「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方(神格あることば)は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方(ことば)によって造られた。造られたもので、この方(ことば)によらずにできたものは一つもない。
この方(ことば)にいのちがあった。このいのちは人の光(生老病死の問題を解決し、永遠のいのちを得させる希望の光)であった。
光(いのち)は闇(死と滅び)の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。(しかし、闇はこれを悟らなかった)」ヨハネ1:1-5)
使徒ヨハネは、ナザレのイエスを、初めから神とともにおられ、天地万物を創造された「ことば」であるとあかしし、また、「ことばは神であった。」と証言しています。すなわち、イエスは、神のひとり子であると証言しました。
ヨハネは、イエスは天から来られたまことの光であり、死と死後の裁きの定まっている人類を、死と滅びの世から救い出すキリストであり、永遠のいのちを得させる神のひとり子であることをあかししています。
ヨハネは、三年半の間、イエスとともにおり、イエスが語る神のことばを聞いた、主キリストのしるしと奇蹟のみわざを証言する、イエスの弟子のひとりです。
ヨハネは、聖書の預言がナザレのイエスにあってことごとく成就したのを目撃したユダヤ人のひとりなのです。
ヨハネはガリラヤ人でした。ガリラヤは異邦人も住む地であり、厳格な神の民ユダヤ人たちから、異邦人とともにいるユダヤ人は聖ではないと蔑まれていました。
神は、ナザレのイエスによって、聖書のみことばを成就されました。
「異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
闇の中を歩んでいた民(ユダヤ人たちから汚れたユダヤ人として蔑まれたガリラヤの民)は、大きな光(御救いの光)を見た。死の陰の地に住んでいた者(御救いの契約を持たない異邦人と異邦人によって汚れているとされたユダヤ人)たちの上に光が照った。」(イザヤ9:1,2)
イエスは、ガリラヤ地方のナザレの村の人でした。ナザレ人として、ユダヤ人たちから蔑まれたガリラヤ地方の人です。
神に遣わされたキリスト、すなわち、神の御子イエスは、このガリラヤ地方から起こされました。真理の光は、ガリラヤ地方から出ました。
イエスの最初の奇跡は、ガリラヤ地方のカナの婚礼の席で、水を葡萄酒に変えた奇蹟です。イエスは、御子の栄光を現わされました。
律法に熱心で学識のある人たちのいるエルサレムではなく、ユダヤ人たちから見下されているガリラヤ地方に、真理の光は現われました。
イエスの十二弟子たちもガリラヤ地方の出身者たちです。イエスを裏切ったイスカリオテのユダだけがパレスチナ南部の出身者のようです。
主は仰せられました。
「わたし、主(全能の神)は、(神の)義をもってあなた(神のひとり子)を召し、あなた(神の御子イエス)の手を握り、あなた(神の子羊イエス)を見守り、あなた(神の子羊イエス・キリストの死と復活と永遠のいのち)を(神と契約を結ぶイスラエルの)民の(新しい)契約とし、国々の(御救いの)光とする。」(イザヤ42:6)
主は、主のしもべアブラハムに「アブラハムのひとりの子孫(「人の子」となられる神のひとり子)によって、あらゆる民族、あらゆる国を祝福する。」と約束された誓いを、神の御子イエスにあって、成就されました。
「神から遣わされたヨハネ(バプテスマのヨハネ)という人が現われた。
この人はあかしのために来た。光(神に遣わされたいのちの光)についてあかしするためであり、すべての人(ユダヤ人たち)が彼(ヨハネの証言)によって(キリストを)信じるためである。
彼(ヨハネ)は光(キリスト)ではなかった。ただ光(神が遣わされる神の御子キリスト)についてあかしするために来たのである。」(ヨハネ1:6-8)
「悔い改めよ。神の国が近づいた。」とユダヤ人たちに水のバプテスマを授けていたヨハネは、キリストの前にキリストの通られる道を備えるために召されたエリヤの霊の人です。
ヨハネは、ナザレのイエスを「世の罪を取り除く神の子羊」と呼びました。神が遣わされた、イスラエルの罪を贖う神の子羊です。
また、ヨハネは、神の子羊イエスを「聖霊のバプテスマを授けるキリストである。」と証言したのです。
すべての人を照らすそのまことの光(永遠のいのちを得させる真理の光)が世に来ようとしていました。
「彼(すべての人を照らすまことの光)は世にいた。そして、世は彼(神の御子)によって造られたのであるが、世は彼(神のひとり子)を知らずにいた。
彼(御子)は自分のところ(神の祭司の民ユダヤ民族のところ)に来たのに、自分の民(ユダヤ人たち)は彼(神が遣わされたダビデの子キリスト)を受け入れなかった。
しかし、彼(イエス)を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々(ナザレのイエスが神に遣わされた神の御子キリストであることを信じた人々)には、彼(キリスト)は神の子となる力(真理の御霊)を与えたのである。
それらの人(御霊によって新しく生まれる神の子ども)は、血筋によらず、肉によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである。(アブラハムの血肉の子孫でなくても、人の努力によらず、また、ユダヤ教に回心したり、ユダヤ人になることによってではなく、ただキリストのお与えになる真理の御霊によって新しく生まれた人たちです)
そしてことばは肉体となり、私たちのうちに宿った。私たちはその栄光を見た。(使徒たちは自分の目で神の御子の栄光を見、自分の耳で真理のことばを聞いたのです)それは、父(天地万物の創造主であられるイエスの父)のひとり子としての栄光であって、恵みとまこととに満ちていた。(キリストには慰めがあり、癒しがあり、愛と喜びと平和と平安がありました)」(ヨハネ1:10-14)
しかし、律法の覆いがかかっていて信仰に立たないユダヤ人には、真理の光が見えません。
「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らは闇を光、光を闇とし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。」(イザヤ5:20)
神は、滅びる人々の場合に、覆いが掛かっていることを許されます。
「その場合、この世の神(悪魔)が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。」(コリント第二4:4)
裁き主なる神は、ひとりひとりを御存じです。
「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名(神が遣わされたキリスト)を信じなかったので、すでにさばかれている。
そのさばきというのは、こうである。
光(キリスト)が世に来ているのに、人々は光(真理)よりも闇(偽り)を愛した。その行ないが悪かったからである。
悪いことをする者は(自分の中にある闇をあらわにする)光を憎み、その(悪い)行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
しかし、真理を行なう者(神の道にある者)は、光のほうに来る。その(良い)行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。(自分自身の栄光のためではなく、神に聞き従って神に栄光を帰すために行なっていることが明らかにされるためである)」(ヨハネ3:17-21)
パウロは言います。
「私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えています。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。
『光が、闇の中から輝き出よ。』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
私たちは、この宝(真理の光である真理の御霊)を、土の器(朽ちてゆく弱い肉体)の中に入れているのです。それは、測り知れない力(神の不思議としるしの栄光のみわざと、真理を証しする御霊の力)が神のものであって、私たち(人)から出たものではないことが明らかにされるためです。」(コリント第ニ4:5-7)
真理の光(永遠のいのちを得させるとこしえのいのちのキリスト)を見ても、その光により頼み、キリストのみことばを自分の歩むべき道の光と信じて、真理に暗い闇の世を行く足のともしびとする人たちもいれば、その真理の光(キリストの御救いのみことば)により頼んでいない人たちにとっては、自分自身の道を進むのに、真理は「つまづきの石、妨げの岩」であり、彼らはみことばに聞き従わないのです。
「しかし、(真理の光に従う)あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。
それは、あなたがたを、(滅びの)闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方(神の御子イエス・キリスト)のすばらしいみわざ(死と闇に勝利して、永遠のいのちを得させる、聖霊の御救い)を、あなたがたが宣べ伝えるためです。」(ペテロ第一2:9)
イエスは言われます。
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたは本当にわたしの弟子です。(イエスの歩まれたいのちの道の足跡を歩む神の子どもです)
そして、あなたがたは真理(いのちの根源である方)を知り、真理(永遠のいのちを得させる真理の御霊)はあなたがたを(この世の教えや束縛から解放し)自由にします。」(ヨハネ8:31)
真理の光を仰ぐ者は幸いです。
「いのちの泉はあなた(キリスト)にあり、私たちは、あなたの光のうちに光(真理の光)を見るからです。」(詩篇36:9)
「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある(聖霊が地上におられる)間に歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。
あなたがたに光(真理の光)がある間に、光の子どもとなるために、光(真理の御霊)を信じなさい。」(ヨハネ12:35,36)