ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

雅楽

 

 神社や境内などで耳にする、ゆったりとした、特徴ある音色とリズムの、日本の古典音楽です。貴族的な雅な舞楽です。

 

 雅楽とは、仏教伝来の飛鳥時代から平安時代初めにかけて、アジア大陸の諸国から伝わった音楽や舞に、日本古来の儀式音楽や舞踏などが融合し日本化したもので、世界最古のオーケストラとも言われているようです。

 

 東儀秀樹さんによると、雅楽は、平安時代中期に完成し、そのまま原形のまま存在している世界最古の音楽芸術で、古代の哲学や天文学や統計学、自然界との調和などが織り込められた計り知れない完成度をもつ芸術であり、古代より決められた家〔「楽家」(がっけ)〕によって口伝で正確に継承されてきたそうです。

 

 大海に囲まれた日本列島は、他国との混血の機会は大陸と比べて少なく、荒波に耐えて無事に渡航できた人たちの様々な民族が混じり合って、一つの日本民族となっているようです。すなわち、渡来した人々がみな、原住民の日本人と同化して、一つの民族となっているのです。

 一つの民族ですから、言葉も通じ、共通する精神性もあります。そして、単一民族ゆえに、その歴史も途切れることなく長く、古代の記録書が残されていることも日本の特徴のようです。

 

 雅楽が、日本古来の儀式音楽や舞踏に、ほかの国から伝わった音楽や舞を融合させて、日本特有の音楽を作り出しているように、日本人は、自分たちの感性に合うもの、すなわち、精神性を高めてくれる良いものは取り入れてきたようです。

 日本の文化は、そのような融合の文化のようです。自然崇拝の古代の信仰と日本神道が基礎にあって、仏教を受け入れ、儒教を受け入れ、キリスト教を受け入れ⋯しかし、日本文化の中に溶け込んだのは仏教でしょう。

 

 権力主義の思想や一神教は淘汰されていきました。すべて日本風にアレンジされました。自然の中の一部として生きて来た日本人は、自然と調和する感性を大切にしていて、日本人の魂に平安を得させるもの、また、和合する精神性の高いものや平和の思想のものが日本文化の中に残ったようです。自然界が人間の教師であった日本列島では、普遍のものへの憧れが強かったのだと思います。

 

 外国人の耳には、秋の虫の声が雑音に聞こえる、と聞いた時は驚きました。日本人の耳には美しいメロディーに聞こえるのです。

 かつての日本では、虫の声の美しさを競うこともしたそうです。それで、より美しい羽音の虫が高値で売買されていたという古い時代もあったようです。

 

 洋楽は、ノイズを取り除いて、よりクリアな音を追求するそうですが、日本の古典音楽は、雑音と思えるような音色も融合させて、その趣を楽しみます。

 

 雅楽を聴くと、いろんな音が混じり合っていますが、それが音の広がりであったり、面白さであったり、すべてをひっくるめて、全体が調和しているのです。

 雅楽の「君が代」を聴くと、懐かしいような、悠久の時を感じさせる奥行のような、不思議な安心感を得ます。心が穏やかになり、落ち着くのです。

 

 雅楽の中に自然との調和があるようです。日本人は昔から、和合と調和の精神を好んできたようです。

 音楽も舞も、自然の一部のようで、目に見えない崇高な存在にささげているかのようです。

 

 巫女の舞には、天に向かってささげる、被造物の地上の喜びと感謝とがあり、神の心を慰める聖い気があります。

 巫女の舞を見ると、神がご覧になって満足しておられるように感じます。日本各地で巫女の舞がされていることにより、天地万物を創造された全能の神は、人類の御救いの御計画を思い起こしておられるように感じます。

 日本列島は、全地にあって、神の慰めであり、神の平和な足場のようです。日本列島がある限り、神の良い御計画は保たれます。

 

 神は、日本列島に立たれて、御自身が召されるふたりの証人を起こし、世界各地から神がお定めになられた十四万四千人のユダヤ人に「生ける神の印」(子羊の名と子羊の父の名)を押す御使いとされるのでしょう。

 

 彼らは、日本人や先住民たちが古くから恐れ敬って来た「いのちの神の名」を知るのです。

 自然界の中に「いのちの根源」としていのちを支配し働いておられる「生けるまことの神」が、地上に遣わされた、永遠のいのちを得させる神の子羊の名と、神の子羊を世に遣わされたいのちの根源であられる神の名を知らされます。

 それは、人類の罪を贖い、神の愛と神との調和に立ち返らせてくださる贖いの神の子羊(神の御子イエス・キリスト)の名であり、また、人類に永遠のいのちを得させるために、神の子羊を世に遣わしてくださった御子イエスの父であられる、父なる神の名です。

 

 天から落ちた堕天使たちが、まだ、天にあったとき、神はおひとりでした。

 エデンの園から追放された人が、まだ、エデンの園にあったとき、神はおひとりでした。

 

 「あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。(その通り、神はおひとりです。そのことを信じるあなたの目は真理に開かれています)

 ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」(ヤコブ2:19)

 

 日本から起こる、世界に御救いをもたらすメシアは、生けるまことの神を知り、この悪霊どもも恐れるおひとりの神(生けるまことの神)に仕えるしもべたちです。

 ユダヤ教徒ではありません。キリスト教徒でもありません。

 様々な音色を、ひとつの奥行きのある豊かな音色の楽曲へと融合し、すべての異なる音色を調和させて、この世と天が繋がるような豊かな調べの雅楽を生み出した日本人から起こるのです。

 

 あらゆる民族、あらゆる国、あらゆる国語の人々の信仰が、真理によって一つに調和し、神の御霊によって平和な心の神の子どもたちを生むのでしょう。

 すでに、様々な異なるものを、「いのちへの崇敬と平和と感謝と祈り」の精神性に取り入れ、日本の文化を培ってきた日本人の中に、神との和解と平和を宣べ伝える、平和の使者たちがいるのです。

 

 雅楽は、その象徴の一つのように思います。

 雅楽を聴いていると、心は穏やかになり、魂は天へと引き上げられて、心の奥底に眠っていた聖い畏れのようなものが放たれるようです。