先日、メシアニック・ジューの牧師のセミナーに参加しました。
四つの種の話から、ユダヤ人の間では、根が生える根が生えない、芽を出す芽を出さない、また、実を結ぶ実を結ばないという、四つの種のことではなく、四つの土壌が共存している、ということに注目するそうです。
これから神が開こうとしておられる新しい世界は、争いがなく、明るく平和で、すべての被造物が安心して共存共生する世界である、というようなことを言われました。
すべてのものを抱きかかえる、神の大きな御腕にかかえられ、神の広い心に支えられる平和な世界ですね。
その話を聞いた時、私は、まるで神道の考えのようだと思いました。
日本人の精神の土台にある神道は、仏教を受け入れ、神仏習合を実現した実績があります。日本の神道は、ほかの宗教も分け隔てなく、良いものを取り入れて日本人の精神の糧とし、ひとつのいのちで融合します。
聖書を信じる宗教間でも一致がみられないのに、日本の神道は、目に見えない神を恐れる信仰によって、真理を見分けます。そして、それぞれの宗教の中に宿る真理を尊重します。
聖書を信じる宗教には、大きく分けて、ユダヤ教と、キリスト教と、イスラム教とがあります。
ユダヤ教は、全能の神からゆだねられた「聖書」を聖典とします。
父祖アブラハムの契約を土台とする神の命令と約束です。
イスラム教は、「コーラン」を経典(法典)とします。そして、アブラムの子孫であることから、ユダヤ人の「聖書」も信じているそうです。といっても、「聖書」の救いの約束を、自分たちに置き換えているようです。
キリスト教は、旧約聖書と新約聖書とを合わせた「聖書」を教典とします。
キリスト教では、ユダヤ人としてお生まれになった「神の御子ナザレのイエス」によって、神は、ユダヤ人に約束された聖書の預言を成就されたとしており、神の子羊イエス・キリストによって完成されたユダヤ人の聖書を「旧約聖書」と呼びます。
そして、旧約を完成させたキリスト・イエスのことば(人の子となられた神のひとり子がユダヤ人の弟子たちにお与えになった新しい契約)を書いたものを「新約聖書」と呼び、旧約聖書を土台とする新約聖書を教典としており、ユダヤ人の「聖書」にイエスのことばの「新約聖書」を合わせて、「聖書」と呼びます。
ユダヤ教の聖書は、ユダヤ人たちによって書かれています。モーセやダビデやソロモン、また、さまざまな時代に立てられた預言者たちによって記述されています。
新約聖書は、イエスの弟子たちによって、記述されています。異邦人の医者ルカの記述による「ルカによる福音者」と「使徒の働き」以外の書簡はすべて、ユダヤ人によって書かれています。
聖書は、神の祭司の国民として、神に選ばれたユダヤ人たちにゆだねられた書物です。
天地万物を創造された神、人の創造と悪魔の存在、また、悪魔によって罪の呪いの死に定められた人類を、死と滅びから救う救世主(キリスト)が、ユダヤ人から起こる事の約束が書かれた旧約聖書。
神がユダヤ人に約束された救世主が、聖書の預言どおりにイスラエルに遣わされたこと、すなわち、旧約聖書の預言の成就により、ユダヤ人によって、世界中のあらゆる国、あらゆる民族に、救世主(神の御子イエス・キリスト)の福音(良き知らせ)が宣べ伝えられて、世の終わりが来ること。
そして、争いと破壊に満ちた国は滅ぼされて、人の世は終焉を迎え、世界を救った神の子羊イエス・キリストが治める、千年の間続く新しい平和な世の始まりを預言する新約聖書。
神は、ユダヤ人たちにお与えになった聖書を成就して、神の御子による新しい約束をお与えになりました。
イエスの弟子たちは、ユダヤ人の聖書が成就したことの目撃者であり、新しい契約「新約聖書」をお与えになったキリスト、すなわち、神がイスラエルに遣わされた神の子羊イエス・キリストの証人です。
イエスの弟子たちは、旧約聖書が成就し、新約聖書を受ける時代に生まれました。
彼らは、聖書の中の預言者たちが一目見たいと望んだキリストを自分の目で見、預言者たちが一度聞きたいと願ったキリストのことばを自分の耳で聞いたのです。
私たちは、新約聖書の成就を見る時代に生まれています。
イエスの弟子たちが、イエスのことばを聞き、イエスのたとえ話で聞いた、その神の御国に近づいているのです。
神は、終りの時代に、再び、世界を救う者を、ユダヤ人の中から起こされます。
イエスは、ユダヤ人の弟子たちに命じられました。
「全世界に出て行き、すべての造られた者(全世界の人たち)に、(世界を裁く創造主が、世の罪を取り除き死の裁きから救い出すキリストを遣わされたという良き知らせ、すなわち、神の御子イエス・キリストの)福音を宣べ伝えなさい。
(あなたがた〈ユダヤ人〉の福音のみことばを)信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」(マルコ16:15,16)
アブラハムの契約は、ユダヤ人のものです。御救いの約束はユダヤ人のものです。ユダヤ人は、神に約束された「アブラハムの子孫」だからです。
ユダヤ人は、神の祭司の国民として選ばれ、神の子とされる約束も、世界を救うキリストを生むという栄誉ある約束も、また、世界の光となるという約束も彼らのものです。神の栄光に輝く国民なのです。
全能の生けるまことの神を礼拝することは、ユダヤ人にゆだねられています。また、世界を救う者が出るという約束も彼らのものです。
ユダヤ人の国イスラエルは、1948年に建国された新しい国です。古代イスラエル王国の跡地に建国されました。
国は古くからあるのに、神が遣わされた神の御子イエス・キリストを信じなかったユダヤ人たちは、神の怒りを買って、離散し、千九百年もの間、国を失っていました。
それゆえ、約束は古くからあるのに、彼らがイスラエル人と呼ばれてから八十年も経っていません。
神は、世界中に離散しているユダヤ人をイスラエルの地に集めておられます。しかし、完全な姿ではありません。
完全な姿とは、ユダヤ民族十二部族がみな集められた状態です。しかし、今は不完全です。世界にはユダヤ人であることを忘れた人たちも多くいることでしょう。
離散前に、エルサレムの神殿は崩壊しました。そして、イスラエル人は、諸国に散ったのです。そして、イスラエル人たちの故郷は長い間廃墟となり、荒れ地でした。
イスラエル人とともにおられたイスラエルの神はどこに行かれたのでしょうか。
神を礼拝するユダヤ人は、世から消え去ってしまったのでしょうか。世界は、神の祭司の民を失ってしまったのでしょうか。
神は、中東のイスラエルの国が滅びた後、御自分の御住まい(神殿)を日本列島に置かれたのではないでしょうか。
大海に守られた神の砦です。海に囲まれた島々を神の領域として、神は地上に留まられて、世界を守られたのではないでしょうか。
全能の神は、イスラエルの神です。また、祭司の国民であるユダヤ人たちによって仕えられる神です。
神は、古の日本列島に、神を恐れる、神に忠実なユダヤ人たちを移住させておられたのでしょう。日本列島では数千年の間、神の社で生けるまことの神に仕え、祭儀を執り行なって来ました。彼らは、神が残しておかれた真実なユダヤ人ではないのかと思います。
霊によって捉える霊能者やスピリチュアルな人たちは、伊勢神宮の外宮に祀られている神は、ヤーウェイの神だと言います。ヤーウェイの神とは、全能の神、創造主であり、アブラハムと契約を結ばれた神のことです。
内宮の天照大御神が祀られる以前から、外宮の神は祀られており、鎮座しておられたようです。
私は伊勢神宮に行き、ヤーウェイの神と噂される外宮に行くと、あまりにも大勢の参拝者たちで、まるで上野公園のパンダ見物の人たちのように、数秒で去らなければなりませんでした。
外宮にあるほかの社を回った後で、せっかく来たのだから、慌ただしく終わってしまった外宮の神に、もう一度挨拶したいと思い立ち、再び行ってみました。
すると、不思議な事に誰もいません。私ひとりで、白い幕の掛かった正面に立ち、日本人から起こるとされるふたりのメシア(「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」)の感謝と、ふたりの働きの祝福とふたりを導く聖霊の器の人(白い兄)の守りと祝福、また、終わりの時代の十四万四千人のユダヤ人の働きが祝福されること、そして、日本を選んでくださったことへの感謝と日本人の御救いのために、イエス・キリストの御名によってお祈りしました。
祈りが終盤に差しかかる頃、何か気配を感じて目を上げて前を見ました。すると、白い布が上に舞い上がっており、白い幕に隠されていた神の場所が露になっていました。神が祈りを受け取ってくださったのだと思いました。
風を感じないのに、白い幕がめくれあがっているのには驚きましたが、ただ、神に感謝して目を上げると、白い幕は元の状態に戻るところでした。
世界を救う神が、やはり、日本にお住まいだったのだ、と思いました。
神は、日本列島の中で、御自分の選びの民(ユダヤ人)を養い、終りの時の為に、大切に守っておられたのだと思います。
神の御子イエスがユダヤ人の弟子たちに命じられた世界宣教は、世界中から起こる十四万四千人のユダヤ人によって完成することでしょう。その中には、日本人もいます。
世界を救う「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」は、日本の神が守り、アブラハムの信仰(全能の主、生けるまことの神への信仰)を、彼らのうちに培っておられることでしょう。
「異邦人の時」が完成し、「ユダヤ人の時」が始まると、世界宣教は、十四万四千人のユダヤ人にゆだねられます。
人々は、彼らの宣教する神のみことばを信じて救われます。異邦人の時に完成されなかったクリスチャンたちは、彼らの宣教のことばに聞き従って、ほかの宗教の中から救われる人たちとともに、いのちの冠を受けるのです。
ユダヤ人たちの宣教のことばを信じてバプテスマを受け、悔い改めて信仰告白する者たちは、一度死んでも甦り、神は、彼らに永遠のいのちを得させられます。
信じない者は、罪の赦しを得ることなく、罪の中で滅びます。たといクリスチャンであっても、滅びます。神が遣わされた者を信じないからです。このことは、裁き主から出ていることであり、裁き主が定めておられることです。
世界を救うメシアは、日本の地で養われ、日本の神によって守られて、身魂をきよめられ真実な信仰を培われ、その信仰が保たれているのでしょう。
彼らは、聖書を知らないユダヤ人です。ヤコブの血統を持つ日本人です。神に隠された神に召された人たちであり、聖書に書かれている「ふたりの証人」です。