(全能の主、イスラエルの神を恐れかしこむ者、聖書の神を信じる者)に送られているのです。
(御救いの約束は、聖書にあり、聖書を信じる者に、神の御子キリストによる救いのことばが送られています)
(しかし、イスラエルの中枢である)エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを(神に遣わされた預言者キリストであること)を認めず、また(ユダヤの会堂で)安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず(聖書の預言は、実に、木にかけられた神の子羊ナザレのイエスのことを書いていたのです)、(罪のない)イエスを罪に定めて、その預言(イザヤ書五十三章の預言を、神の御子ナザレのイエスの上に)成就させてしまいました。
そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、イエスを殺すことを(ユダヤ人たちは)ピラトに強要したのです。(処刑を命じる総督ピラトでさえ、イエスのうちに何の罪も見いだせず、イエスの十字架には「ユダヤ人の王」という罪状書きを掲げました。それ以外の罪状は思い浮かぶことがなかったのです)
こうして、(ユダヤ人たちは)イエスについて(聖書に)書いてあることを全部成し終えて後、イエスを十字架から取り降ろして墓の中に納めました。(神は、世の罪を取り除くために、神の祭司の国民の手によって、罪の贖いの神の子羊イエスを屠らせなさいました。そして、詩篇二十二篇の預言はイエスの上に成就しました)
しかし、神はこの方(神の子羊、救い主イエス・キリスト)を死者の中から甦らせたのです。(ダビデが、「彼(とこしえの王座に着くキリスト)はハデス(陰府)に捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。」と、キリストの復活を予見したとおり、神は、十字架にかけられた罪の贖いの神の子羊イエスを甦らせなさいました。復活のイエスとお会いしたイエスの弟子たちは、そのことの証人です)
復活のイエスは、ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たち(使徒たち)に、幾日もお現われになりました。きょう、その人たちがこの民(聖書の約束を持つ民ユダヤ人)に対してイエスの証人(ナザレのイエスが、神の御子キリスト、救い主であることを証言する者)となっています。
私たちは、神が先祖たちについてなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。
(イスラエルを救うお方、ダビデの子キリストは遣わされました。神は、イスラエルに約束されたとおりの、良き御計画を実行されたのです。この良き知らせを、イエスの弟子たちは、ユダヤ人たちに宣べ伝えているのです)
神は、(神がイスラエルに遣わされた救い主である)イエスを甦らせ、それによって、私たち(アブラハムの契約の)子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、「あなた(死から復活し、御霊によって生まれたイエス・キリスト)は、わたし(神)の子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と書いてあるとおりです。
(「人の子」として生まれた肉体の神の御子イエスは、世の罪を取り除くために、人類に代わって罪の呪いを受けて死なれました。しかし、神は、人の子イエスを、聖霊の御力により死者の中から甦らせて、復活のからだを着る「新しい人」をお生みなさいました。神は、人の子イエスに、永遠のいのちと新しい霊のからだとを与え、御霊によって、神の子どもとして生んで下さいました。死から甦ったイエスは、「新しい人」の創造の初めであり、新しく創造される神の子どもたちの長子です)
神がイエスを死者の中から甦らせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、「わたし(神)はダビデに約束した聖なる確かな祝福(永遠のいのちを得させるキリスト、真理の御霊を授ける贖い主)を、あなたがた(イスラエル)に与える。」というように言われていました。
ですから、(聖書の)ほかの所でこう言っておられます。「あなた(神)は、あなたの聖者(神の子羊キリスト)を朽ち果てるままにはしておかれない。」
ダビデは、その生きていた時代において神の御心に仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ(墓に入り)、ついに朽ち果てました。(ダビデのからだは土に還りました)
しかし、神が甦らせた方(とこしえのイスラエルの王イエス・キリスト)は、朽ちることがありませんでした。(イエスの肉体のからだは、復活の新しいからだに変えられたのです)
ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方(世の罪を取り除く子羊の血を流した、神の御子イエス・キリスト)によるということを、よく知っておいてください。(神の子羊イエス・キリストの御名によって、私たちは、永遠のいのちを得させられるのです)
モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、(神の子羊イエス・キリストによる御救いを)信じる者はみな、この方(神に遣わされた救い主イエス・キリスト)によって、解放されるのです。
(神の義は、キリストとともにあり、律法によっては義とされなかったユダヤ人も、律法の下にいない異邦人も、イエス・キリストによって、神に義と認められるのです。なぜならば、神がお遣わしになった神の子羊イエスを、「救世主」キリストと信じる事は、キリストをお遣わしになられた神をも信じる事なのです。神は、御子を信じる者たちを神の民として受け入れ、義と認められるのです。
ですから、預言者に言われているような事が、あなたがた(神を知っている人たち)の上に起こらないように気をつけなさい。
「見よ。(神が遣わされた神の御子イエス・キリストを)侮る者たち。(ユダヤ人たちが十字架につけたナザレのイエスが、神が遣わされたキリストである事を知って)驚け。そして(「彼〈神があなたがたを世の滅びから救い出して、天の御国にいれるために遣わすキリスト〉に聞き従わなければならない。」と命じたモーセのことばに聞き従わず、イエス・キリストを信じなかった者、聞き従わなかった者は)滅び去れ。
わたし(イスラエルの神)はあなたがたの時代に一つの事をする。それは、人がどんなに説明して聞かせても、あなたがたのとうてい信じないような事なのである。」』」(使徒13:14-41)
会堂の集会が終わると、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼みました。彼らは、真理のことばに飢え渇いていたのです。
罪からの解放、神に義人とされること、神の御救い、永遠のいのち、それらの良き知らせは、十字架で死んだイエス・キリストにある、ということを聞いたからです。
次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来ました。
しかし、この群衆を見た(イエスを信じない)ユダヤ人たちは、妬みに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしったのです。
「そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。
『神のことば(神の良き知らせ)は、まずあなたがた(ユダヤ人たち)に語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。
見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。(あなたがたが、神のことばを拒んだので、これから私たちは、異邦人の救いのため、異邦人に永遠のいのちを得させるために、キリストの福音を異邦人に届けます)」(使徒13:46)